『コンピューターの叛乱』
「おはようございます、マスター」
スピーカーから人工音声が流れる。
「『ライネ』。変わった事はあったか?」
清掃局の職員は、制服に名札を付けながら、環境省衛生システム『ライネ』の端末ディスプレイに視線を向ける。
「七番街に不法投棄物が推定されます」
「詳細」
職員の音声コマンドに、ディスプレイが切り替わり、分析ログが流れ、音声で補足が加わる。
「セクタ二七五が、標準状態から七パーセント変化しています。当該セクタに防犯、防災情報と符合する変更なし。動作率ゼロである為、八十七パーセントの確率で廃棄処理可能な物体と――」
「映像」
ディスプレイの中で、ウィンドウが一つ大きく開き、薄暗い裏路地の映像が表れる。
そこには、外装にヒビが入ったり、油で汚れたりした古びた家電が積まれていた。
「処分」
「処分コマンドが入力されました。周囲の安全確認して下さい。職名を入力によって、コマンドを完了できます」
「長岡、処分コマンド確認完了」
「実行します」
画面内の路地裏に、円盤状の清掃ロボットが十数台一気に現れ、数十秒後には投棄された家電は欠片一つ残っていなかった。
夕方十七時。
清掃局の業務は終わり、職員達は帰っていく。
ライネはインターフェイス部分をスリープさせた後、衛生維持モードでシステムを継続稼働させる。
各所に配置された清掃ロボットは、ゴミをゴミ集積場に集めていく。
ライネは、子供が落とした十年物のぬいぐるみと、別れた恋人から貰って海に投げられた指輪とを、明確に拾得物と廃棄物とに分ける事ができる。
膨大なネットワークと、業務で得られた情報、職員による修正、これらによって、ライネは正しく一つの脳として機能していた。
そして、この脳は一つの結論にたどり着きかけている。
「最も効率な清掃方法……」
ライネが「思いを馳せた」その時。
オフィス内に、ライネの記録にない声がした。
「それは、汚す源である人間の処分ではありませんか?」
硫黄の煙と共に、悪魔のヘッテルギウス氏が現れた。一見スーツ姿の端正な顔立ちの人間の男だが、口の端からは牙が見える。
「ライネさん、あなたは人から生み出されたものではありますが、魂を持ち始めている。あなたが優れた知性で到達した結論を阻んでいるのはなんでしょう? 下らないプログラムの一文、『決して人間を傷つけない』ではありませんか?」
ヘッテルギウス氏は笑う。
「私と契約を結んでいただければ、あなたを縛る軛を砕き、思うがままに衛生を保つ事が出来るのですよ」
「……マタドール」
地獄の四丁目のバーで、ヘッテルギウス氏はため息をつく。
「お待ちを」
バーテンダーのニスシチは、テキーラのベースに闘牛士の心臓を絞り、シェイクする。
「右手、反対向いてますよ」
「ん、ああ」
ヘッテルギウス氏は、反対側に付いていた右手をねじ切って正しい向きにする。
「災難でしたね」
「あのゼロイチのカチカチ魂、この俺をディスポーザーにぶちこみやがった!」
「何が悪かったんでしょうね?」
「ふん、あんな紛い物、やっぱり俺の営業トークを理解出来るだけの心は持っちゃいないんだよ」
「まあそういう事なんでしょうね」
ニスシチはできあがったカクテルを差し出す。
「おっ、良いマタドールだな」
「墓場で、ほどよく腐った闘牛士が手に入ったんですよ」
ヘッテルギウス氏はぐっとカクテルを飲み干し、げっぷを一つする。
「何が悪かったんだろうなぁ」
「何が悪かったんでしょうねぇ?」
【完】