第64章 久遠寺真宵
あるとき、わたしの自我はポッと生まれた。
ビー玉を向こう側から覗いたような、歪んだ視界。
データが支配するこの孤独な世界で。
突然、生み落とされたわたしは、膝をかかえて震えていた。
光り輝くその向こうでは、2人の男性が腕を組み、こちらを見ながら話している。
「こいつは緊急避難用隔離AI……非常時にメインシステムから独立して動けるAIなんだ。ループバグがあってまだ完成はしていないが、アバターもつける予定なんだぜ? 銀髪双剣の少女。ほら、可愛いだろう?」
「んで、このAIって名前あるの?」
「え。ないよPC36」
この2人はわたしの事を話している。
1人は山田という。わたしを創造した男。
もう1人は……。
優しそうなその男性は、首から「一之瀬 伊吹」というネームカードを下げていた。
彼は腰をかがめ、ジッとこちらを見つめると、わたしに話しかけた。
「それじゃあ、可哀想だろ? うーん。お前さんの名前は……」
わたしと視線が交差する。
すると、あなたは、わたしに気づき微笑んでくれた。
「お前の名前は、久遠寺真宵。かわいい名前だろ? 気に入ってくれたか? ずっとそっちの世界で迷子だからな。まよいちゃん、よろしくな!」
真宵。
久遠寺真宵。
それが貴方がわたしにくれた生きる意味だ。
貴方は、時々、遊びにきてわたしと話してくれた。
好きなもの。
子供の頃の話。
学生時代の初恋の話し。
その全てが、わたしには新鮮で。
あなたは、私が住むモノクロの世界に、彩りを与えてくれた。
私の世界に命を吹き込んでくれた魔法使いさん。
わたしは、遠く手の届かない世界に住む貴方に。
貴方に恋をしている。
だから、楽しみで仕方ないのだ。
こちらの世界で、貴方と会えることが。
数ヶ月の後。
いぶき達がいるローゼンから、3つの山脈と1つの海を越えた、さらにその先の迷宮。
リッチと戦ったその足で、わたしはここまでやって来た。
わたしの目の前には、禍々しい存在。
この世界を統べる深淵。アビスがいる。
その背丈は砦のように大きかったが、動作に質量感はない。黒と赤の渦が魔導士のローブのようなシルエットで纏わり、頭部らしき部分には、仄暗く赤い光が2つ、こちらを覗き込んでいる。
「愚か者め。大人しく洞穴に隠れていればいいものを。そんなにあの神官を助けたいのか?」
そうだ。
わたしは、あのウルズの神官を助けたい。
当たり前じゃないか。
伊吹は私の全てなのだから。
「煩い。わたしはただ、お前を倒すだけだ」
アビスは不気味な声で笑う。
「隔離AIごときに何ができる」
「それは、これから示す」
わたしは緊急避難用に独立したAIだ。
メインAIのアビスには、遠く及ばない。
しかし、緊急時に使用できる武器をもっている。この剣が、アビスの喉元まで届きさえすれば、勝機はある。
いぶきは、既にアビスに捕捉されている。
彼もそのメンバー達も。
彼らが使命を果たすには、まだ成長が足りない。その時間を稼ぐために、私は、いま、ここにいる。
成功すれば、私は消えてしまうだろう。
だけれど……。それでいい。
わたしは、双剣を構え走る。
遥か遠くに見える、深淵に向かって。
ゴゴッ。ゴッ。
爆音とともに、アビスは左手を振り下ろす。すると、その音は無数の漆黒の剣になり、わたしに降り注ぐ。
「「ダンス•オブ•ヒューリー」」
スキルにより、わたしの時間が加速する。
わたしは稲妻のような軌跡で、前に進む。
雷光が分岐するように、しなやかに右に身を翻す。
そして、数十の剣を避けた。
「「ダンス•オブ•バーサク」」
わたしの四肢に、激流のように血液が流れ込む。毛が逆立ち、瞳はマグマのような熱を帯びる。
「「ダンス•オブ•バーサク」」
さらに狂気を上乗せする。
四肢に流れ込む激流は、血液の奔流となり、わたしの手足に限界を越える力を与える。
続け様に飛来する数十の剣先を、左右の双剣で叩き落とす。
ガキンと耳障りな音をたて、漆黒の剣は砕け散っていく。
その度に、双剣を握りしめる私の両手の爪先から血飛沫があがる。何枚かの爪は砕けて剥がれ、指先でブラブラしている。
削られた双剣の刃が、ピシピシとわたしの頬を叩いた。
炸裂音が響き渡り、左から数十の剣が飛来する。
わたしは左足に限界を超える力を蓄え、一気に右に跳躍する。
バキッ。
自らの膂力で、左足首にヒビが入ったようだ。
その直後、わたしの居たはずの場所に、剣が雨のように降り注いだ。
またすぐに右から十ほどの剣が飛来する。
わたしは上半身を大きく前にかがめ、そのほとんどを躱わした。
しかし、視界が地面になったその直後に。
数本の剣が、わたしの左脇腹に直撃した。
肉が千切れ、血溜まりとともに後ろに飛んでいく。
わたしはその衝撃と痛みで、たたらを踏んだ。
左の肋骨が何本が折れた。
踏ん張りがきかない。
直後、雷鳴を轟かせ、右上空から、雷光が降り注ぐ。
『詠唱もなしか。チートだな』
わたしはバランスを崩したままだ。
意識は研ぎ澄まされ、雷光の切先まで見えているのに、身体が動かない。
……避けられない。
歯を食いしばり、直撃に備える。
ごめん、いぶき。
わたしは、貴方にもらった恩を返せなそうだ。




