第8話 ピクニック
俺とピュラは、ムーロ村から少し西に行った所に位置するキルト山脈の山道を登っている。
山脈の麓からすでに人が近寄りそうのない殺伐とした雰囲気が漂っており、今にも魔物が出そうなほど緊張感漂う山だ。
しかし、意外にも道中特に危険にさらされることもなく、あと少し登れば山頂というところまで来た。
「にけ! なんかとんでる!!」
ピュラの指さす方向を目で追う。
翼の生えた獅子の身体に長い蛇の尻尾、獅子とヤギの二つの頭部を持った魔物が悠々と山頂付近を旋回している。
キマイラだ。この山に住み着いた魔物は恐らくあいつなのだろう。
「あいつが原因でこの辺りの生物はいなくなったのか?」
俺が推測している傍らで、物珍しそうにその碧眼を輝かせる少女は一人はしゃいでいる。
どうやらピュラには恐怖という感情がないらしい。
事の発端は数時間前に遡る―――――。
「水を汲みに行ってほしい?」
家の庭で洗濯物を干すピュラを尻目に俺は村長に尋ねた。
「ええ。ここから西に行ったところにキルト山脈という山がありまして、その麓を流れる川から水をくみ上げているのですが・・・」
「実は数日前からその山脈に大型の魔物が住み着いてしまい、麓へ近づけなくなってしまったのです。」
「汲みに行ったところで、万が一魔物に襲われでもしたらとても危険です。ご存知の通り、村には腕の立つ者もおりません。今は非常用に溜めていた水で何とか生活できていますが・・・」
村長は肩を落とす。
「つまり、安全に水を汲みに行けるようになればいいんだな?」
「このような危険な事を旅のお方に頼むのは本当に気が引けるのです。しかし、水がなければ生きていけません。」
「しばらくこの村にやっかいになる身だ。分かった。その依頼を受けよう。」
「本当ですか! ありがとうございます。」
村長は深く頭を下げた。
「荷台を引く者を同行させますので。」
洗濯物を干し終えたピュラが勢いよく俺の脚に抱き着いてくる。
「ぴゅらもいく!!」
「お前・・・ピクニックじゃないんだぞ。」
俺は呆れてため息をついた。
「ぴくにっく?」
ピュラはニケの脚に抱き着いたまま首を傾げたが、考えるのは早々に諦めたようだ。
感触を確かめるように脚に顔をすり寄せている。
「おい、離れろ。暑苦しい。」
「にけのにおい、いいにおい」
ピュラは顔をピッタリとくっつけたまま答える。
「お前、神の匂いは嫌いとか言っていなかったか?」
「ほっほっほっ。ニケ殿は随分とピュラに好かれましたな。こんなに陽気なピュラを見るのは初めてです。」
俺は接着剤のように張り付く少女を強引に引きはがす。
ピュラはものともせず再び抱き着いた。
そんなやり取りを見ていた村長には自然と笑顔がこぼれていた――――。
「おい、あまり離れるな。お前に死なれたら村長に顔向けできん。」
ピュラは空を飛び回るキマイラに釘付けになったまま小走りで後を追う。
「あいつがターゲットだ。いいか、俺がやるからお前は安全な場所で待機していろ。分かったな?」
ピュラはワクワクした表情で頷く。
こいつ、本当に分かっているのか?
そんなことをしているうちにキマイラに気付かれた。
「グォォォォォーーーーーーー!!!!!!!」
キマイラは激しい雄叫びをあげながらこちらに向かい一直線に飛んでくる。
巨体からは考えられない速さだ。
獅子の頭部がピュラへ狙いを定め大きく口を開く。
「ピュラ!!」
俺は咄嗟に黒の鼓動で地面から硬化させた壁状の闇の霧を発生させる。
「グォォォォ!!!」
黒い壁に勢いよく衝突したキマイラは痛みに首を振り後方へ飛ぶ。
俺はピュラの前に立つ。
「ピュラ、ここを動くな。」
ピュラはただただニケの動きに釘付けになっていた。
後方へ飛んだ魔物は雄叫びをあげ空中で前脚を掻くように交差させ衝撃波を放つ。
俺は黒霧で硬化させた右手でそれを受ける。
右手に吸収されるように衝撃波は消えていった。
衝撃波をいなすと同時に、俺は周囲に黒い球体を数個出現させ、ボールを投げるように左手を振りキマイラに向かい発射する。
キマイラは舞う様に全ての球体を躱し、ニケに向かい蛇のしっぽを打ち付ける。
瞬時に黒霧の右手を獣の形に変え、三本の衝撃波を放つ。
薙ぎ払われる前にキマイラの尻尾を切断した。
切断された蛇は、空中で更に首を伸ばしニケの腕に噛みついた。
突き立てられた牙から紫色の液体が流れる。
「この液体、毒か。」
言いながら俺は蛇の牙が抜けないよう腕に力を込める。はち切れんばかりに筋肉が一気に肥大する。
蛇のしっぽを黒の鼓動で包み込んだ。
徐々に蛇の生命力を吸い取っていく。
