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第2夜①

「あら、宰相の君。何かいいことがあったの?」


『寛高』と名乗る協力者を得た翌朝は、傍目にも上機嫌に見えたらしく、沙那は、年嵩の女房たちから何度か声をかけられた。


「ええ、少し」

「恋人ができたとか?」

「違います!」


 文使いの童から受け取った手紙に目をやりながら言葉少なに答えると、はにかんでいると思われたのか、妙な勘繰りばかりされる。

 詳細を言うわけにはいかないからとぼかして答えれば勘繰られ、むきになって言い返せば『純情ね』と笑われるなんて、彼女たちには一生敵う気がしない。


「遅くなって悪かった。ここが、お前の局か」


 そんなやりとりを何度も繰り返していれば、文で訪問の約束をした二日後の夜に、訪ねてきた寛高を素直に迎えられなくなっていたのも、ある意味で当然だった。


「……やっぱり、外で話しませんか?」

「駄目だ。人に聞かれたらどうする」

「それはそうですが」

「なんだ、緊張しているのか? お前との逢瀬ではないと言っただろう?」

「っ、緊張なんてしてませんっ!」


 周りから揶揄われすぎたせいで、まるで本当の『逢瀬』のように気恥ずかしく感じてきていた――その図星を突かれた羞恥から、沙那は自ら御簾を巻き上げると、寛高を内に招き入れた。

『私は彼の訪れをこれっぽっちも意識してなんかいない』という姿勢を、どうしても彼に向かって示さねばならないような気になったのだ。言ってしまえば、ただの意地である。

 彼を待つ間は書き物をしていたから、高坏灯台にはまだ火が灯っていて、月明かりの下よりも明るく互いの姿が照らし出された。


「……なるほどな」

「どうかしましたか?」

「いや。明るいところで見ると、女御にはあまり似ていないなと思って。……おい、顔を隠すな。減るものでもなし」

「減ります!」


 慌てて手元の檜扇で顔を隠しながら、沙那は喚いた。

 宮仕えをしていれば男性に顔を見られることは避けられないが、そうは言っても、ここまで間近でまじまじと見られたことなど、これまではなかった。見られることで確実に『何か』は減るはずだ、沙那の心の平安だとか。

 なんと無礼な男だろうと、寛高のことをじっとり睨みつけて――そこで初めて、沙那は違和感に気づいた。


「……女御さまのことも、随分ご存知なんですね?」


 寛高は、沙那の顔を見て、『女御にはあまり似ていない』と述べた。つまり、彼は『女御の顔』を知っている。帝の妃である女御が人前に姿を現すことなど無いというのに、彼はどこで『女御の顔』を知ったのか。

 訝しむ沙那の疑問に、彼は肩を竦めて答えた。


「女御ともかれこれ長い付き合いだからな」

筒井筒(おさななじみ)というやつですか?」

「その言い方は止せ」

「ごめんなさい。軽率だったわ」


 何気なく尋ねれば、即座に否定される。

 確かに、『ずっと一緒だった幼馴染同士が結婚する物語』は、主上の女御(ひとづま)となった紗子と彼との関係を言い表すにはそぐわないかもしれない。寛高だって『女御に恋慕している』などという噂を立てられたら堪らないだろう。


「私はあの子に男友達がいると知らなかったから、驚いたの。これまでもらった文にも書いていなかったし……」

「文か」


 紗子とは沙那が十になる年まで一緒に暮らしていたが、その時には彼女に男友達がいなかったことを、沙那は知っている。

 そうすると、寛高は、おそらく紗子が左大臣邸に移ってから知り合ったのだろうが――娘を東宮妃にしようとして引き取った左大臣が、いくら童とはいえ、他の男子を近づけるような隙をみせるだろうか?

 考え込む沙那には構わずに、寛高は、彼の知りたいことを淡々と確認していった。


「女御から悩みを打ち明けられたことは?」

「『周囲の噂話』なら頻繁に。でも、『悩み事』と言われると、覚えがないわね。あの子は、あまり自分の話をしないから」

「……そうだな」

「あなたこそ、女御から何か相談されなかったの? 失踪の原因に心当たりは?」

「女御がいなくなった夜は、ちょうど帝と女御の間にちょっとした諍いがあってな。女御は、夜半に夜御殿を飛び出した。……それっきり、行方知れずだ」

「『諍い』って、どんな?」

「それは言えない」


 途端に口を噤む寛高を見て、苛立ちが湧く。

 彼にも蔵人として主上の事情を明かすわけにいかない立場はあるのだろうが、そこまで中途半端に教えておいて、気にするなと言われても無理だ。


「夫婦喧嘩が原因だったってこと? あの子が機嫌を損ねて家出をした、と」

「最初はそう考えていた。左大臣邸か別邸か、ゆかりの寺にでも籠もっているのだろうと」

「でも、違った」

「ああ。女御自身がどう思おうが、左大臣は娘に勝手を許すはずがない。ゆかりの場所にいるなら、すぐに左大臣に連れ戻されただろう」

「それは確かに」


 寛高の左大臣評は、手厳しいが的確だ。

 彼の言う通り、あの左大臣が主上の寵愛を受けた娘を逃がすとは思えず、左大臣が紗子に『お前が我慢すればいいだけだろう』と言い聞かせて内裏に送り返す場面は容易に想像できた。


「書き置きとか、何か手がかりは無かったんですか?」

「歌の書き置きがあった。『ただわび人の袂なりけり』とだけ」


 それは、さる高名な歌人が、母の死について詠んだ歌の一節だ。

 雨に濡れた紅葉に、自分の涙に濡れた袖を重ねて詠まれたもので――。


「――『私の心は血の涙を流している』ってことですか」


 深い失意と絶望を表す哀しい歌だった。

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