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今は亡き家族に贈る平和譚

作者: 栗谷

 瞼を貫通するほどの眩しすぎる日光によって僕は目を覚ました。窓を覆うカーテンが穴だらけのせいで、日が昇ると否が応でも起こされるのだ。

 こんなに明るくてはもう寝むれそうにない。僕は二度寝という名の現実逃避を諦める。

 使い古した羽毛布団を嫌々退かし、少しため息を吐いてから体を起こした。もはやカーテンとしての役割を果たしていない布切れをレールの端に寄せてから、腕を大きく広げて大量の赤外線で体を温める。

 肌寒くなってきたこの時期は、太陽の温もりが特にありがたく感じられる。おかげでさっきまでの憂鬱さは眠気と共に霧散した。太陽の熱を心地よいと感じれる距離に地球があって良かったと心から思った。

 そんな中、視界の端にちらちらと光るものが見えた。光源の方に目を向けると、その正体が戸棚の上に置かれている写真立てであるとわかった。ガラスが日光を反射していたようだ。長年紫外線に晒されたせいで色褪せ青っぽくなった写真には、僕と両親と弟がピースサインをしている姿が写っている。もう十年も大切に持っていたのだから、色褪せるのは当たり前のことだ。


「みんな、僕は元気にやってるよ」


 僕は遠くに行ってしまった三人を思いながら、小さく呟いた。





 その後僕はキッチンに向かい、朝食を探すために冷蔵庫を物色し、その中からひじきの煮物がいっぱいに詰まった容器を取り出す。隣に住むお婆さんがくれた手作りの煮物だ。

 正直に言うと飽きてきているのだが、貴重な栄養分なので、文句を言いそうになるのを堪え、ありがたくいただくことにした。

 僕は所々が欠けた箸を使って、食べたい分だけを容器から取り出し小鉢に移した。今使った箸と小鉢も隣のお婆さんがくれたものなので、僕の朝食はお婆さんがいなければ成り立たないことになる。

 食材を採ってきてくれた誰かと隣のお婆さんに感謝しつつ、飽きるほど食べたひじきの煮物に箸をつけた。

 美味い。飽きてはいるが美味いものは美味い。お婆さんの作る料理が美味いのはどの時代でも共通なのだろうか。今度またお礼として、お米をお裾分けしようと心に誓った。

 僕がひじきの煮物の味を噛み締めていると、布団の横で寝ていた白い大型犬が僕の方に小走りで近寄ってきた。こいつの名前は『アロ』。アロと出逢った時、僕もこいつも独りぼっちだったので、英語の『アローン』からとってそう名付けた。

 アロを見つけた時、首輪はついていたのだが飼い主が見つからなかったため、アロが元々どこに住んでいて、何歳の何の犬種なのかは不明である。ただ特徴から推測するに、おそらく秋田犬か、それとなにかの雑種で、年齢は大体十歳前後といったところだろう。

 舌を出して僕の方を見つめるアロの頭を撫でてやると、アロは嬉しそうに目を細めるのだが、その姿がなんとも可愛いらしい。

 僕は事前に焼いておいた肉を餌皿に乗せてアロの前に差し出した。アロは待ってましたと言わんばかりに目の色を変え、がつがつと食いついた。先程の可愛い顔が嘘のように獰猛な獣へと姿を変えるのを見ると、少し複雑な気持ちになる。

 アロはものの数秒で肉を平らげ、舌で歯についた食べかすを取り除いて食事を終了した。僕もアロに続くようにそそくさと食事を終えた。

 食休みもそこそこに、僕はアロにリードをつけてぼろぼろのアパートを出た。散歩のついでに食料調達をしに市場に向かうのだ。散歩が大好きなアロは、僕を引っ張ってどんどん前に進んでいく。僕は躓かないように気をつけながら何とかアロについて行った。




 散歩の途中、僕は何気なく周りを見渡してみた。倒壊したビル、よく分からない草に覆われた戸建て住宅、一箇所に集められた大小様々なコンクリートの瓦礫が僕の視界のほとんどを埋める。

 人類総出の大喧嘩の成れの果て。まさに絶望そのものだ。

 そんな惨たらしい風景の中で、真新しい仮説住宅で暮らす一つの家族が目に入った。父と母とその子どもの少年の合計三人家族。三人とも少し痩せてはいるが、その表情に曇りは一切感じられない。

