聖女一行のエンドロールその後、パーティー解散だなんて寂しすぎるので断固拒否します
「結婚しようよ」
「嫌だが?」
昔から、冒険物語の最終話が嫌いだった。
どうしてあんなにも死闘を乗り越え冒険を共にして来た仲間たちと、目標を達成したら別れてしまうのだろうかと。
それぞれの道をゆく、だなんてエンドロール、だいきらいだ。だってそんなの寂しい。
だから日本人として生きた記憶を持ちながら、この世界唯一の聖女エレノアとして転生し、勇者とともに国王より魔王討伐を命じられた時に考えたのだ。
この任務を成し遂げたその時のパーティーメンバーと、エレノアは絶対にお別れをしないと。
「わかった、じゃあとりあえず一緒に住もう」
「嫌だが?」
けれど現実はそう甘くはないらしい。
四年もかけて各地を巡って魔物を討伐し、魔王城の情報を集めながら辿り着いたその先で、ついに魔王討伐を成功させ、英雄としてこの国に戻ってこられたところまでは良かった。
問題はその先である。
一生遊んで暮らせるだけの褒賞を国王より賜り、さてこれからこの愉快な仲間たちとどう過ごそうかしら、と胸を躍らせていたのに。
まず最初に離別を告げたのは、後方支援役として同行していた、フローラという名の魔法使いだった。
曰く、国王より賜った褒賞を使い、彼女の故郷に夢だった魔法学校を設立するので旅立つとのこと。
素晴らしい。大変立派だと思う。
「わかった、じゃあ私も手伝う!」
「だめよ、あなたには聖女のお役目が残っているでしょう」
気高く美しく、そして口調は少しきついが優しい彼女のことが、エレノアは大好きだ。
だから当然、これからも一緒にいられると思っていたのに。
確かに魔王を討伐したことで、世界に出来てしまった歪みを修復するという役目が、エレノアには残されている。
フローラの故郷と、エレノアが勤める神殿の距離は大きく離れているので、フローラがそう断るのも分かる。
けれどそれは、エレノアが仕事場を移動すれば良いだけの話なのだ。
「だめよ。気持ちは嬉しいけれど、あなたはこの国に残るべきよ」
「いや」
「気持ちは嬉しいし、寂しいのは本当よ。だってあなたのこと、本当の妹のように思っているもの」
そう優しく諭してくれたフローラは、確かにエレノアのことを惜しんでくれて、そしてそれ以上に故郷のことを想っていた。
いやだ。さびしい。
わかれたくない。
最後まで駄々をこねるエレノアを優しく抱きしめて、「夢を叶えたらまた会いに来るわ、必ずよ」と頬に口付けを落としてフローラが旅立ったのが5日前のことだ。
涙でズビズビになっていたエレノアに、続いて別れを告げたのが、防御を担当していた戦士のワイアットだ。
曰く、故郷に残して来た幼馴染と、魔王討伐が成功した暁には結婚するという約束をしていたので、故郷に帰るとのこと。
素晴らしい。本当におめでたいと思う。
「わかった、じゃあ私も行く!」
「いや何でだよ、新婚を邪魔するな」
ごもっともである。
けれどエレノアには作戦があるのだ。
「大丈夫、私が王様からもらったお金全部使って、神殿の横に大きなお城をまず建てるから。そこに皆で住もうよ!」
だからお嫁さんを連れてこの国に帰って来て、と告げたエレノアの額を優しく小突いて、ワイアットが笑う。
「冗談でも嬉しいよ、ありがとうエレノア。お前のこと、本当の妹のように思ってたぜ」
全く冗談ではなかったが、何度提案しても信じてはもらえず、とうとうサッパリとした笑顔でワイアットが旅立ってしまったのが3日前のこと。
戦士として前線で攻撃を受け止め、何度もエレノアを庇って負傷するくせに、そのたび笑って「お前に怪我が無くてよかった」と、わしわしと頭を撫でてくれた優しいワイアット。
大好きだ。別れたくなかったのに。
なんで行っちゃうの、と涙も鼻水もズビズビなエレノアに、慈悲もなく続いて別れを告げに来たのは、遠距離攻撃を担当していたエルフ、ファービィだ。
曰く、エルフの姫であるファービィは、人間との友好を示すため魔王討伐に駆り出されたが、この度ようやくエルフの国に帰還し、女王として王位を継げるとのことだ。
素晴らしい。本当に喜ばしいことだと思う。
