第80話 赤き紋章
アシーナは引き留めるように、ただ無心にメティスを抱き続けていた。
「・・・・・」
やがてメティスの体は光り出し、彼女の腕をすり抜け空へ昇って行く。アシーナは茫然とその様子を眺めていた。
「アシーナ・・・・」
アルテミスを抱えたアポロンは何て声をかけたらいいか分からず、ただうつむいた。
「もう・・・どうでもよくなっちゃった。全てが」
振り返ったその紅蓮の瞳にはかつてのような光は宿ってはいなかった。
死者同然の虚ろな瞳でアポロンを見る。
「気持ちは理解するが・・・まだお前には・・・」
「あなたに理解できるわけがないでしょ?! この手で母親を手にかけてしまった私の気持ちなんて!!! 誰も私の気持ちなんて分からないわよ!!」
アポロンは言葉を詰まらせる。
「そんなつもりはなかった・・・そんなつもりはなかったの。愛していたのよ・・・お母さんの事を・・・」
「私は、ただあの頃の様に傍にいて欲しかっただけなのに・・・どうしてこんな事になっちゃうの? 教えてよ、アポロン」
アシーナは顔を覆う。
「何で、こうなるの・・・? 世界が何? 星が何だって言うのよ? 私が何だって言うのよ・・・」
気付けばアシーナの涙はその紅蓮の瞳の如く赤く染まり始めていた。
「ア、アシーナ・・・?」
アポロンは化け物じみたエーテルを放つアシーナに背筋が凍る。
「・・・もういい」
「全員殺せばいいんでしょ。 ガイアも、ハデスも、ゼウスも、みんな。そうすれば、争う事なんてなくなる。全員殺せば、星の寿命を削る事もなくなる」
アシーナは自分に言い聞かせるように呟く。
アポロンは血の様に真っ赤に染まるアシーナの紋章に唾をのんだ。
突然アシーナは狂ったように笑い出す。
「あははっ!! そっか。初めからそうしていれば良かったんだ。そうすれば、お母さんが死ぬこともなかった。私の傍に居てくれた」
「・・・だから、お母さんは私を嫌いになったんだ。私を置いて出て行っちゃったんだ」
アシーナは真赤な涙を流し、おぼつかない足取りで歩き出す。
「どこへ行くつもりだ?」
アポロンはアシーナの前に立ちはだかる。
「どこって・・・ガイアの所よ」
「行って・・・どうするつもりだ?」
アシーナは髪を掻き上げる。
「あははっ! 決まっているでしょ?」
友に向けるものとは思えない形相でアポロンを睨む。
「殺すのよ。ガイアも。ゼウスもまとめて」
「賛成しかねる。そんな事をすれば、取り返しのつかない事になる。何より、お前がお前ではいられなくなる。二度と、戻ってこられなくなるぞ」
オリーブの紋章が赤く光り出す。
「そんなの知らない。もうお母さんは帰ってこない。星も世界も知った事じゃないわ。私がこの世界を作り変える。争いのない世界を創造する」
「そうすれば、きっとお母さんも許してくれる」
「本気で・・・言っているのか?」
「本気だったら、何だと言うの?」
アシーナはアポロンの横を通り過ぎる。
「邪魔をするなら、殺すから」
アポロンは一切身動きが取れなかった。
このままアシーナを行かせてはいけないと分かっていた。
それでも、何もできずにただアシーナを見送る事しかできなかった。
真っすぐガイアを目指すアシーナの前に魔物の群れが行く手を阻むように襲い掛かる。
『モード・石眼』
アシーナの背後に、紫色をした巨大な八首の大蛇が姿を現した。
獲物を探すように大蛇の体が奇妙にうねる。
横にはシンプルな円形の鏡のような盾が八枚、アシーナを囲うように浮遊している。
『傀儡彫刻』
アシーナが呟いた瞬間、背中の大蛇の瞳が怪しく光る。
目の前の長蛇の列をなす魔物達は一斉に石化した。
「消えろ」
アシーナが腕を横に振ると、盾の一枚がシンクロし横に素早くスライドする。
盾から放たれた光の光線が石化した魔物達をまとめて横薙ぐ。
その瞬間、石化した魔物の群れは一瞬で粉々に砕け散った。
僅か数秒の出来事だった。
アシーナは砕け散った石を踏み砕き、ゆっくりと歩を進めた――――。
ヘラクレスと対峙する俺の中へエーテルが流れ込んでくる。
良く知ったものだ。それが誰のものであるかは、すぐに察しがついた。
「メティス・・・?」
俺はエーテルの流れてきた方角を見つめる。
「オラァ!!!」
ヘラクレスは拳を振り下ろす。
俺は身を翻し宙を舞う。
「ははっ!! 戦闘中によそ見とは、随分余裕じゃねえか!! 舐められたもんだ!!」
あのメティスがやられた?
それに、このおぞましいほどのエーテル量は・・・
常盤色の少女の姿が脳裏によぎる。
「もう少し楽しみたいところだったが、予定が変わった」
「あん?」
俺の周りに黒霧が巻き起こる。
ヘラクレスは頭上に生るザクロの実をもぎ取り一口かじった。
「ほう? 言ってくれるじゃねえぇか」
「お前の元々の身体能力も並外れた者だが、それを最大限生かしているのはその木だ」
俺は地面に手を当てる。
「『黒の支配』。」
俺を中心に広がった黒い沼は瞬く間にザクロの木に浸透し、その輝きは闇に支配された。
「てめぇ!! っ?!」
ヘラクレスは身動きが取れなかった。
足元を見ると、ヘラクレスそしてデメテルをも覆う程の黒い沼が広がっていた。
「身体が言う事を聞かない!?」
二人は必死にもがくがびくともしなかった。
「無駄だ。この領域は既に俺の支配下にある」
俺は闇の力をザクロの木に流し込む。
「ああっ!!!」
デメテルは苦痛に叫んだ。
「デメテル?!」
「やはりか。この木はそいつの神術だ。この類の範囲神術は術者と術がリンクしている場合が多い。なら、この木に闇の力を流してやれば術者本人も無事では済まない」
やがてザクロの木は姿を消し、辺り一帯に広がるデメテルのエーテルを吸収しつくした。
デメテルは力尽きその場に倒れ込んだ。
「本当なら穢れた神の力など要らないと言いたいところだが。どうやら俺の意思は関係ないらしいからな。もらっておいてやる」
「てめぇ・・・やってくれるじゃねぇか!!」
ヘラクレスは全力で『黒の支配』に抗おうとする。
「無駄だ。一度この闇に触れれば、その支配権は俺にある」
俺はゆっくりとヘラクレスに向かい歩いていく。
「お、おおおおお!!!!!」
ヘラクレスは思い切り力を込める。
身体は悲鳴を上げ肉体が裂け血が噴き出す。
「オラァーーー!!!!!!」
血しぶきをあげると同時に『黒の支配』を引き剥がし、体の主導権を取り戻した。
「これは驚いた。まさか抗える奴がいるとはな。人間にできる芸当ではない」
俺は黒霧を纏う。
「今までの無礼は詫びる。全力で叩き潰す」
「ははっ・・・そいつはどうも。俺も本気でいかせてもらう」
互いの威圧感が生み出した衝撃波は、二人を取り巻き嵐のように砂埃を舞い上げた。
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