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寂愛  作者: 早能 せい
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7章 開いた手

 布団に潜って目を瞑ると、お酒を飲んだせいか、少し頭が痛くなった。

 健一にも瀧本にもいい顔をしたかったくせに、結局どちらにも適当な女だと思われただろう。

 もう、過ぎてしまった事はどうだっていい、とも開き直れず、できるなら病院の駐車場から時間を巻き戻したいと思うばかり。

 瀧本はいつ、泣いている自分を見たんだろう。確かに隆一と別れてからまもなくは、どうしようもないくらいに涙が出てきた。やっぱりどんなひどい事を言われても、自分は隆一が好きだったんだ。


 12月28日。

 外来診療などの表向きは仕事納めだが、病棟は少ないスタッフで年末年始を乗り切ろうとしている。慢性期の病棟では一時退院する選択者も一定数いるし、手術や検査が行われないために他の病棟でも一時的に空床が増える。独身で予定のない看護師の真生は、毎年それほど忙しくない勤務をしながら、家に帰って眠るだけのお正月を送っていたが、NICUはそういうわけにはいかなそうだ。

 クリスマスから続いた浮かれモードの世間とは違って、ここ数日続いた緊急のお産の影響で、あっという間に保育器は埋め尽くされていた。状態が安定している赤ちゃんから順に保育器を卒業し、まもなく新しい子がその中にやってくる。

 若手医師の松岡は、ずっと病院で寝泊まりし、ベテラン医師の小山内や病棟を取り仕切る師長は、看護師達の苛立ちを盛大に受けながら仕事をしている。いつも以上に忙しい年末になり、

