5章 竦んだ足元
20時に掛けた目覚しは、一体何回止めたのだろうか、気がつくと待ち合わせの時間まであと15分の所で目が覚めた。
真生はボサボサの髪を撫でながら、楽譜に書いてあった金髪の電話番号に電話をした。
「あの、今、起きました。」
真生はそう言うと、
「はあ?」
金髪の呆れた声が聞こえた。
「もしかして、あれから今まで昼寝してたの?」
「ちょっといろいろあって。薬を飲んでたせいもあるかなぁ。」
真生はそう言って言い訳を重ねた。
「絶対自分から謝らない性格だよね。」
「そんな事ないよ。ごめん、すぐに支度するから。」
「何分で?」
「30分。そこまで歩いて行くから、トータル45分待って。」
「そんなに?」
「ごめん…。やっぱり、」
真生の眠気が罪悪感に変わっていく。
「家の住所教えて、今からそこに行くから。」
真生はしどろもどろになりながら住所を伝えると、電話は切れた。
ヤバい、本当にくるかも。
~ピンポン~
玄関のチャイムがなる。恐る恐る覗き窓を見てみると、窓が何かで塞がれていた。
真生はチェーンを掛けたまま玄関を開けると、
「これじゃ入れないよ。」
金髪がそう言った。チェーンを外しドアを開ける。すると、買い物袋を抱えた金髪が部屋にスーッと入ってきた。
「こんなイタズラ、犯罪だよ。」
真生は言った。
「そっちだって遅刻は違反だし。」
金髪は目が笑っている。真っ黒な丸い目は、猫のように気まぐれで、捕まえようとすればする度に、腕の中からスルッと逃げてしまいそうな印象を受ける。
「もしかして日本人じゃないの?」
真生が聞いた。
「ホストの次は外人か。よっぽど金髪へ偏見があるんだね。」
金髪はそう言って買い物袋からお酒を出した。
「あのさ~、支度して、それ?」
金髪は真生が着ていた部屋着を見た。
「急に来るって言ったから、掃除してた。」
真生は掃除機を片付け、キッチンで手を洗った。
「普通、先に自分だろ。」
金髪は勝手に冷蔵庫を開けてお酒を入れようとすると、何も入っていない冷蔵庫を見て、
「これ、電源入れる意味あんの?」
そう言って笑った。
「お水が入ってるでしょう。」
真生が言うと、
「そうだね。それだけ。」
金髪はそれ以上聞かなかった。
テーブルの前に座り、2人で金髪が買ってきたお弁当を食べ始めた。
「お酒買ってきたから、飲んだら?」
金髪が言った。
「金髪は?」
「俺、月元健一って言うんだ。別に金髪のままでもいいけどさ。そっちは?」
「笹川真生。」
「まい?」
「そう。」
「踊る方のまい?」
「違う。男みたいな名前。」
真生は手のひらに名前を書いた。
「へぇ~。ねぇ、本当はどっか行きたかった?」
健一が聞いた。
「実は着替えるつもりなんてなかったかも…。」
真生は冷蔵庫まで歩いてお酒を取りに行くと、
「そっか、そっちは車だったね。」
そう言って何も持たず戻ってきた。
「私が寝坊したせいで、予定を狂わせてごめんね。」
真生は謝った。
「外はすごく雪が降ってるよ。出掛けるなんて、本当は無茶だったよ。また別の日にどっか行こうか。」
健一は立ち上がって、冷蔵庫の前に向かった。
「飲んでもいい?明日の朝、ちゃんと酒を抜いてから帰るつもりだからさ。」
そう言って真生の分も缶ビールを持ってきた。
「コップいる?」
「いいよ、このままで。」
健一は蓋を開けると、乾杯と言って缶ビールに口をつけた。
「明日の朝って、ここに泊まっていくつもりなの?」
真生が聞いた。
「もう飲んじゃったし。」
聞きたい事がたくさんあったけど、真生はお腹が空いてどうでもよくなった。
なんだか、やっと自分の方を見てくれた猫が逃げてしまわないように、真生の心の手は、静かに少しずつ健一の近くまで伸ばそうとしていた。
「ねぇ、本当にあの曲を作ったの?」
真生が聞いた。
「そう。真生ちゃんに会った日は、ファミレスで新しい曲の歌詞を考えてた。」
