『新人時代』
「ふぅ……」
まだ若いヘッテルギウス氏は、地獄の四丁目のバーで、ブラッディー・マリーを傾ける。
「どうされました」
髑髏の付いた、というか、髑髏で出来たシェーカーを振りながら、バーテンダーのニスシチが尋ねる。
「今日、上司から『もっと魂の収益を上げろ』ってケツ叩かれてね」
「ナベルス様ですね?」
「あー。頭三つで怒鳴るもんだから、うるさくって」
ヘッテルギウス氏は、ぐっとグラスを空け、メニューを手に取る。
「何か、旨いのあるかい?」
「バーボンのノブ・グリードがございますよ」
「スピリッツは見たくもないな。ワインかビールベースで頼むよ」
「聖霊にお仕事取られたんですか?」
「ああ。折角魂の売買契約を結んだってのに、聖霊のヤツが出張って来てな。結局、契約はご破算」
「それは残念でございましたね」
「なあマスター、良い魂の集め方はないもんかね?」
「そうですね」
バーテンダーはワインを探しながら首を傾げる。
「三つの願い、なんてどうですか? この前のお客さんは、ウインナー一本で魂を貰えたそうですよ」
「――アレは、結構難しいんだよなぁ。何でも叶えてやるっての、ものすごく費用もかかるし、出来ないと言ったら悪魔の信用問題になるし、何より叶える回数を増やせなんて言われたら最悪だよ」
「今まで、きちんと使えた人間はいないじゃないですか。せいぜいが金と女と権力ぐらい。それぐらい、経費で出るでしょう?」
「……そうだな。いっちょやってみるか」
翌日。
ヘッテルギウス氏は、地上行きのエレベーターに並ぶ。
並んでいる他の悪魔達は、これ以上ないほど元気そうなのもあれば、消滅寸前のようなものもいる。
(あの宗派は最近元気だなぁ。神と間違えて悪魔信者になった人間が、生け贄を山ほど寄越すって話だけど。でも、そういう仕事は邪道だよなぁ)
順番が回ってきたヘッテルギウス氏は、エレベーターが気まぐれに光ったところに、タイミングを合わせて乗った。
一瞬で景色が変わる。
目の前には、地獄と違う極彩色の世界が広がっていた。
「やれやれ、美しくない世界だ」
ヘッテルギウス氏は、足元を見る。
足元にはぞんざいな魔法陣が描かれている。
魔法陣の境界線に、ヘッテルギウス氏は指を伸ばす。それなりの抵抗があるが、全力で当たれば破れない事はなさそうだった。
(まあいいか。別に。未契約で魂を持っていくと、聖霊から文句言われるし。ハルマゲドンなんて面倒で仕方ない)
ヘッテルギウス氏は、魔法陣の前で腰を抜かしている人間を見下ろす。
「私を呼びだしたのはあなたですか?」
人間は、パクパク口を動かすだけで、何も答えない。
召喚儀式に使われている血液と、その人間との間が魂の緒で結ばれているのが、ヘッテルギウス氏にははっきり見える。
(混乱しているうちに進めないと! 冷静になられたらおしまいだ)
「あなたの魂と引き替えに、願いを三つ叶えてあげましょう」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
(よしっ)
「分かりました、ちょっと待ちます――これで残り二つです」
「あっ、えっ、えっ! そんな!」
自分が大事な一回を消費してしまった事で、人間は更に混乱する。
「い、え、と、そう、そうだ、金、金と女と権力と……」
(残り二つって言ってるのに、分からない人間だな)
「二つを越えた願い事をされても困りますよ。もっとも、生け贄を願い一つ当たり十人用意して頂ければ良いですが」
「あ、そうか、ええと、待ってくれよ……」
(よっしゃっ、こいつはアホだ!)
ヘッテルギウス氏は、にんまりと笑う。
「はい、待ちます。これで二つ目」
「あああああっ! そんなぁっ! じゃ、増やして、願い増やして!」
「ブラッディー・ドッグ!」
ヘッテルギウス氏は、ブラッディー・マティーニを一息で空けて、からまた注文する。
「おっ、ご機嫌ですね?」
グラスの縁に固まった血を付けながら、バーテンダーが尋ねる。
「マスターの言った通りだよ。三つの願い、いけたね」
「それは良かった。危ない事はなかったんですか?」
「ちょっとヒヤヒヤしたけど、OKさ」
「叶える回数を増やせなんて事は? ――はい、ブラッディー・ドッグです」
「言われなかったよ。きっと今ごろあの人間は、死後の魂の行方と――」
ヘッテルギウス氏は、ご機嫌でブラッディー・ドッグを飲む。
「千個に増えた願い事――欲望に、辟易しているだろうさ」
【完】