第61話 最高の理解者
アシーナはオリーブの神木の前に立ち、すがる様にその姿を見上げていた。
「私は・・・どうすればいいの? どうすれば、お父様を止める事ができたの?」
返事はない。
「お父様が間違った事をしていると分かっている。今も理解しているつもり。だけど私には・・・お父様に刃を向ける事ができない。その勇気がない・・・」
アシーナは神木の前に座り込む。
「こんな私だから、神託を聞く資格がないの? 神託さえ聞ければ、自分の取るべき行動が分かるのに・・・」
アシーナは仄かに光るオリーブのお守りを手に取る。
「ニケ・・・・」
アシーナの肩に優しく手が置かれる。
「アシーナ様には神託なんて必要ありませんよ。アシーナ様が正しいと思う道を進んでください」
風になびく緑がかった美しい黒髪を押さえ、アルテミスはアシーナに微笑みかける。
「アルテミス・・・」
「私・・・自分自身が怖い。お父様を止めなければいけない事は分かってる。でも、実の娘であるという関係性がそれをさせてくれない。どうする事が正しいのか、分からなくなっているの。・・・いえ、やるべき事は決まっているのよね。決まっているはずなのに、それでも動けない自分が怖い」
「どうしても動き出せない。お父様との関係が崩れてしまうのが怖い。お父様に見捨てられるのが怖い。私にはもう、お父様しかいないから・・・」
アシーナはうつむく。
「アシーナ様の置かれている状況は私なんかでは想像もできません。口出しするなんて、おこがましいのは承知の上で言わせていただきます」
「『すべきか』、ではなく『したいか』、ではないでしょうか。私たち神だって、人間と同様に心があります。感情があります。時には自分の心の叫びに素直に従ってもいいと思うのです。心からそうしたいと、本気で望んでいるのなら。衝突してしまうかも知れませんし、関係が悪化してしまうかも知れません。ですが、そうしなければ伝わらない事だってあると思うんです」
「それに、もしも誰もが『すべき』で行動していたら、こんなに多種多様で素敵な世界になっていないと思いませんか? 私は神も人間もその他の動物も、みんな好きです。綺麗な街並みも、時が織り成す壮大な自然も。美しいこの世界が大好きです」
「合理性なんて一切ない、小さな偶然が積み上がってできたこの世界が」
アルテミスは両手を広げ空気いっぱい吸い込み、満面の笑みで微笑みかける。
「私はこの世界が平和になる事を願います。ユピテリアも、アースも、タルタロスも、今のように分断された世界ではなく、遥か昔のように同じ空の下でみんなが手を取り合える世界を。みんなが仲良くできる未来を夢見ます」
アルテミスはアシーナを見据える。
「その為に、私は戦います。アシーナ様の傍で、アシーナ様と共に」
「アルテミス・・・・」
「アシーナ様には、私の願う世界を実現する力があるんです。三領域を治める三神にできなかった事・・・いいえ、ウラヌス神やクロノス神さえ成し得なかった事が、アシーナ様にはできるはずなんです」
「アルテミスがそう言ってくれるのはとても有り難いのだけど、さすがに無理よ。私にそんな力はないわ。買いかぶりすぎ。実際、私はお父様の用意した環境でしか生きられない。こうしている今も・・・」
アルテミスは首を振る。
「それは違います。アシーナ様は、自分がどれだけの力を秘めているか、自分で分かっていないだけです」
アルテミスはグッと顔を近づける。
「ど、どうしてそこまで私の事を信じてくれるの? ・・・信じられるの?」
「私は、本当にただの・・・」
「理由なんていりません!!」
アシーナは語気を強めるアルテミスの気迫に押される。
「ちょ、ちょっと! あなた、言っている事がめちゃくちゃよ?!」
「アシーナ様はいちいち頭で考え過ぎなんです! 黙って自分に自身を持てばいいんです! 引っ張って行けばいいんです! 私を含め他のエポヒの皆も同じ気持ちです! 他の名だたる神々だってそう感じているはずです! それでいいじゃないですか!」
アルテミスは深く深呼吸をする。
