勇者召喚(5)
「この西の塔の地下って……この塔の地下は薬品の保存庫と、古い書物がある書庫があるだけですよね?」
マルトは首を傾げる。
西の塔は通称、魔導士の塔とも呼ばれ、これに対をなす東の塔、剣士の塔と外観上同じ建物である。
しかし中は大分違っていて、西の塔が魔導の研究の為、座学を中心とした勉強スペース兼居住スペースであるのに対し、東の塔は親衛隊の居住スペースである。
親衛隊は王宮の警備、王族の警護が主たる任務なので、普段は塔から出払い、本当に就寝の時のみ塔に戻る様な生活だ。そんな親衛隊の者たちとまったく違い、魔導士たちは塔の中での生活がほぼ全てで、よほどのことがないと塔から出ようとしない者も多い。
マルトは6歳でアストラスに弟子入りし、10歳の時から西の塔で生活するようになった。もう2年近く魔導士の塔生活をしている。しかし自分の住んでいる場所に、自分の知らない場所があるなんて……。
「おぬしの把握しとるのは、地下二階までじゃな。もっともその下の階層を知っとるのは、儂の他は数人しかいないであろう。魔導士以外となれば王とその側近で、全員合わせても両の手で足りるくらいじゃ」
「それは秘密にすべきことなのですか?」
「そうじゃな。何が行われているかとか、王宮全体の構造上のこととか、様々な理由で秘密案件じゃな」
そうなのですか、とマルトは呟く。仕方ないことなのかも知れないが、自分の身の回りで、ましてや日常生活する場所で、自分の知らない場所があるなんて気分の良いものではない。
「まあそんな訳だから行くぞい」
「えっ、どこへ?」
アストラスは呆れ顔した。
「さっきから言っとるじゃろう。この塔の地下にある通称(祈りの間)じゃ」
「今、初めて聞いたと思うのですが……」
「じゃろうな、今考えた名称じゃ」
「どこが通称なんですかっ」
今度はマルトが呆れ顔をした。今考えたことを通称と言い切る師匠に、もうどう応じたらいいのか。
「まあ呼び方なんぞどうでも良い。肝心なのはそこで召喚術を、勇者召喚を行うということなんじゃ」
「そこでないと出来ないのですか?」
マルトは呆れ顔から一転、真面目な表情に戻り、アストラスに疑問をぶつけた。
「出来るか出来ないかと言うなら、出来なくはないじゃろう。じゃが膨大な魔力を行使するので、魔力探知を使って動向を監視しとる他国の魔導士に気付かれよう」
「気付かれてはまずいのですか?」
「まだ実際何が起こった訳でもない。まあ災厄が起こることは確実じゃが……。それでも大魔法を使って何かしただのと、変に他国に勘繰られるより、秘密裏に行うほうがええ」
マルトは少し考える。
そもそも隠しているから勘繰られるのであって、これから近いうちに大陸中を揺るがすような災いが起こる、と大々的に言ってしまえば、余計な腹の探り合いなどせず、むしろ協力体制をとれるのでないか。
アストラスは一言、無理じゃなと言った。
「確かに協力してもらえるなら、それに越したことはないがな。現状何が起こるか解らないことに、それも今の国家情勢を考えると、協力的な国は本当に極僅かじゃろう」
「何故ですか? 未曾有の災厄に対し多くの国家に協力してもらい、事に当たるというのが、正しい在り方ではないのですか?」
「マルトよ、おぬしの言うことはまったく持って正しいことじゃろう。じゃがな、この大陸の阿保な為政者どもは、正しいことだろうと頭で解っていても、それを実行することができない愚か者のほうが多いのじゃ、残念ながらな」
「……それは、悲しいことですね」
マルトは溜め息をつく。正しいことだろうと解っていても、それを実行することができないなんて。
「じゃがな、儂らは自分たちの考える最善の道を行くと決めた。勇者召喚を……勇者を呼び出すことで、それが大陸に光明をもたらすことになると……じゃがら、ほれ」
アストラスはマルトに向けて杖を放った。マルトはそれを、両の手でしっかりと受け取る。魔法の杖だ。マルトの握り拳大もあろうかという、大きな宝玉をあしらった立派な杖である。宝玉は魔力を帯びており、尋常ではない力を持っていることが、手にした瞬間から解る。
アストラス自身は古ぼけた何だか曲がりくねった杖を手にした。マルトはそれが何か知っていた。
かつて勇者と共に魔王を倒したという、伝説の大魔導士レグニウスの杖。自分に渡された杖の何十倍、何百倍もの力を秘めた恐るべき杖。
普段はアストラスの机の上に無造作に置いてあるので、弟子の中にもその杖がそんな超絶級の代物だと、知らない者も多くいる。
「さあ行こうかの。祈りの間へ」