第1章 アリス•オンライン
リンリン……。
(目覚ましの音)
「ん、あぁ……」
目が覚めたら泣いている。
その度に、今日は昨日から地続きなんだと思い知らされる。
それは、この世界に戻ってから何度もみた夢。
そうするしかなかったって分かっているのに、同じ夢を何度も見る。そして、その回数だけ打ちのめされる。
その数ヶ月前……。
剣先のような山々を抜けた遥か先。
断崖の迷宮。
その奥深くに4人の若者の姿があった。
4人の容姿は年相応に瑞々《みずみず》しい。
しかし、その表情は憂いを帯びている。ここまで旅路の苦労が窺いしれた。
彼らが対するのは、赤と黒が渦巻く禍々《まがまが》しい光と闇の塊。人知を超えた圧倒的な存在。
それは、魔物のようであり神のようであった。そして、不死者の軍団を従え、いままさに彼らの喉元に喰らいつこうとしている。
黒髪の少女が短刀を構え、仲間を庇うように立ち塞がっている。
黒と白で彩られた巫女服のような装束は、雪のような彼女の肌の美しさを引き立てている。
「ここは私が防ぐ。あなたたちは、本体をお願い!!」
黒髪の少女は、法力を込めた黒曜石の数珠を左手に掛ける。そして、駆けながら、右手で宙に文字を描き、口早に唱えた。
「「願い奉る。六道に迷う者たちよ。空理に従いて輪廻の因果を断尽せよ!!」」
すると、生と死の因果が本来のあり様を取り戻し、異形の取り巻き達は音もなく霧散した。
少女は後ろを振り向くと、少しだけうつむき、悲しそうに笑った。
「いぶき、今のうちに。後のことは託したよ」
その視線の先には、金髪の少女がいる。
紺碧の空を思わせる彼女の瞳には、再び敵に立ち向かう黒髪の少女の姿が映り込んでいる。
いぶきは、ゆっくり瞬きをすると、膝を落とし祈るように手を組み合わせた。目を閉じ集中する。
その口元が微かに動く。
魔力の脈動は感じられない。それは魔法ではなかった。
彼女の口から発せられた音は、この世界には不似合いな……何かのプログラムのような……歌のような旋律だった。
「「delete location object disperse artificial intelligence ……」」
旋律は発声と同時に金色の文字になって浮かび上がり、祈る彼女の周囲を取り囲んでいく……。
その間にも次なる危機が押し寄せる。
圧倒的なソレは、いぶきの様子に気づくと、新しい魔物を差し向けた。
先ほどを遥かに上回る数の魔物達だ。
魔物の濁流は4人の若者を、いとも簡単に飲み込んでしまうと思われた。
黒髪の少女が叫ぶ。
「今度の波は【空理】では止められない。経文を使う。護りの法陣を組むから、時間稼ぎをお願い」
そして、目を閉じ手を合わせると、凛と通る声で読誦を始める。
「諸天撃天鼓 常作衆伎楽……」
それは口早だが規則正しく、丁寧で言い損じのないものだった。
少女が読誦に入ると、今度は赤髪の青年が魔物の前に立つ。彼は、十字架の意匠が凝らされた金と銀の鎧を身に付けている。
その所作は軽快で、鍛え抜かれた膂力を感じさせた。
青年は左手に構えた大楯を地面につき刺すと、右腕でその反対側を支える。
そして、大きく開いた両脚に力を蓄え、これからやってくる奔流に備える。
あたりに生臭い臭いが立ち込める。
その直後、耳障りな金切り声を伴って魔物達が押し寄せた。幾度となく幾度となく、激流が岩を砕くような轟音を響かせ、青年の大楯に当たり砕ける。
際限なく続く奔流は、ついに大楯の左上辺を吹き飛ばした。大楯は役割の大半を失い、彼の左肩が大きく裂ける。
辺りに血飛沫が舞い、鉄に似た匂いが立ち込める。
次の攻撃は、彼をその命ごと飲み込むだろう。
限界は近かった。
彼は黒髪の少女に叫んだ。
「あかりの法陣はまだか!!」
その刹那、黒髪の少女の経文が完成する。
「…… 得入無上道 速成就仏身」
あかりは左手を掲げる。
すると、黒曜石の数珠に幾つかのサンスクリッド文字が浮かび上がった。
その文字が消えるのと同時に、極限まで法力を蓄えた数珠は砕け散り、宙に半ドーム型の護りの法陣が展開される。
法陣の護りは強固で、魔物達の侵入を能く防いだ。
しかし、代償に彼女の法力は尽き、数珠は砕け散ってしまった。目からは血が涙のように伝い落ちている。
青年の大楯も砕けてしまった。
若者達には、もはや次の攻撃を防ぐ術はない。
やがて、法陣にも亀裂が入ってしまう。
その隙間から1匹の魔物が這い入ると、ギロリとあかりを睨み、飛びかかってきた。
あかりは、黒髪を結っていた紐を解くと、意を決し、力なく震える右手と守刀をきつく巻きつけた。
まさに魔物が喰らいつく瞬間。
いぶきの詠唱が完成した。