「先生から産科にちゃんと言ってください!」

 夏川主任が小山内に大きな声を上げた。

「うちが引き受けないと、みんな困るだろう。」

 温厚な小山内は静かに言った。

「そういう事じゃなくて、この前きた赤ちゃんのお母さん、ずいぶん煙草臭かったですよ。」

「ああ、その事ね。」

「その事ね、じゃないですよ!」

 逃げ出した小山内の背中を仁王立ちで見ている夏川に、師長が声を掛けた。

「小山内先生、産科からは頼まれるし、小児科からは嫌味を言われて気の毒なのよ。赤ちゃんに触ってる時だけが、唯一癒やされてるの。大人達も少し優しくしてやって。」

 師長は勤務表を見ると、

「笹川さん、明日の夜勤は独り立ちね。」

 そう言った。

「笹川さんは私が休んだ夜勤の時、1人でやってますよ。」

  夏川が言う。

「そうだったかしらね。」

 師長は冷蔵庫から栄養ドリンクを取り出すと、近くにいた看護師達に渡した。

「夏川さん、小山内先生にもあとであげてね。」

 夏川は師長を見て、

「鬼ですね。」

 そう言って、栄養ドリンクを一気に飲んだ。


 少しズレた昼休み。

 真生は売店で菓子パンを買っていた。

「笹川。」

 瀧本が呼び止めた。

「今、昼か?」

「うん。」

 瀧本と顔を合わせるのははっきり言って気まずい。クリスマスの夜の事は、冗談だったと笑ってほしい。

「疲れてるのか?」

「なんで?」

「そう見えたから。」

 真生は階段に続く扉を開けると、瀧本が後をついてきた。

「エレベーター使わないのか?」

「Nはこの階段から行くの。」

 瀧本は足取りの重い真生の肩を掴むと、

「帯状疱疹は治ったか?」

 そう聞いた。

「たぶんね。自分じゃ見えないけど、もう痛くないから。」

 どうしたら冷たい返事をしなくても、瀧本が自分から離れて言ってくれるだろう。前みたいにふざけて笑って、居心地の良い時間が戻ってきてほしい。

「笹川、正月は休みか?」

「勤務。」 

「大晦日は?」

「深夜。」

「1日は?」

「準夜。」

「2日は?」

「日勤。」

「3日は?」

「日勤。」

「お前、ヤバいぞ、それ。」

「そんな事ないよ。じゃあ。」

 真生はNICUの詰所にむかう扉を開けた。

「笹川、この前の返事まだだぞ。」 

 瀧本は真生の腕を掴んだ。

「忘れた。」

 真生はそう言って笑うと、ちょうどそこに松岡がやってきた。真生は瀧本の手を離すと、そのまま詰所へ歩いていった。


「笹川さん、彼氏いたの?」

 真生が詰所で1人でパンを食べていると、松岡がやってきた。

「いません。」

「さっきの人は?」

「同期です。」

 口の中の水分がなくなり、ストローで牛乳を吸い上げると、

「松岡先生、ちょっと。」

 花岡が呼びに来た。真生も松岡の後をついていくと、花岡はレントゲン写真を松岡に見せた。

「小山内先生呼んできて!」

 松岡は焦ってそう言った。

「どうしたんですか?」

 真生が花岡に言った。

「気胸よ。肺に穴が開いたの。」

 バタバタと過ぎていった1日は、気がつくと21時を回っていた。

「洗濯物頼むよ。」

 松岡は誰もいないと思ったのか、花岡にそう言った。真生に気がついた松岡は、疲れて話すのが面倒くさいのか、人差し指を口にあてて、シーッと合図した。

「笹川さんはバラしたりしないよ。」

 花岡が言った。

「花岡さん、さっきの気胸、レントゲン見て気づいたんですか?」

 真生が聞いた。

「昔、小山内先生が詳しく教えてくれたのよ。」

 花岡はそう言った。自分のした事への評価を求めるわけでもなく、なんとなく悔しそうに俯いた花岡の横顔は、とても綺麗だった。


 遅くなった日の晩ご飯は、寂しさを満たすためだけのビールだけでも十分だが、今日は妙にお腹が空いて、コンビニでお弁当を選んでいた。

 真生の腰にカゴを押し付けている客を、睨むように振りむくと、

「そんなに怒った?」

 健一が笑っていた。

「今日は1人?」

「そうですけど。」

 少しイライラしている真生に、

「お腹減ってるなら、ヒサシの所でなんか食べようか。」

 健一はそう言って真生をコンビニから連れ出した。

「ほら、鍵。」

 健一は真生に手を出した。

「運転してくれるの?」

 真生が言った。

「酒でも飲めばいいだろう。帰りはちゃんと送っていくからさ。」

 健一は車のエンジンを掛けた。

「あの店に彼とはよく出掛けるの?」

「この前が初めて。」

「この前の彼がヒサシによく愚痴ってたのは、きっと真生ちゃんの事だったのか。」

 瀧本がそんな話しをしていると聞いて、真生は店に行くのを躊躇った。

「健一さん、私あんまりお腹減ってない。」

 どうやって瀧本と会わない様にすればいいか、真生は考えていた。

「嘘つくなよ。この前の彼と会いたくないだけだろう?」

 考えを見透かされた真生はため息をついた。

「別のお店ならダメ?」 

「なんでだよ。別に普通にしてればいいだろう。」

 健一は少し意地悪な言い方をした。

「気まずいよ。」

「そっか。クリスマスに振ったパターンか。」

 健一がそう言うと、

「まだ、始まってもいないのに振るも何もないでしょう。」 

 真生はだんだんと声が小さくなった。

「ここは治ったのか?」

 健一は真生の背中を触った。

「うん。」

 