「わかった、じゃあ私が補佐するよ!」
「いけませんよ。聖女がエルフの女王の補佐役だなんて、人間の国の王が許しません」
エルフの国とか人間の国とか、そんなの関係ない。だってファービィはエレノアの仲間だ。
身長が小さいことを気にしていた可愛いファービィは、けれどもエルフと人間との関係を憂い、どちらも幸せになる道を模索していた優しい子だ。料理がさっぱりなエレノアに、いつもその場にあるもので美味しい食事を作ってくれた。大好きだ。
「ありがとうございます、エレノア。貴女のような人間と出会えたから、私はこの先もきっと、エルフと人間の関係を明るいものだと思えるのですよ」
いやだ。行かないでよ。
「エレノア。貴女のことを、本当の姉のように思っていましたよ」
顔がぐちゃぐちゃになるほどに泣き喚くエレノアを、困ったような優しい顔をして、ぎゅっと抱きしめてくれたファービィが旅立ってしまったのが、つい昨日のこと。
姉のように慕っていた、フローラ。
兄のように頼っていた、ワイアット。
妹のように可愛がっていた、ファービィ。
生まれたその時から聖女として祀られて、神殿内で大切に育てられはしたけれど、実の親の顔なんて見たことがない。
もちろん兄妹だって、居るのか居ないのかすら知らないし、神殿から出ることも出来なかったため友達だっていない。
討伐の旅なんて怖くなかった。
外の世界に出られたのだから。
魔物なんて怖くなかった。
そんなことよりも、生まれて初めて手に入れた、宝物のような仲間たちを失うことの方が、何倍も怖かった。
みんな、この四年間をかけて家族になった、大切で大好きな仲間たちだ。
離別が仲間の幸せに繋がるのであれば、我慢するしかない。
我慢するしかないけれど、最後まで諦めたくはないではないか。
「というわけでルビー、結婚しようよ」
「嫌だが?」
パーティーメンバー最後の砦、勇者のルビーは、剣のメンテナンスをしていたのか彼専用の武器庫の片隅にいた。
もう君しかいない、と半日探し回ってようやく見つけたのだ。絶対に逃さない。
勇者であるとの宣託を受けて、魔王討伐の同行を命じられたルビーは、元々国でも精鋭の剣士だった。
魔王討伐の褒賞の一つである彼の専用武器庫は、もう少し早い段階で捜索の候補に入れるべきだったと、今になって思う。
「わかった、じゃあとりあえず一緒に住もう」
「嫌だが?」
取りつく島もない、とはこういうことを指すのだろう。にべもなく、その名を現すような美しい紅玉のような瞳を細めて、粗雑に手を振られる。
出ていけ、ということなのだろう。
いやだ。
「なんで!」
「なんでも何も、結婚どころか交際すらしてないだろうが」
「確かに!」
それはそうだ。
そもそもエレノアには、交際どころか恋愛の経験だって無い。
神殿内には同年代の子供はおらず、魔王討伐を命じられた16歳から現在の20歳に至るまでは、ずっと死と隣あわせの旅をしていたのだ。
仲間を大好きだと思う気持ちを初めて手にして、嬉しくて嬉しくて、もうそれで十分だとすら思っていた。
前世の記憶を参考にしてみようとするも、学校で物語本を読むことを何よりも楽しみにした『彼女』の記憶は、大人になる前でぼんやりと途切れていて。
きっと討伐の旅に出た頃のエレノアほどの歳も生きられなかったのだろう前世と合わせても、誰かを恋愛として好きになる、ということをエレノアは自分ごととして経験したことがなかった。
けれども。
「だけどそうしないと、ルビーまで私から離れていっちゃうでしょう」
「俺は国王軍の騎士として、この国に残ると言っただろ」
「そうだけど!でもいつかはまた、皆みたいに夢ができて、この国を離れていくかもしれないでしょう…」
離れていかないという、確証と約束が欲しいのだ。
エレノアにだって分かってる。
こんなのはただの我儘だ。
けれど、ひとりぼっちだったエレノアにとっては、仲間たちが人生の全てなのだ。
「行かない」
「え?」
「お前がこの国にいる限り、俺はずっとこの国にいる」
だから心配するな、といつの間にか目の前にいて、エレノアの髪をわしわしとかき混ぜるルビーを見上げた。
