第29章 定期船「ル•マロン」
いぶきはハイネの桟橋にいた。
背中から穏やかな風が吹き抜け、髪の毛が乱れる。
もうすぐ朝凪だろうか。寄せては返す波の音が心地よい。
髪の毛をかき上げると、あかりが走ってこちらに来るのが見えた。
あかりハァハァ言ってパタパタ走ってくる。
「いぶきちゃん、置いていくなんてひどい!」
あかりはむくれている。
もちろん置いていくつもりなんてない。
いぶき達は2等船室なので、早く着て乗船券を買う必要があったのだ。
いぶき達が乗る船は、木造で全長は80メートルほどあり、4本のマストを持つ。
船首には「ル•マロン」と船名が描かれている。
定期船の割には豪華な造りのガレオン船だった。
いぶきは、あかりの機嫌を直すために乗船券を見せる。
すると、事情を察したらしく機嫌を直してくれた。
「いぶきちゃん、知ってる? この船、なんでも偉い人が乗る予定らしいよ。それで豪華なんだって。わたし達もこんな船になってラッキーだったね」
「ふーん、確かに下々の船にしては豪華だもんね。んで、誰が乗るの?」
「わかんないけど、王族の人らしい。係員のおじさんが言ってた」
名探偵ばりな、あかりの日常も気になるが、王族のような人が一般の定期船に相乗りすることが意外だった。
なんかプライベートジェット的な感じのでいくんじゃないのかな、といぶきは思うのだ。
係員に乗船券を渡し、船に乗り込む。
ローゼンにつくのは10日後の予定らしい。
いぶきは、桟橋と船を繋ぐ渡し板に立つと船を見上げた。
海賊映画に出てくるような豪華な帆船。
この世界に閉じ込められたのは災難だが、これを見れるのは、まんざらでもない気分だった。
船尾楼側の入り口から船内に入ると廊下を挟み船室があった。
道中でのトラブルを避けるために男女は基本は別室になっている。
いぶき達の部屋は4階建の3階部分で、2等の相部屋だった。
船室は必要最低限の簡素な作りで、部屋には何列かの2段ベッドと、開閉式の小さな丸窓がある。
いぶき達が部屋に入るとまだ他に人はおらず、2人は窓に近いベッドを陣取った。
いぶきが下段のベッドで荷解きをしていると、あかりが上段から覗き込む。
「2段ベッドだー! わたし一人っ子だから、こういうの憧れてたんだよね。わたしはおねーさんだから上の段ね! ね、後で船内を見て回らない?」
いぶきは、おねーさんの割には随分大はしゃぎだな、と思いながら頷いた。
出航してしばらくたってから、2人で船内を見学する。
2階には簡素な食堂があり、そこで食事をとることもできる。
売っているのは、硬く日持ちのしそうなパンや干し肉等だったが、短期間ならば問題ないだろう。
4階にも行きたかったのだが、タッセルのついたロープがかかっており入れなかった。
今度は右舷の方にいってみた。
海を眺めてみると、遥か彼方にはハイネが見えている。
海面は、粉雪のように細かくキラキラしていて美しい光景だったが、堪能するにあたり、問題が一つ生じた。
船酔いだ。
いぶきは激しい吐き気を催し、トイレ経由でそそくさと船室に戻る。
そういえば、現実世界でも、いぶきは船酔いする体質だった。
『こんなところも無駄にリアルなのか』
布団で毛布にくるまりながら悶えていると、あかりが水を持ってきてくれた。
「いぶきちゃん、大丈夫? 何かお腹にいれる?」
いぶきは毛布の中から、少しだけ顔をだして首を横に振る。
『せっかくお腹を空っぽにして初期化したのに、再生産させる気か‥‥』
帆船の特性上トイレは船首側にある。
遠いし寒いし揺れるので正直行きたくない。
というか、トイレに行くためにさらに酔ってしまう‥‥。
あかりは「ちょっと薬をもらってくる」と言い残すと、パタパタと部屋を出ていった。
いぶきは瞼を閉じるとそのまま眠りについてしまった。
‥‥‥。
あれから、何時間くらい経ったのだろう。
丸窓を開けて外を見てみる。
すると、窓の外は既に夕焼けでオレンジ色になっていた。
数時間眠ってしまったらしい。
いぶきは、ベッドの上段に声をかけてみるが返事がない。
重い身体を起こして上を見てみるが、あかりは居なかった。
トイレでも行ったのだろうと思い、30分ほど待ってみるが、戻ってこない。
すごく気になって、船内の入れる場所は隈なく探したが、あかりは見つからなかった。
甲板に出て見てみるがやはりいない。
見張り台にいる乗務員に聞いてみるが、海に落ちた様子もないという。
あかりが居なくなってしまった‥‥。




