第44章 メイフィス誘拐事件2
アイラは躊躇する。
「でも……」
「いいから、先に行きなさい! あなたの幼馴染なんでしょ?」
アイラは、いぶきの横を駆け抜けた。
廊下の奥から「やめて、やめて!!」という叫びが聞こえた。
メイの声だ。
通路を全力で走り、木の扉を開けると……
薄汚れた獣のような男がメイに覆い被さっていた。
アイラは叫ぶ。
「やめなさい!!」
男はメイの肢体を撫で回す手をとめて、こちらを振り返る。
「あぁ? おめえ何だ? なんなんだよ!!」
身体を起こした男の脇の隙間からメイが見えた。
メイは目尻には涙が溢れ、小動物のような瞳でわたしを見ていた。
男は救助が来たことを察したらしい。
腰に差したナイフの柄に手をかける。
アイラは、男に飛びつき無我夢中でメイから引き剥がした。
そして、メイと男の間に立ちはだかる。
実力から言えば、メイに守ってもらう立場な気はするが、メイは怯えきっていて戦えそうにない。
男はナイフを右手に構え、ジリジリとわたし達に近寄ってくる。
口元はニヤケ、増えた獲物を物色しているかのようだった。
こういう時に何をしていいか分からない。
しかし、何かしなければならない。
お互いの息が聞こえる程に近づいた時、わたしは男の左足を持ち上げ倒そうとした。
しかし、男はひょいと右後ろに重心をかけると、わたしの攻撃を難なく避け、そのままナイフの柄でわたしの左脇腹を殴る。
メキッ。
生まれてから聞いたこともないような鈍い音が、身体中に響いた。
「カハッ……」
音からほんの一瞬遅れて、苦しさと痛みが追いかけてくる。
きっとどのかの骨が折れたのだ。
男はそのままメイの方に行こうとしたので、アイラは追い縋って男の背中に抱きつく。
男はアイラを振り払おうと身体を左右に振ったが、アイラが必死にしがみ付くので思うようにいかずに苛つく。
「もう、お前はいらねーや」
そういうと男は背を向けたまま、ナイフをアイラの右太ももに突き刺した。
筋肉を引きちぎる感触がナイフ越しに伝わり、男は恍惚の表情を浮かべる。
「こっちの感覚もたまんねーな。こいつは人質じゃないし、殺しちまうか」
男のナイフをアイラの太ももから抜くと、正面で構えなおし振り下ろす。
アイラの眉間に突き刺さる寸前、ノアといぶきが部屋に飛び込んできた。
ノアの状況判断は早かった。
メイとアイラを見渡すと、すぐにアイラの左側から自分の身体を差し入れ、右手で男の右手首を掴むとナイフの軌道を逸らす。
そして、その反動を利用し、グイッと男の右腕を一気に反時計回りにまわして、男を引き倒した。
男は腕を固められ身動きがとれない。
ノアはその体勢のまま怒鳴る。
「お前、メイに何かしなかっただろうな?」
男はニヤニヤしたがら答える。
「さーな。まぁ、あいつが戻ってきたら、お前ら全員死ぬんだからな。あれには普通の人間は勝てねー」
いぶきは、アイラの怪我を診ている。刺創はかなり深い。
メイも打撲痕や擦り傷が無数にある。きっと、ひどい扱いを受けたのだろう。
いぶきは、両手を胸の前で組み合わせ、回復の加護を願う。
「……さぁ、運命の女神よ。旅人に幾許かの猶予を与え給え。永 劫回帰」
すると、アイラとメイの傷に光が集まり、傷がみるみる消えていく。
「ハァハァ……」
いぶきは、ひどい息切れと目眩で倒れそうになった。
ノアは、男を押さえたまま申し訳なさそうしている。
「悪い。おれが大怪我しちゃって奇跡を何度も使わせたから……」
いぶきは気丈に微笑みながら答える。
「全ては、女神ウルズの思し召しです。もし、感謝なさるなら、この入信届に是非ご署名を……」
いぶきが、用紙を探して道具袋に手を突っ込んでいると。
ゾク……
周囲に障気が立ち込める。
かなり高位のアンデッドが近づいている。
神官のいぶきは、この中の誰よりも障気に敏感だった。
直感的に危険を感じ、ジャスパー教授からもらった小瓶を飲み干す。
すると、いぶきの身体が淡く光り、みるみる神聖力が回復するのがわかった。
その様子を見たノアも警戒する。
アイラとメイは抱き合って心配そうにしている。
いぶき達がきた方向から、冷気が立ち込める。
ノアが、いぶき達3人に目配せする。
『くるぞ』
次の瞬間、所々擦り切れたローブを纏った何かが、仄暗い眼でノアの顔を覗き込んでいた。
ノアは全身に悪寒を覚える。