「「……erase phenomenon!!」」
いぶきを取り囲む文字は、金色の輝きを強めながら円錐形に折りたたまれていく。
それは高速に回転をはじめると、「キーン」という高音を伴いながら、じりじりとマグマのような熱を帯びていく。
いぶきは、指先を的に向け狙いを定める。
彼女が指先で合図をすると、それは「ドンッ」という炸裂音を轟かせ、猛烈な勢いで射出された。
……………………。
…………。
……遡ること数ヶ月前。
都内某所。
とりわけ景色の良い高層ビルのワンフロアに、La Real Corporation(LR Co.)というゲーム会社があった。
ある日の深夜。
LR Co.のオフィスの一角。
足を投げ出し、だらしない姿勢でPCのキーボードを叩く青年がいた。
気だるそうな表情で充血した目を細め、ブツブツと何かを呟きながらモニターを見続ける。
彼の首から下げられたセキュリティカードには「GM 一之瀬 伊吹」と印字されていた。
GMは、ゲームを監視し、バグやトラブルの諸問題を解決する。
普段は運営権限をもつ透明なビルダーキャラクターを用いてゲーム内を巡回している。
365日24時間稼働している部署で、昼も夜もない。
一之瀬が所属する運営チームは、ヘッドGMをトップとして、10人で1ユニットの5ユニット、計50人で構成されていた。
一之瀬は、その中の1つのユニットのリーダーである。
しかめっ面でモニターを睨んでいる一之瀬に、隣の席の後輩が話しかけた。
「先輩、来週からAliceの運営でしょ?羨ましいなぁ」
一之瀬は、振り向きもせず、面倒くさそうに返事をする。
「いやいや、俺は普通にユーザーとして遊びたかったの。運営になったら、そういうの無理だし」
一之瀬は続ける。
「……あわよくば、ゲームで彼女の一つでも、って思ってたのに。オフ会も行けないんだから無理じゃん。最悪だっていうの。まぁ、オープン初日は、有給炸裂させて家からログインするけどね」
後輩はニヤリとする。
「先輩。どうせ出会いとかないですから」
話しはもう少し続きそうだったが、一之瀬は手をかざして、その発言を遮った。
すると、仕立ての良いスーツを着たいかにも偉そうな人達が数名と、Aliceチーフプロデューサー、ヘッドGMが一之瀬達の脇を通りミーティングルームに入って行った。
一之瀬はヘッドGMの目配せに気付き、面倒くさそうに頭を掻く。
気怠そうに席を立つと、後を追ってミーティングルームに入って行った。
ミーティングルームに入ると、既に何名かのGMが席についていた。
ヘッドGMの谷口が口を開く。
「えー、まず、こちらは内閣府のRNT推進事務局の方々でー……。」
紹介が終わる前に、いかにも優秀そうなスーツの女性が割って入る。女性はメガネを掛け直すと、無遠慮に話し始めた。
「私はRNT推進事務局のプロジェクトリーダーの安藤と申します。この度、我が国のAI立国戦略の一環として、Aliceは、試金石となる……」
要は国家予算をじゃぶじゃぶ注ぎ込んだ肝煎りのプロジェクトということらしい。
そして、大袈裟に身振りを加えながら。
「Aliceは、世界をリードする画期的な試みです。是非、本プロジェクトを成功させたいと考えておりますので、どうぞお力添えください」
すると、安藤の左隣に立っていた白衣の男が口を開く。年齢は50代くらいに見える。
「えー、私が西条です。アリスは人の思念とAIと組み合わせることで、次世代のネットワークフルダイブを可能にしました。本試験の参加者の思念の共鳴により……」
要は、参加者の思念を最新のAIに読み込ませることで、超リアル、かつ、予測不能なシナリオの異世界を作り出すゲームが『Alice』なのだ。
この技術は、昏睡状態の患者の意識を覚醒させたり等、医療分野での活用も期待されているのだが……、現実と見紛うほどの異世界は、何よりもゲームとの相性がいい。
そのAliceのクローズドβテストが来週から始まるのだ。ゲーム好きとしては、期待せずにはいられない。
タイミングを見て、チーフプロデューサーの山﨑がまとめに入る。
「……ということで、Aliceは莫大な国家予算を投入した10,000人規模のテストになります」
一呼吸おいて続ける。
「来週の月曜日は、我々、LR Co.が世界を変える日になると思います。皆、一丸となってAliceを成功させましょう!!」
会議室に拍手が湧き起こる。
そんな中、一之瀬は、颯爽と手を挙げた。
「山﨑さん、わたくし、来週のテスト初日は私用にて有給なので、この場にはいません」
山﨑は呆れ顔をした。
「…………」
そんな期待と落胆が混ざり合う中、Aliceのクローズドβテストはテスト初日を迎えた。