「車で迎えにきたのは、その関係の人達?」
「一緒にやってるナオとレイ。2人とも高校の同級生。」
「なんで、ネット配信しかしないの?」
「3人とも仕事をしてるからね。音楽はおまけ。」
「おまけ?」
「そうだよ。おまけ。」
「聴いている人は、自分の人生の重ねているかもしれないのに、おまけなんて言われてけっこうショックだよ。それに、命を削って作ってる曲だって言ってたくせに。」
真生は缶ビールの蓋を開けた。健一はもう一度、真生の缶ビールに持っている自分の缶ビールの缶をぶつけた。
「あっ、乾杯。」
真生が慌ててそう言うと、健一は微笑んだ。
「病院に勤めてるんでしょう?」
「うん。」
「看護師さん?」
「そう。」
「なんでなろうと思ったの?」
「優しくて、賢くて、それに周りに合わせていけば、そのうち一人前になるんだろうなって。だけど、大きな勘違いだよね。」
「優しくもないし、賢くもないし、思ってたイメージとは違って、そう簡単には一人前にはなれなかったんだろう。」
「ずいぶんはっきり言うね。」
真生がそう言うと、
「だから病んでるんだろう、ここ。」
健一は真生の背中を指差した。
「ああこれね、帯状疱疹。知ってる?」
「知ってるけど、それってそんな年でも出るのか?」
「出るんだねぇ。私もびっくり。」
健一はビールを飲み干し、冷蔵庫に向かった。
「強いんだね、お酒。」
「まあ。」
「ピアノはいつからやってたの?」
「幼稚園の頃かな。お姉ちゃんと一緒に習ってた。」
「楽譜見てわかったの?あの曲だって。」
「そう。ピアノを弾いて確かめようとしたんだけど、家にはないから、お店に行こうと思って。それにしても、鍵を拾ったお礼に楽譜をくれるなんて、ちょっとキザ過ぎるよ。」
「他に渡せるものが何もなかったからさ。」
「歌詞は本当の話し?」
「そうだね。本当の話し。」
「ずいぶん、切ない片思いだったんだね。」
健一は少し遠くを見た。
「片思いの相手は幼馴染の子だよ。ずっとこっちで暮らしてたみたいなんだけど…。」
健一が俯くと、
「告白すればいいのに。その顔なら断る人なんていないと思うけど。」
真生はそう言って背中を叩いた。
「彼女は4年前に病気で亡くなったんだ。」
健一の言葉に、
「あっ、ごめん。辛い事聞いたね。」
真生は声を小さくした。
「別にいいよ。その時俺は東京でバンドを組んでたんだけど、どうせ売れない案件だったし、それを機にこっちに戻ってきて、昔の仲間と曲を作り始めたんだ。」
真生を見た健一にむかって、
「思い出すのって、辛くない?」
真生はそう聞いた。
「誰かが思い出してやらないと、彼女は本当に死んでしまうからね。」
その子の事を見ていた健一の心は、どれもキレイな映像ばかりが残っているのだろう。永遠に手に入らないものだとわかると、余計に透明で純粋な思い出になっていく。
隆一の事を忘れようとする度に、少しずつ思い出を消していこうとしている自分だって、隆一の横顔やこっちを見て微笑む顔がどんどん綺麗に色付いていく。寂しさが降り積もっていく過去は、後悔の影と空欄の答えしかないはずなのに。
「どうした?」
健一は真生の顔を覗いた。
「何でもない。」
真生はそう言って、残りのお弁当を食べた。
「健一さんは楽器を弾けるの?」
「そりゃ弾けるよ。ひと通り。」
「歌うだけじゃなかったんだ。」
「そうだね。まあ、一応楽器屋の店長もやってるし。」
「ピアノも?」
「ピアノは弾けないよ。」
「じゃあ、あの楽譜は誰が書いたの?」
「ナオが書いたんだ。今は楽器が弾けなくても作曲ができるだろう。それもすごく複雑なメロディーやリズムで出来上がる。だけどナオは、ずっとピアノとギターで曲を作ってる。」
「ライブはしないの?」
「このまま、曲だけを出そうって決めてんだ。」 「だから、おまけか。」
「そうだね。人生のもう一つの箱を持ってるって事。」