『リッチだ』
アンデットの上位種で、死しても尚、生前の記憶やスキルを持ち続ける存在。
本の知識としては知っているが、実物を見るのは初めてだった。
反射的に後ろに飛び退き、腰に差した剣の柄に手を置いた。
剣を抜き青眼に構えると、相手に問いかけることなく、そのまま切りつける。
リッチは何か呪言のようなものを呟くと、ノアの剣撃を意に介さず、右手でノアの額に触れた。
すると、リッチの指先から黒い霧のようなものが、ノアに伝う。
霧に触れた部分は、生気が奪われていく。若々しく色艶の良いノアの肌は、みるみる老人のそれになっていった。
ノアはうずくまり、身動き一つとれない。
あまりの光景に、いぶきは立ちすくんだ。
『呪いだ。しかもかなり強力な。どんどん魂が喰われている。今すぐに解呪しなければノアは助からない』
いぶきは、意を決して目を閉じると両膝をつき手を組んだ。
周囲には円環陣が展開されている。祈りをささげ、解呪の言葉を唱えはじめる。
「呪いに伏しても尚、歩み止めぬ旅人よ。汝の望みは……」
リッチは神聖力の高まりに気づき、ターゲットをいぶきに変えた。右の掌をグッと開き、仄暗い闇にいぶきを飲み込もうとする。
———詠唱が間に合わない。
しかし、いぶきは目も開けずに手も崩さない。
中断すればノアが死んでしまう。
リッチがいぶきに触れる寸前———。
いぶきの左手首のブレスレットが青白く光り、三日月ヘッドが砕け散った。
あかりがくれたブレスレットだ。
光を帯びて飛散する破片に警戒し、リッチは手を退けた。
「…… 神の泉を見守りし織姫よ。かの者に再び立ち上がる力を与え賜え。神 泉 回 帰」
いぶきの詠唱が完成すると、ノアの周りを囲むように、光の大樹が出現した。そして、大樹は呪いを吸い尽くすと、音もなく消えた。
いぶきは考える。
さっきノアの剣撃は通じなかった。おそらく、物理攻撃は効かないのだろう。
どうする?
脳裏に、あかりの話が過ぎる。
琥珀のジジイに教えてもらったらしい詠唱の話し。
完全詠唱と簡略詠唱。
そして、第3の詠唱形態。
【即興改変】
できるか分からない。
でも、やるしかない。
相手が不死者なら黒蘭回帰を基礎にして……
いぶきは、慎重に言葉を紡ぎ始める。
「……黒い焔よ。黒蘭を焼き尽くせ……。汝の望みは、我が糧にして。……汝の命は我が力として。その愚かなる迷いに相応の報いを。……黒蘭よ舞い散れ。黒 蘭 焔 剣」
空に黒い焔が現れ、ノアの剣に絡みつく。
どんな効果があるかは、いぶき自身にも分からない。
黒い焔はアンデッドに効かなそうな気すらする。
しかし。
———ハッタリの材料くらいにはなるかも知れない。
いぶきは堂々を装い話す。
「死者の王よ。我が黒焔に焼き尽くされたくなければ、この場を立ち去るのだ」
リッチは、その容姿とは不釣り合いな楽しげな口調で話しはじめた。
「フハハ……。ここでウルズの神官に出会うとは。加護の改変ができるということは、高位の神官か。運命とは皮肉なものだ。ここはそなたの忠言に従うとしよう。我が名は、エミル•フォーゲル。いずれまた会うことになろう」
そう言い残すと、リッチは暗闇に溶けるように姿を消した。
リッチが居なくなると、いぶきたち4人は安堵で座り込んでしまった。
アイラとメイは寄り添って座っている。
メイは、アイラの上着の裾をギュッと掴んでいる。
ノアはこちらを見ている。
『きっと、私を見直したのだな。……チッ。空気が読めない骸骨のせいでウルズ教に勧誘し損ねた』
ほどなくして、ジャスパー教授たち学校の救助隊がかけつけてくれた。
いぶきが外に出ると、身なりの良い男が力無く連行されていた。
男はジャスパー教授を見ると、足を止めて身勝手な言い訳をしている。
その声を聞いたメイは、目を固く瞑りビクッとした。
アイラは心配そうに、メイの手を握る。
…… イジメの件は、きっともう大丈夫かな。
きっとあの男が今回の主犯なのだろう。
政治問題にしないために、直接、騎士団に引き渡されるようだ。
今回の顛末については、後日、改めて報告することになった。今日のところは、このまま解散らしい。
いぶきは、とぼとぼと女子寮への帰路につく。
口を尖らせて思うのだった。
『あーあ、ブレスレット壊しちゃった。気に入ってたのに。あかりに怒られる。でも、守ってくれてありがとう』