蛇は噛みついた顎を離そうとするが膨張した筋肉に牙が挟まれ、全く動けない。
やがて蛇のしっぽは絶命し、ニケの腕に吸収されていった。
「グオオオオオオ!!」
隙を突いて横から獅子の頭部が口を開き襲い掛かってくる。
ニケの手前でキマイラの動きが止まる。
ニケの背中から黒い霧状の腕が生え、獅子の首を絞めていた。
「残念だったな。迷宮の魔物達を取り込みすぎたせいで毒に耐性ができたんだ。この程度の毒では俺を殺すことはできない。」
俺は黒霧の長い腕に更に力を込める。キマイラは必死にもがいていたがやがて骨の折れる鈍い音が響き渡り、獅子の頭部は脱力した。
そのまま吸収しようとした時、ヤギの頭部が最期の力を振り絞りニケに襲い掛かる。
突如、空気の詰まった風船が弾けるような音が響いた。
ヤギの頭部は跡形もなく消え、代わりに地面にはバケツをぶちまけたような血痕だけが残っていた。
ニケの顔に返り血が飛び散り、右手は真赤に染まっていた。
「惜しかったな。」
俺は今度こそ絶命したキマイラを取り込んだ。
「依頼は果たした。あとは水を汲んで終わりだな。」
俺はそのまま来た道を歩き始める。しばらくしてピュラの姿がないことに気付いた。
「ピュラ?」
後ろを振り向くと赤髪の少女は呆然とこちらを見ていた。
「おい、いつまでそこにいるつもりだ。もうすぐ日が暮れる。早く行くぞ。」
ニケが前を向き直った時、ピュラは後ろから勢いよく抱き着いた。
「すごい!!! にけつよい!!!」
「別に普通だ。それより離れろ。暑苦しい。」
どうせ言っても聞かない。そのままピュラに纏わりつかれたまま俺は帰路についた。
麓で待たせていた荷台を引く村人と合流し、水を汲む川まで案内してもらい無事に水を確保することができた。
「これで依頼は達成だな。」
ムーロ村に戻ると、入り口で村長が俺達の帰りを待っていた。
「おお! 無事に戻られましたか。本当に良かった。」
村長は深く息を吐き、胸をなでおろす。
「これでしばらくは安心です。助かりました。」
「山脈に住み着いていた魔物は討伐した。いつでも安全に水を汲みに行けるぞ。」
「い、今なんと・・・?」
「魔物は討伐した。信じられないなら確かめに行って来い。」
村長は目を丸くした。
「な、なんと・・・水を汲んできてもらえただけでもありがたいのに、まさか魔物の討伐までして下さったとは・・・何とお礼を申し上げたらよいか」
「気にするな。大したことはしていない。」
「にけすごい!! にけつよい!!」
ニケに肩車されたピュラが頭の上ではしゃいでいる。
「おい、暴れるな。というよりいつまでそうしているつもりだ。早く降りろ。」
俺はピュラの両脇を抱えようとするが、見事な体捌きでするりと躱し両手を広げて地面に着地した。
ピュラはニッコリと笑顔を向けてくる。
「・・・・やれやれ」
「そろそろ腹が減ってきたな。ピュラ、何か作ってくれ。」
「おーーーー!!!」
ピュラは元気に駆けていく。
俺はピュラの後姿を見てため息をつき、その後を追った。
「心を許せる仲間ができて良かったのう、ピュラ。」
村長はそんな二人を微笑みながら見送った。
とある廃墟の古城―――――。
古城にのしかかりそうなほど黒く厚い、重々しい雲が空を覆っている。
時折雲の中で稲妻らしき閃光がまばらに光っている。
光の入らない薄暗い王の間を壁にいくつも灯された松明が控えめに照らしている。
「進捗はいかがでしょう?」
2mを越える全身黒ずくめの大男は玉座に座る人影に尋ねる。
「問題ない。後は時を待つのみだ。」
「相手は歴戦の神々。一筋縄では行きそうにありませんな。」
「確かに。正面からまともにぶつかればそうであろうな。」
玉座の人影は笑い声をあげる。
「奴らをまとめて相手にするのは少々骨が折れる。故に、神殿周辺に少し細工をした。」
「細工・・・ですか?」
大男が尋ねる。
玉座の人影は頷く。
「それよりも、数日前クレタ島の方角で我らと同じ力を感知した。現代において、我々以外にこの力を持つ者はいないはずだが・・・」
「なんと・・・ということは、まさか・・・」
「恐らく、そうであろうな。」
玉座の人影の口角が上がった。
「様子を見に行かれますか?」
「ヘリオスを向かわせる。伝えておけ。殺さずに我が前に連れてこい、とな。」
「御意。」
壁の松明がひと際燃え上がる。
「ちょうど宴を始めようと思っていた所に、何とタイミングのいいことか。」
玉座に座る人影の笑い声と共に、古城を取り巻く雲はより一層黒く、厚くなっていった。
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