 僕らを見つけた少年は、喜びに満ちた笑顔を浮かべながらこちらに駆け寄ってきた。


「わあ!わんちゃんだ!ねえねえ、触っても良い?」


 少年は純粋な眼差しで僕を見つめる。その瞳には、かつての僕のような悲しみや苦しみは見当たらなかった。


「触っても良いか、アロ?」


 僕がアロに問いかけると、アロは嬉しそうに尻尾を振って少年に近づいて行った。

 少年は短い腕でアロを目一杯抱きしめ、体をわしゃわしゃと撫でた。アロも嬉しそうに少年に身体を預ける。その光景はまさに、僕にとっての幸せそのものだ。

 少年はアロと一頻り戯れた後、手を振って親の元に戻って行った。アロは名残惜しそうに少年を見つめていた。

 明日からはなるべくこの道を通るようにしよう。僕はそんなことを考えながらアロを引っ張って歩き出した。




 しばらく歩くと目的地の市場に到着した。この市場では食料、服、雑貨などだいたいのものは揃えることができる。この辺りに住む人はみんなこの市場を利用するため、ここは連日多くの人で賑わい、町の中心となっている。

 僕は自分とアロの三日分の食料を探して市場を歩き回った。目に付いた安価な野菜やアロのための骨付き肉などを購入した。久しく食べていなかったのでお米も買いたかったのだが、手持ちが足りず、泣く泣く諦めた。




 帰りの道中で、一匹の野良犬が向かいから走ってきた。野良犬の身体は乾いた泥で覆われており、口におにぎりらしきものの断片を咥えていた。意図せず道を阻んでしまった僕たちに対し、野良犬は鋭い歯を見せながら低い唸り声をあげてこちらを威嚇してくる。しかし歯に大量の米がへばりついているせいで、あまり怖くはない。

 少しすると野良犬の来た方から、くたびれたおじさんが「泥棒犬め!どこいった」と叫びながら不格好な体勢で走ってきた。近くの田んぼを管理する凡田さんだ。僕はいつも親しみを込めて『ぼんさん』と呼んでいる。

 事のあらましを理解した僕は、野良犬に道を譲ってあげた。野良犬はすぐに走り出し、少し行ったところにある茂みの中に消えていった。

 野良犬が見えなくなった後、ぼんさんが息を切らしながら僕の元にやってきた。


「おい、さっき口に米粒付けた犬見なかったか?」

「ええ?もしかしてアロのことですか?アロならここに・・・」

「お前と出会った時の話してるわけじゃねえよ。さっき野良犬によお、食べようとしてたおにぎりを取られちまったんだよ。ただでさえ疲れてんのにこんなに走らされてよ。さらには昼飯もねえなんて、これじゃあ畑仕事なんてできやしねえよ」


 悪態を着くぼんさんには悪いとは思いながらも、僕は不憫なぼんさんを見て思わず笑ってしまった。ぼんさんはあまりにも不憫な姿が似合い過ぎる。

 そんな僕を見てぼんさんは「笑い事じゃねえよ、まったく」とぼやいた。

 そういえばアロと初めて出逢った時もこんな状況だった。

 約五年前のちょうどこの場所で、家族を亡くし行く宛てもなく彷徨っていた僕に、飼い主を失ったアロがおにぎりをくれたのが全ての始まりだった。

 その時アロの咥えていたおにぎりは、ぼんさんが食べようとしていたもので、さっきの野良犬のようにアロを追いかけていたぼんさんとも同時に出逢うことになったのだ。

 当時のぼんさんも、おにぎりを奪われたことに文句を言いつつ、お腹を空かせた僕とアロに自分のご飯を分けてくれた。ぼんさんは一見するとただ機嫌が悪いおじさんなのだが、実際は根が優しくて世話焼きな人なのだ。

 あの頃の僕は全てに絶望し、ただ死を願っていた。そんな僕にとって、アロやぼんさんの存在は生きる希望であった。それは今も変わっていない。

 アロとぼんさんのおかげで僕は、人生が絶望と希望の繰り返しなのだと気づけた。例え今死にたくなるような深い悲しみの中にいたとしても、いつか必ずささやかな幸せが訪れる。そう思えたことで、僕がどれだけ救われたことか。


「すいません、つい。僕もぼんさんの仕事手伝いますから、機嫌直して下さいよ」

「おっ、言ったな。そうと決まれば着いてきてもらおうか。若い人手が足りなくて困ってたところだ」


 がに股でどかどかと歩き出すぼんさんの後ろで、僕はぼんさんにも分かるように大きく咳払いをした。するとぼんさんは振り返り「分かってるよ。ちゃんと米は分けてやるよ」と仏頂面で言った。

 やっぱりぼんさんは優しい。

 僕は小さくガッツポーズをして、久しぶりのお米に期待を膨らませながら、アロと一緒に足取り軽くぼんさんに着いていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんだか大きな戦いがあったようですね。 そのあとを生きる数少ない人々が生活する姿。 震災のあとなどとも重ねて読みました。 犬とおにぎりというあまり聞き慣れない組み合わせになんだかほっ…
[一言] 主人公が置かれている状況がすべて書かれているわけではないのに、読むと彼のこれまでの生活が伝わってくるようでした。 特に食卓の所の描写が好きです。 つらい経験をしてきたであろう主人公が、周囲を…
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