魔王討伐を命じられた当初、15歳だったルビーはエレノアと同じくらいの背丈だったのに、今では首を持ち上げないと目が合わない。
ツンツンと一つも笑顔を見せなかった15歳の頃も、拾ったばかりの子猫のようで愛らしかったが、19歳になった今では誰もが振り返る美青年だ。
男の子の成長ってすごい。
歳はひとつしか違わなかったけれど、旅が進むにつれて心を開くようになった彼のことを、エレノアは本当の弟のように思っていた。大好きだ。
「魔王討伐後の後始末をするお前を、一人残していくことはしない」
「じゃあ一緒に住もう」
「嫌だ」
「なんで!」
討伐の旅では野宿なんてザラにあったし、宿屋でもベッドが足りず雑魚寝したことだって数えきれないほどにある。
今更恥じらうことなんて無いはずだ。
国王の座す城に勤めるルビーと、神殿に勤めるエレノア。
魔王討伐の功績が認められて、以前より神殿の外に出られるようになったとはいえ、日常の接点は格段に減ってしまった。
そんなのはさびしい。
だからせめて一緒に住めば、朝と夜だけでも顔を見られると思ったのだ。
神殿も、国を救った勇者との同居ならきっと認めてくれるはずだ。
そう力説するエレノアに、自身の美しい絹糸のような黒髪をかき混ぜながら、ルビーが一つため息を落とした。
余談だが、この世界において黒髪は珍しい。エレノアの日本人だった頃の感性では逆だったが、この世界では淡い髪色の人間が多く、例に漏れずエレノアも灰色の髪に薄い桃色の瞳という容姿だ。
「五人で野宿をすることと、お前と俺の二人きりで住むことは全く別だろうが」
「いつか他の三人も連れてくるから大丈夫」
「何も大丈夫ではないな。それはいい加減諦めろ」
ぐぐ、と返答に詰まったエレノアを見て、もう一度ルビーが小さくため息を落とした。
呆れられてしまったのだろうか。
けれどどうしても諦められなくて、その場から動くこともできない。
「どうして、二人で住むのは嫌なの」
「結婚も交際もしていない男女が、二人きりで住むなんてことはあり得ないだろ」
「じゃあやっぱり結婚しようよ」
「俺のことを好きでもないくせに?」
ひたりと、ルビーの美しい双眸がエレノアを射抜く。
「勿論だいすきだよ」と答えようとして、けれどもきっと彼が問う「好き」は、エレノアの知っている「好き」とは違うということに気がついて、結局何も答えることができない。
「好きでもない奴と結婚なんてして、後悔するのはお前だよ。エレノア」
だから嫌だ、と突き放すような言葉とは裏腹に、彼の声音は随分と優しい。
「っだいすきだよ、ルビー。それじゃいけないの」
「駄目だ」
「他に結婚したいひとがいるの?」
「いない。でも駄目だ」
分からない。
ルビーを諦めることもできないし、かといってルビーの問う「好き」も、ひとりぼっちだったエレノアには分からない。
「ルビーはわたしのこと、きらいなの」
ずっと我慢していた涙がほろりとこぼれて、それからぽろぽろと溢れて止まらない。
なんだか討伐の旅が終わってからは、泣いてばかりだなと涙を手でごしごしと拭いながら思う。
旅の途中は何度も死んでしまうかと思ったけれど、涙を流すことは少なかった。
辛いことがあっても、悲しいことがあっても、いつも隣には大好きな仲間たちがいてくれたから。
「嫌いじゃないから、困ってる」
綺麗な形の眉を下げて、紅玉の瞳を細めるルビーは、なかなか見ることのできない綺麗な笑みを浮かべた。
本当は聞かなくても知っている。
優しい彼が、エレノアのことも、フローラのことも、ワイアットのことも、ファービィのことも。感情を表に出すのが下手な彼なりに、大切に大切に想ってくれていたことを知っている。
これ以上困らせてはいけないと頭では分かっているけれど、既に旅立ってしまった他三人とは違い、すぐ目の前に、まだ手が届く距離にいる彼のことをどうしても諦められない。
だから最後にもう一度だけ、と心に決めて、涙を拭ってルビーの双眸を捉える。
「それならルビー。賭けをしようよ」
「は?」
「これから三ヶ月の間に、ルビーがわたしのことを、結婚しても良いっていう意味で好きだって思ってくれたら、わたしの勝ち」
