第35章 フレイのお師匠
サイの娘のフレイはすっかり元気になった。
元気になれば、動き回りたくなるのがお子様の性である。
フレイも例には漏れず、あちこちに隠れてみたり物を壊しては、フローラが追いかけ回している。
そんなフレイだが、先日の一件以来、妙にいぶきに懐いてしまった。
今日も小判鮫のように、いぶきについて回っている。
首都のローゼンまでは10日の旅程だが、途中、水や食料、物資の補給のために寄港をする。
そのため、ル•マロンは、今はポートタウンという港町に向かっていた。
いぶきはサイに呼ばれ貴賓室に来ていた。
ポートタウンでサイ夫妻は用事があるということだった。
フレイは船室での留守番を断固拒否したらしく、サイは、いぶきに付き添いを頼んだのだ。
確かに、やんちゃ盛りは何をしでかすか分からない。
いぶきもポートタウンには興味があったので、引き受けることにした。
……もちろんお小遣い目当てということもある。
それからしばらくすると、ポートタウンの桟橋が見えてきた。
やがて、船は減速し船首を回転させると波の穏やかな泊地で碇を下ろす。
フレイは船室の窓からその様子を覗いていたところ、サイに声をかけられた。
「大きな船は桟橋に近づきすぎると危ないから、少し離れたところで待つんだよ」
フレイは少し不思議そうな顔をする。
「どうやって降りるの?」
すると、ちょうど碇泊作業が一段落したらしく、乗組員の叫び声が更に慌ただしくなる。
桟橋から柑橘類や水を満載した小型のボートが近づいてきたのだ。
その様子を見ていたサイは、フレイの肩を抱き寄せた。
「さ、私達も行こうか」
いぶきとあかりも連絡船に同乗させてもらう。
あかりは、街で何かの用事があるらしく、接岸するとさっさといなくなってしまった。
戻りの連絡船は夕方に出る予定だ。
サイ夫妻もいぶき達との待ち合わせ時間を決めると「娘をウルズ教に勧誘しないように」と言い残し、そそくさと馬車に乗り出発した。
別れ際に言うことは他にあるだろう、といぶきは思う。
取り残されたフレイに、いぶきは聞いた。
「フレイちゃんは何がしたい?」
てっきり雑貨や服を見たがるのかと思っていたが、どうやらフレイは魔法が習いたいらしい。
いぶきは悩む。
たとえば、いぶきの加護や(手品じゃなく本物の)奇跡は、神聖力ともいえるものを主神に捧げることによって成立する。あかりの場合は法力だが、大まかな構造は変わらない。
それに対し、魔法は、己の潜在意識を操作し、魔力を媒介として事象に介入する術なのだ。
管理の便宜上、神聖力や法力を魔力と呼ぶこともあるが、大元になるエネルギーが違う。
そのため、いぶきは魔法が使えない。
前に、『魔法少女になりたい!』と思い、魔法を教えてもらったことがあったが、ダメだった。
フレイにどう説明するか。
この希望に満ち溢れるキラキラした瞳を前にして『無理です』とは言いにくい。
ウルズ教に入信させれば、簡単な奇跡くらいなら使えるかも知れないが、サイさんに釘を刺されてしまった。
するとタイミング良く、背中の曲がったお婆さんが独り言を呟きながら、いぶき達の脇を通り過ぎていった。
「ポートタウンの岬にわねぇ。昔のこわーい海賊さんが住んどんのよ。こわーい、こわーい」
いぶきは、この婆さんのNPC然としすぎている日常を観察したい衝動に駆られたが、グッと堪えて、このチャンスを最大限に利用することにした。
「フレイちゃん! 海賊だって! いってみない?」
フレイも興味を持ったようで「行く!」と言ってくれた。
海賊については、ちょうど数日前に話題に上がったのだ。
サイがいうには、ルンデン王国の海賊は壊滅状態でここ数十年は出没していないらしい。
ポートタウンの治安もいいようだし、心配はないだろう。
「私の手に掴まって」
いぶきは、フレイの手を取ると歩き出す。
岬までは海岸沿いの岩肌を10分程歩いた。
フレイは元気だが、運動不足のいぶきは息が上がっている。
岬から街を眺めると、火照った左頬に冷たい海風が当たり気持ちがいい。
白壁の家々に、真っ青な海。
渚には白波が立っている。
岸壁を吹き上げる海風にのって、何かの甘い香りが鼻先をかすめた気がした。
「フレイちゃん。海の甘い匂いがしない?」
フレイは、海は甘い匂いじゃないよ〜とケラケラと笑っている。
——さて、どうしよう。
適当に散策して帰るか。
でも、まだ帰るには早すぎる。
そこで、いぶきはフレイを驚かそうと作り話をはじめた。
作り話だけど、少しは本当の話し。
この世界では嘘かもしれないけれど、いぶきの世界では本当かもしれない話。
「フレイちゃん。私達、いまずっと手を繋いできたじゃない? どうしてかわかる?」
フレイは顔を横に振る。
「波のお化けがね、子供が1人で歩いていると、連れ去っちゃうんだよ。だから子供が海辺の岩場を歩くときには、大人と手を繋いでいないといけないんだ。私が手を離したら〜」
いぶきは、ふざけてフレイの手を離す。
すると、いや、あり得ない。
ここは内海で穏やかな湾の中なのだ。
なのに、急に大きな波が起こりフレイをどこかに流してしまった。
いぶきの指先には、フレイの体温だけが残った。




