第37章 ユリウス剣魔大学
「ノア様…」
ノアは侍女の呼びかけで目を覚ます。
起き上がると手早くローブを脱ぎ捨て、侍女が用意したハチミツを塗ったトーストとフルーツで簡単な朝食を済ませる。
そして、居室に備え付けの洗面台で身なりを整えると、コートを羽織り首にタイを締め大学に急ぐのであった。
王宮の廊下では、贅沢に金をあしらった柱の陰に何人かの貴族が出待ちをしており、王家に取り入ろうと世辞を言ってきたり会釈をしてくる。
今日はいないが、中には自分の娘を連れてきて色目を使わせる者すらいる。
『毎日のことだけれど、慣れないよな〜。これ』
さっき整えたばかりの髪をグシャグシャしながら歩く。
幸い、背格好や容姿はほぼ元の世界のままなので違和感はなかった。
しかし、違和感だらけなのは、この生活だ。
現実の俺は、父がイギリス人ということを除けば、ごく一般的な家庭で育った。
普通の大学にいき、将来は自衛官になりたいと思っていた。
ところがある日、今回の騒動に巻き込まれた。
多くのテスターは普通に街や村から始まったが、中には僻地からスタートしたり、NPCと家族として始まった者もいる。俺もその中の1人だった。
ただ少し違うのは、父親が王様ということだ。
そのまま廊下を歩き、王宮の南口から建物の外にでる。
ここノルン城は、かなり規模の大きなお城で、王宮の他に、大学や兵舎、牢獄に貴族の邸宅なども敷地に点在する複合施設だ。
王宮を出て大学に向かう。
「よっ、ノア。おはよ」
途中、何人かの学友とすれ違うが、皆、気兼ねなく声をかけてきてくれる。
春から通っているユリウス剣魔大学は、剣技コースと魔法コースに分かれており、さらにそれぞれが貴族クラスと平民クラスに分かれている。
俺はその中の、剣技コース(貴族クラス)の1年生だ。
演習はコースやクラスごとだが、共通科目については自由に履修を選択できる。
いつもの席につくと、隣の席の友人が話しかけてくる。
「なぁ。ノア。今日、研究生が2人入ってくるらしいぜ。女の子だってよ。かわいいのかなー」
ため息をつき、思うのだった。
『どーでもいいだろ。どーせNPCだろ?』
すると、始業ベルがなり呪詛学のジャスパー教授が教室に入ってきた。続いて黒髪の少女が1人入ってくる。
「えー、講義を始める前に連絡事項がある。今日から研究生2人が皆と合流する。こちらは、あかり君だ。もう1人は……。あれ? さっきまでいたんだがな。とりあえず君、自己紹介をして」
「わたしは、あかりと言います。職種は仏士です。
短い間ですが、皆さんとご一緒させていただきます。よろしくお願いします。もう1人いるんですが……。いぶきちゃーん」
すると、パタパタともう1人入ってきた。どこかで転んだらしく、制服が乱れ額は赤くなっていた。
「ハァハァハァ……。私は、いぶきです。よろしくお願いします」
あまりにも簡潔すぎるので、促されて自己紹介を続ける。
「ハァハァ…、職業は神官服です。ウルリュの」
あの人、噛んだ。
そこら中で笑いが漏れる。
見かねた教授が、屈託のない笑顔で割って入る。
「いぶき君は神官だ。服じゃないんで皆よろしくな。お前らくらいの歳で高位神官には、なかなかなれるもんじゃない。
2人とも逸材だ。運がいいぞ〜。勉強させてもらえ。お前ら。じゃあ、今日の講義に入る」
教授は、2人に空いている席につくように目配せすると板書を始める。
「来たばかりの2人もいるので、軽く復習から始める。
まず、呪詛とは? そこの寝てるお前。答えろ」
寝ていた学生は、指されてもまだ寝ている。
隣の席の女子に揺すられてようやく起きた。
「あ? はい? すみません。聞いていませんでした……」
教授は嫌味なく笑う。
「聞いてなかったじゃない。起きていなかったの間違いだろう?」
教室にドッと笑いが起きる。
そう。ジャスパー教授は、生徒を無意味にいびるような非生産的なやり方はしない。
寝ている生徒でさえ、掴みに利用する合理的な性格だ。
だからこの講義は人気がある。
「んじゃあ、親切に起こしてあげた君。呪詛とは?」
生徒は、やや困惑気味に答える。
「呪詛は呪いです。人を不幸にしたりとか」
「ん〜。50点。他には? わかるやつはいないのか? まじか? こんな答えしか出てこないと先生泣くぞ? ……ここは期待の新人あかり君に頼ろうかな?」
あかりはびっくりしている。
「あの〜。わたしですか? ……呪は、例えば般若心経にも呪という概念が出てくるんですが、三蔵法師は、敢えてこの呪文については、音を残し翻訳しませんでした。
つまり、それは文字の響き自体に、神仏に通ずる効果があるということで……あれ?
自分で何を言いたいか分からなくなっちゃいました」
あかりは舌を出して照れ笑いをする。
「仏教からのアプローチか。視点としては悪くない。たしかに、般若心経や法華経のダラニでも、呪という概念が出てくる。
せっかくだから、そこから話をひろげようか。
あかり君の話から見えてくることは、呪には本来、善悪の色がないといことだ。
ほら、呪は『まじない』とも読むだろう? じゃあ、詛は?
この字の右側の且は、象形文字で諸説あるが、台の上に供物が何重にも重なる形と言われている。それに言の組み合わせだな。
かさねて何度も言うこと。そこから『誓い』という意に転じた。つまり、神に誓いをたて、その恩恵を得ることを『呪詛』と定義し、その実践と理論を研究する学問が、呪詛学だ」
あかりは何か言いたげだ。きっとクラスに馴染んでいたら何か反論したのだろう。
いぶきは、眠そうにしている。
ノアはこの会話にはあまり興味がなかった。
それよりも数席離れたクラスメイトの様子を見ている。
ある女生徒が、数名でニヤニヤしながら前の席の女生徒を机の下で蹴っている。
しかも、足跡がつくようなやり方でだ。蹴っているメイは貴族で、蹴られているアイラは平民の生徒だ。
メイは銀髪に近い金髪で、少しキツめだが、整った品の良い顔立ちをしている。
その品の良さが今の蛮行を、より下劣に感じさせた。
『イジメだ』
ノアは元々正義感が強く、こういうことがすごく嫌いだった。
『やめさせるか。しかし、王族の俺が口を挟むと、あの子が余計にイジメられるのではないか』
ノアの目が届く範囲ならなんとかできる。しかし、トイレや女子寮など、目が届かない範囲ではどうすることもできない。目を背けるべきか。
ノアが迷っていると……。
「パシン!!」
突然、何かを叩く音が教室に響きわたった。
ノアが振り向くと、さっきまでイジメていたメイが、上を見上げ頬を押さえている。
その傍では、いぶきが立ち上がり、メイを見下ろしていた。