「その髪はどうして?」
真生は健一の金髪を見た。
「真生ちゃん、こんな話ししてたら朝になるよ。」
「だって金髪問題は今日のメインの質問だよ。それに、健一さん飲んでるから、酔いが覚める朝までこうして話しするしかないじゃん。」
真生は時計を見た。時計は22時を回っていた。
「真生ちゃんは1日寝てたかもしれないけど、俺は少し疲れたよ。」
健一はそう言ってセーターと靴下を脱いだ。
「寒がりなの?無駄に暑くしてる気がする。」
「ストーブの設定、しばらくいじった事がないから。」
真生はそう言うと、立ち上がって窓を開けた。
「うわ~、めっちゃ降ってる。」
急に部屋の中に入ってきた冷たい風と、小さな雪の雫は、真生の顔を通り抜けて、Tシャツになっている健一の腕を冷やした。
「ちょっと、寒いって!」
健一が言ったので真生は窓を閉めた。座る途中でストーブを消すと、
「極端だね。冷やす時は一気に冷やそうとして。ここの原因って、こういう生活のせいなんじゃない?」
健一は真生の背中を触った。薄い部屋着の上から触られると、その場所はピリピリと痛んだ。少し顔をしかめた真生を見て、
「ごめん。触ったりして。」
健一が言った。
「大丈夫。」
真生は鞄から薬を出して、ビールで流し込もうとした。
「うわっ、最悪だね。」
「だって水を取りに行くのめんどくさいし。」
真生がそう言うと、健一は立ち上がって冷蔵庫を開け、水をコップに入れて持ってきた。
「ありがとう。」
真生はそう言って薬を飲んだ。
「なぁ、塗り薬はどうするの?」
「ガーゼにつけて、湿布みたいに背中に乗せようと思って。」
「それなら寝てる間にずれるだろう?」
「大丈夫。テープで止める技もあるから。」
「手伝おうか?」
「結構です。」
真生はそう言って笑った。
「そうだ、健一さん。押し入れに布団があるから出して。」
真生は健一を押し入れの前に連れて行った。押し入れから布団を取り出すと、奥から隆一が置いていったスウェットが出てきた。
「あっ、」
他のものはみんな捨てたのに、これを捨てるのを忘れていた。真生がそのスウェットをただ黙って見つめていると、
「風呂入ってくるわ。」
健一はそれを持って浴室へ向かおうとした。
「あの、」
「何?」
「そっちじゃなくて、こっち。」
真生は浴室を案内した。
急に蘇ってきた隆一の思い出が、一気に自分を縛り付ける。自分だけ、前に進んじゃいけないんだ。
真生は膝を抱えると、顔を伏せて目を閉じていた。
「入らないの?」
健一が戻ってきた。
「私は帰ってきてから入ったから。」
真生は顔を上げた。
「やっぱり、塗り薬塗ってやろうか?」
隆一のスウェットをきた健一は、隆一とは全然違うのに、隆一が近くにいるようだった。
〝全部真生が悪いんだ。〟
〝たまに会える時間がだんだん重くなってきた。〟
〝これ以上一緒にやっていく自信がなくなった。〟
隆一の言った言葉が上からあびせられる感覚を感じると、真生は耳を塞いだ。
〝もっと相手を思ってくれたら、別の女の所なんて行かなったのに。〟
〝お前が嫌いになったから、別の女の所へ行って何が悪い。〟
「真生ちゃん?」
健一は真生の肩を揺すった。
「痛てっ、」
「ごめん、大丈夫?」
「あっ、うん。こっちこそ、ごめんなさい。」
「もしかして、彼氏いた?泊まったりして怒られるかな?」
真生は首を振った。
「元彼はこの前、亡くなったの。これを捨てるの、忘れてた。」
真生は健一が着ているスウェットの袖をつまんだ。
「寒くなったね。やっぱりストーブつけようか。」
健一はそう言ってストーブをつけた。
それから2人でどうでもいい話しを明け方まですると、眠くなったと真生は隣りの部屋のベッドにもぐり込んだ。
健一はリビングに敷かれた布団に寝ていたのか、真生が昼近くに起きると、布団がきれいに畳まれて、楽しかった、とメモが置かれていた。