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『やり直し』

「……企画中止ですか」

 作家は、聞き返す。

「申し訳ありませんね、こっちの企画は悪く無かったんですが、別の方の企画で赤字出まして。現在進行している企画が、一斉に見直しとなったんです」

 出版社の担当は、申し訳なさそうに頭を下げる。

 フリーの編集は、黙って腕組みをする。

「進捗状況から判断して、ギャラは予定の半額とさせて頂きますが、ご理解下さい」

「原稿は全て上げたと思いますが」

「まあ……そうなんですが、何しろまだ初稿でしたし、編集作業としては半分ぐらいでしょう。弊社と致しましては、今後も良い関係を続けて行きたいと思いますので、何とぞご理解下さい」

「……分かりました。では次の企画について何か」

「ああ、すみません。他の作家さんも回らなければいけませんので、申し訳ございませんが失礼致します」

 出版社の担当は、頭を下げ、自分の分のコーヒー代だけを小銭できっちり置いて、喫茶店を出て行った。

 作家は、フリーの編集と顔を見合わせる。

「また、何かありましたら」

「はい……よろしくお願いします」


「畜生、またか」

 作家は家に戻り、PCに向かう。

 フォルダを開き、原稿のデータを見つめる。

 執筆時の記憶が蘇って来る。

「本になって売れないならまだしも、その前に終わるなんて」

 ぐっと奥歯を噛みしめる。

「もしも……大学卒業の時、普通に就職してたら、こんな思いもせずに、ずっと収入もあって、平穏に暮らせてたろうに。もしも戻れたなら……」

『戻ってみたいと、お思いですか?』

 突然。

 小さな破裂音と共に、硫黄の煙が上がった。煙が晴れると、そこには白いスーツ姿で、濃い灰色の肌をした人らしきもの立っていた。

「な、ななな!?」

「突然お邪魔して申し訳ございません。わたくし、悪魔のヘッテルギウスと申します」

「あ、あくま!? くわばらくわばら……」

「怯えないで下さい。悪魔は人に危害を加えるような存在ではありません」

「んな訳ないだろ、悪魔だぞ」

「それは偏向報道の類です」

 ヘッテルギウス氏は悲しげに首を振る。

「悪魔と人との関わりは契約に縛られます。契約は双方に義務の伴うもの。これを軽んじ、利益ばかりに目がくらみ、己の考えるのと異なる結末になった人間が、悪魔は悪辣だの乱暴だのと言いふらしたのです」

「契約を結んだ相手が納得してないんじゃ、詐欺みたいなもんじゃないか」

「聡明な方がきちんと理解した上で、条件を詰めて契約を結べば、どうという事はないのですよ。これは悪魔側にも死活問題なのです。悪質と見做されると、天使の粛正対象になりますのでね」

「……そういう力関係になってるのか」

「さて、ご理解頂けたところで」

 ヘッテルギウス氏は、傍らの椅子に腰掛け、アタッシュケースからクリップボードで挟んだ書類を出す。

 いつの間にか、悪魔然とした顔つきが、人間のそれに見えて来る。こざっぱりとした、柔らかな印象を与える中年男の、営業職のようだった。

「あなたのご希望は、作家の道を選ばず、新卒で会社員として就職する人生を辿る為に、大学卒業の幾らか前まで時を戻す事」

 半ば唖然とする作家だが、話の内容は不思議としみいるように伝わって来る。

「無論、ただ時間を戻したなら同じ選択をしてしまうでしょうから、あなたには、戻って一週間ほどは今の記憶を残し、その後不自然を感じない範囲で徐々に薄れさせていきましょう」

「ずっと覚えてはいられないのか?」

「20年間の記憶を持ったまま過去に戻るというのは、また別の願いになります。うろ覚えの株価一つでも億万長者になれますしね」

「……それで、代償はなんだ?」

「流石は冷静でございますね」

 ヘッテルギウス氏はにこにこしながら表を見せる。

「先ほど言ったコースで、魂を半分頂きます」

「魂!?」

「ああ、恐れる程の事ではありません。権利を譲渡頂くだけで、そのままお使い頂いてかまいません。何しろ、魂は二つに裂いて使うようなものではありませんから、多少でも権利をお持ちの間は無理に身体から剥がすような事は致しません」

「……一体何にどう使うんだ?」

「地獄や天国の、動力みたいなものなのです」

「つまり、全部持って行かれると地獄に落ちるが、そうでないなら天国行きという事か」

「ええ。悪事を為して残り半分の魂を汚すとか、別の取引で使うとかしなければ、そういう認識でよろしいですよ」

 ヘッテルギウス氏は書類を差し出す。

「さあ、よろしければ、サインを。このまま、後悔に沈みながらの人生から抜け出す一歩です」


「――モラクス・ショット!」

 地獄の四丁目のバーで、ヘッテルギウス氏はカウンターに座るなり注文する。

「いらっしゃいませ」

 バーテンダーのニスシチは、ウォッカに、ミノタウロスのブイヨン、ウスターソース、デスソースを垂らし、シェークし、ロックアイスを入れたオールド・ファッションド・グラスに注ぐ。

「お待たせしました」

 ヘッテルギウス氏は、カクテルを一気に半分ほど飲み干す。

「ご機嫌ですね?」

「ああ。今回の仕事は上手く行ってね」

「それは良かったですね。どんな内容なんです?」

「時戻しを使った魂取引だ」

「あれは違法になりませんでしたか?」

「それは記憶まで戻して無限ループになるからさ。オレのは、少しの間は記憶を残して、きちんと別の選択肢をとらせる」

「それは本当の運命改変じゃありませんか。魂半分じゃトントンか、下手すれば赤字でしょう」

「ああ、そうだよ」

 にやりと笑う。

「半分だけで済む、ならね」

 ヘッテルギウス氏は、もう半分をごくり、と、飲み干した。

【完】


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