「、おい」
紅玉のような双眸を見開くルビーに、構わず続ける。
「三ヶ月の間に、ルビーがわたしのことを好きになれなかったら、ルビーの勝ち」
「…何を賭けるんだ」
「わたしが勝ったら結婚してもらう。ルビーが勝ったら、私が王様から貰った褒賞は全部あげるし、討伐の後始末は全部私がやるから、好きに旅に出ても良いよ」
これならルビーの心次第で勝敗が決まるので無理強いすることもないし、ルビーが勝った時のメリットも大きいはずだ。
どうだ、と張り切ってみせたエレノアの予想に反して、ルビーは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……駄目だ」
「どうして!」
これを最後のお願いにするから、と取り縋ると「そういう意味じゃない」と、ルビーは首を横に振った。
「賭け自体は受けてもいい。けれど内容を変えろ」
「どういうこと?」
「"俺がお前を好きになったら"ではなく、"お前が俺を好きになったら"、なら受けてもいい」
「そうしないと意味が無いから」と続けたルビーに、首を捻る。
難しくて何を言っているのか分からないが、なんだか内容が随分とエレノアに有利になった気がする。
「あと勝ち負けに関わらず、お前が王から賜った褒賞はいらない。使う道が無いなら大切に取っておけ」
「ルビーはそれでいいの?」
「それがいいんだ」
諦めたような顔をして、大きな手のひらをぽふりとエレノアの頭に置いたルビーが微笑む。
優しい優しい、だいすきなルビー。
その優しさを利用している己の狡さに、心が痛まないといったら嘘になる。
「ねえルビー」
「なんだ」
「ルビーのこと、諦められなくて、ごめんね」
大好きでごめん、となんだか申し訳無さから顔を見られなくなって俯いたエレノアに、ルビーが頭上でひとつ溜息を吐いたのが分かった。
なんだか今日は溜息ばかり吐かせているような気がして、ますます顔を上げられない。
「俺も諦めてやらないことにしたから、お互い様だな」
「どういう意味?」
「そういう意味」
顔を上げると、先ほどまでの困った色は微塵も残さず、紅玉の瞳は活き活きとその力強い光を灯している。
優しい彼の、もう一つの顔。
勇者としてどんな困難にも立ち向かっていく、何度も目にしてきた好戦的な彼の姿が重なった。
「よく分からないけれど、こんなに私に有利な賭けにしてもいいの?」
「有利では無いだろ。俺のことを好きにならないといけないんだから」
「そんなのきっとすぐだよ。だって大好きだもの」
「そんなんじゃ足りないから、困ってる」
美しい彼の顔が近づいてきて、今までに無いくらいの距離で紅玉の瞳がエレノアの顔を映す。
「挑んできたのはお前だ、エレノア」
「ルビー?」
「どうか夢を見てしまった哀れな俺のために、この賭けに勝ってくれよ。聖女様」
どきりと自分でも分かるほどに大きく高鳴る鼓動は、決して嫌なものではなくて。
それが何なのか分かれば、彼は合格をくれるのだろうか。
煌めく紅玉の瞳を覗き込み、心の底から湧き上がる歓喜のままに言葉を紡ぐ。
「だいすきだよ、ルビー。これから三ヶ月の間、どうか覚悟していてね」
「それはこちらの台詞だな」
昔から、冒険物語の最終話が嫌いだった。
どうしてあんなにも死闘を乗り越え冒険を共にして来た仲間たちと、目標を達成したら別れてしまうのだろうかと。
それぞれの道をゆく、だなんてエンドロール、だいきらいだ。だってそんなの寂しい。
けれど物語の主人公も、きっと仲間たちの旅立ちを止めることができなかったのだと、今なら分かる。
別れたくないと最後まで駄々をこねてしまったけれど、それでも心から願っているのだ。彼らの幸せを。
エンドロールのその先も、長い人生は続くのだから、何度だって何度だって会いにいけばいい。
賭けに勝った、もうひとりぼっちではないエレノアが、たくさんの幸せを掴むのはそう遠くない未来のお話だ。
読んで頂きありがとうございました。
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