「じゃあ聞きますが・・・何をすれば、どこまで行けばアシーナ様はご自身を認める事ができるのですか? ご自身で、それを明確に言葉にできますか?」
「それは・・・」
アルテミスの質問に、アシーナは言葉を濁した。
「類稀な才能を持ちながら・・・血統においても実力においても王になれる器を持ちながら、どこまでも謙虚で誠実な在り方は心から尊敬に値しますし、アシーナ様の強みだと思います。私はそんなアシーナ様だからこそ惹かれたのです。理由を知りたいのであれば、これが理由です。ですが、それを知ってどうされたいのですか? 何か変わりましたか?」
アシーナはうつむく。
「謙虚さも誠実さも、行き過ぎればそれは鎖となって自身を縛り付け、やがて自分を苦しめる重りになるだけです。そんなアシーナ様を・・・羨ましさでもなく、妬みでもなく、嫌味でもなく、ただ純粋に見ていて歯がゆいのです」
「アルテミス・・・・」
アルテミスの顔が真っ赤に染まる。
「はっ?! や、やってしまいました!!」
アルテミスは急に声を張り上げる。
「す、すみません!! 私ごときが何を偉そうに!! 忘れてください!!」
「いえ!! いっそ補佐をクビにしてくださいー!!」
アルテミスは自分の頭をポカポカ叩く。
「ちょっ!! アルテミス?!」
アシーナは咄嗟にアルテミスを押さえつける。
「いいえ、それでは足りませんね! 死にます! 死んでお詫びします!!」
「いきなり何を言っているの?! 落ち着いて! 私は大丈夫だから! というかあなたの力は本当に冗談では済まないから勘弁して!!」
「・・・生きていていいのですか?」
「当たり前でしょう?! 私の為にも是非、止めてくれると助かるわ」
アルテミスの力が抜けたことを確認したアシーナは大きく息を吐く。
「全く。あなたって、時々よく分からないタイミングで暴走するわよね。急にスイッチが入るというか、何というか・・・」
「フワフワしてそうなのに、しっかり太い芯が通っているし、考えている事はスケールが大きかったりするし。意外と怒りんぼだし。甘えん坊だし。泣き虫だし。本当、不思議な子」
アシーナに笑顔が戻る。
「途中からほとんど愚痴じゃないですか!! それに、それを言ったらアシーナ様だって泣き虫じゃないですか! 容姿端麗で一見完璧に見える癖にすぐに落ち込むし! 小さなことですぐ悩むし! たまに天然だし!」
「なっ?! わ、私の場合子供の頃の事だし、アレスがいつまでもしつこく言っているだけよ! そもそも、あなたはその頃の私を知らないでしょう?! すぐ落ち込んだり、悩んだりは・・・確かにそうかもしれないけど・・・」
「あははっ!!」
アルテミスは急に笑い出す。
「な、何よぅ・・・」
アシーナは頬を膨らませる。
「あははっ!! そういうところですよね。そういう素直なところ。力で従わせることだってできるのに、アシーナ様はいつも他人に目線を合わせてくれる。寄り添ってくれる。だからこそ、ついていきたいって本気で思えるんです。支えたいって思うんです」
「アルテミス・・・」
「それに、アシーナ様は放っておくとすぐメンタル病んで泣いてしまいますからね~。私が近くにいてあげないと♪」
アシーナは顔を真っ赤にする。
「そ、それはあなただって同じでしょう?! むしろ、よく分からないタイミングでスイッチの入るあなたの方がよっぽど面倒くさいわよ!」
アルテミスは満面の笑みを浮かべる。
「どんなことがあろうと、私はアシーナ様を支えます。ですから、自分に自身を持って前へ進んでください。アシーナ様が振り向く必要がないように、後ろからしっかり見守りますから」
アシーナは手を差し伸べる。
「だったら、私の横に立ってくれなくちゃ。後ろだと気になって振り向いてしまうわ。隣なら、簡単に確認できるでしょ?」
「アシーナ様・・・」
アルテミスは涙を拭いその手を握る。
「ありがとうアルテミス。少しだけ、前向きになれた気がするわ」
「これからも、私を支えてね」
「私は初めからそう言っていますよ」
固く手を繋ぐ二人は巨大なオリーブの神木を見上げていた。
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