 お店のドアを開けると、カウンターにはあの黒髪の男性が座っていた。

 少し微笑んだその男性の隣りに、健一は座った。真生は店の中にいた瀧本を見つけると、目が泳いだ。

「ナオと話しがあるから、あっち行ってて。」

 健一がそう言うと、瀧本は真生に手招きをした。 

「こっち座れよ。」

「うん。」

「やっぱり知り合いだったのか。」

 瀧本は少し残念そうに言った。

「あの人の鍵を拾ったの。それだけ。」 

 真生はそう言って、ちょうどきたマスターにビールを頼んだ。

「なんか食べるでしょう?」

「あんまりお腹減ってないからいいです。」

 真生はそう言っておしぼりで手を拭いた。

「仕事、慣れたのか?」

 瀧本が聞いた。

「慣れないね。1日何もないことばっかり祈ってる。」

 真生はそう言った。

「Nってどんな感じなんだろうな。全然想像がつかない。」

「私だって精神病棟は想像もつかない。」

 真生はおしぼりをたたみ直し、テーブルに置いた。

「俺さ、救急やってみたかったのに、もう無理だわ。輸液ポンプなんて触った事ないし、ルートなんてとれないわ。」

 瀧本はそう言った。

「私だってこんなはずじゃなかったよ。」

 真生が弱音を吐くと、

「2人で辞めて離島にでも行こうか?」

 瀧本は笑顔で言った。

「ダメ。コンビニがないと私飢え死にするもん。」

 真生は運ばれてきたビールを飲む。

「なんか食べた方がいいんじゃないのか?」

「ううん。いらない。」

「我慢するなよ。」

 瀧本の言葉に、真生はまたため息をついた。

「さっきまでお腹減ってたのに、マサに会うかもしれないって思ったら、なんか緊張した。」

 瀧本は健一の方を見ながら、

「今日はあの人と約束してたのか?」

 真生に聞いた。

「たまたまコンビニで会ってね、それで…。マサはここによく来るんでしょう?」

「ああ、まぁな。マスターのヒサシさんと同じフットサルチームにいるんだ。」

「そう。ずっとやってるんだ。大学の時も夢中だったよね。」

「単位ヤバくなって、笹川のアセスメント丸写ししてさ。」

「報酬に並んでロールケーキを買ってきてくれた。」

 2人は顔を見合わせて笑った。

「ついこの間の事の様で、もうずっと昔の事の様だな。」

「本当だね。」

「笹川、まだ病んでるのか?」

「病んでるよ。なんでだろう。ぜんぜんうまくいかないね。」

 真生は自分を見つめている瀧本に、空になったグラスを見せた。

「同じのでいいのか?」

「うん。」

「なぁ笹川、気になってるのか、あの人。」

 瀧本は健一の方を見た。

「金髪がね、すごく気になるの。」 

 真生は2杯目のビールに口をつけた。早いペースで飲んでいく真生に、

「酔っても知らないぞ。」

 瀧本はそう言って、近くにあったチョコを真生の前に出した。

「マサ、私、面倒くさい女だよ。」

 真生はチョコを口に入れた。

「なんでだよ。」

「私を振った男は、その2カ月後に死んだのよ。隣りで今の彼女と彼の足の骨を拾うシチュエーションってありえないでしょう。そんな事があると、もう嫌なの。」

 瀧本は少し驚いた顔をした。

「それからだよ、病み始めたの。」

 真生はビールを飲み干した。

「もう飲むなよ。それになんか食べた方がいい。」

 瀧本は真生のグラスを取りあげた。

「マサ、私の骨はボロボロで拾えないかもね。」

 真生はフラフラと立ち上がり、瀧本が持っていた飲み干したグラスをカウンターに置いた。

「話しは終わった?」

 真生は健一に聞いた。

「そっちは?」

 健一は瀧本の方を見た。

「もう帰ろう。」 

 真生はそう言うと会計を済ませて外に出た。こっちを見ていた瀧本には、小さく手を振った。

 健一が急いで後をついてくる。

「なんか食べなくていいの?」

 真生は首を振った。

「雪が降りそうだね。」

「そうだな。空が明るいから。」

 健一がそう言うと、

「帰って寝るよ。寝たらみんな忘れるし。」

 真生は急ぎ足で車の近くにむかった。

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