『相性×』
硫黄の煙と共に、悪魔のヘッテルギウス氏が姿を表した。白のスーツをシックに着こなして、尖った爪と耳を除けば、人間と変わらない姿をしている。
閉館間近の図書館の一角で、人間の男は魔道書を開いたまま半分顔を上げる。そして少し鼻をひくつかせてから、魔道書のページを撫でた。明らかに、ヘッテルギウス氏に気付いていない様子だった。
「お呼びになったのは、あなたですか?」
ヘッテルギウス氏は、やや虚を突かれた顔でお辞儀をする。
「ん、図書館員さんか」
男はびくりとしてヘッテルギウス氏の方を向く。その両目は閉じられていた。
「あなた、目が?」
「ああ」
「左様でございましたか、失礼いたしました」
「生まれ付きだ。どうという事はない」
男は魔道書を閉じる。
「すまないが、これを片付けてくれ。多分、棚を間違えて入れたのではないかな?」
男の前の書棚は、点字書籍が並んでいる。
「あなたのお手に取られたそれは、本ではなく、本の形を借りた悪魔召喚装置でございます。そしてわたくしは、それによって呼び出された悪魔、ヘッテルギウスでございます」
「悪魔?」
「お疑いならば、悪魔の声帯で一声お聞かせする事も出来ますが、少々御気分と精神を害するのではないかと」
「必要ない。嘘を言っているのでも、妄想に囚われているのでもない声だ」
「信じて頂き、ありがとうございます」
「悪魔か……しかし奇妙に納得出来てしまうな」
「さて、これも何かのご縁。宜しければ取引を致しませんか?」
ヘッテルギウス氏は、男の肩を叩く。
「対価を頂ければ、それに見合った願いを叶えて差し上げましょう」
「対価というのは?」
「通常は魂でございますね」
「断る」
「魂は他の生き物や分割も可能です。ご自分に合ったプランで計画的なお支払いが出来ます」
「誰かを犠牲にしてまで欲しいものなどないよ」
男は笑う。
「私は多くの人に支えられ生きられている。全てに感謝し、日々を幸せに過ごしているよ」
「結論を急がずに」
ヘッテルギウス氏はにやりと笑う。
「まずはお試しのご利用は如何です。例えばそう。あなたの目を開いてご覧に入れましょう」
「目……視力?」
男の表情が一瞬変わる。
「はい。もちろん、神の皮肉な奇跡や人間の手術のように、機能だけを治療し、脳の部分を放置するような欠陥対応ではございません。魔力によるものです。今見えている人たちと同じ認識が出来ます」
「そんなことも出来るのか」
「はい。悪魔ですから」
「うむむ」
「お試し期間は一日、今から二十四時間。延長をご希望の場合、本契約といたしましょう」
「……分かった」
「グラスホッパーズ!」
地獄の四丁目のバーのカウンターで、ヘッテルギウス氏は殻ごとナッツを噛み砕く。
「完璧な作戦なんだよ、お試しで済む訳がないんだ! 魂を集めるにせよ、出来ずに絶望するにせよ、境遇を恨み神を呪う魂は増えて、こちらの売り上げになる筈だったんだ」
「聞く限りでは、良さそうな作戦ですが」
バーテンダーのニスシチは、ジューサーのスイッチを入れる。たちまち緑色のカクテルが出来上がった。
「で、実際はどうだ? あの人間、お試し期間できっちり終わらせやがった! その後も、神を恨む事もなく天国行きさ!」
「余程心の強い人間だったんですね。聖人の素養があったのでは?」
ニスシチはカクテルグラスを置き、空きかけた皿にナッツを足す。
「そんなもの片鱗もない、俗物も俗物だ! ただし」
「ただ?」
「小説家だったんだよ! あいつら、針ほどの物を棒ほどに膨らませて、机の前で全てを完結させやがる!」
ニスシチは小さく肩をすくめて笑い、この常連客の一番好きなカクテルの材料を冷蔵庫から取り出した。
【完】
読んでいただき、ありがとうございました。
ショートショートのくくりで書き貯めている作品のうち、「悪魔ヘッテルギウス氏」が主人公のもの抽出し再編集したものです。
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