勇者召喚(1)
大賢者アストラス・デヴィアス・ストラリウス3世は焦っていた。長年の自身の研究、世界の兆候から災厄の日が近いことが、手に取るようにわかるからだ。
(はやく勇者様を呼び出さねば、この世界は確実に滅んでしまう)
そんな焦燥感が顔に滲み出ているせいか、彼の弟子だけでなく宮中内の誰もが、彼を見掛けるとそそくさと姿を隠した。ただ一人、マルトを除いては。
マルトは今のところ、大賢者最後の弟子である。
アストラスは元来それほど弟子を取りたい訳ではないが、宮廷魔導士長という自身の宮中での役職上、弟子の一人もいないのはまずいと周りに説得され、しぶしぶ数名の弟子を取ることになった。
そしてマルトだが、そんな弟子育成に積極的でないアストラスが自ら迎え入れ弟子にした、ただ一人の存在なのである。その時のマルトの年齢は弱冠6歳、最年少の弟子にして、大賢者が取った最後の弟子となった。
何故最後の弟子などと言われているのかといえば、大賢者がその後一人の弟子も取らないからで、マルトを弟子にしたのは、自ら幼子を弟子にすればその後弟子志願の者が減るに違いないと思ったからだと、周囲の者たちはまことしやかに囁いている。
その真偽はともかく、確かにマルトの後に弟子になった者は皆無なので、あながち大賢者がマルトを人よけに使ったというのは、全くの嘘でもないようだ。
マルトは本名をアリス・マルト・ジェンティウスという。まごうことなく女の子である。大賢者に弟子入りした頃は、
(女の子?男の子?)
と首を傾げられたりした。しかし6年も経つと、彼女を男の子と間違う者は宮中には誰一人いなくなった。
だが、マルト本人が一向に女の子らしい格好しないので、彼女が女の子扱いされることもない。彼女の格好といえば、もっぱら魔導服(これは大賢者の弟子が身に着ける服装で、男女とも一緒のもの)である。
だから何なの、マルトは思う。別に女の子としてこの場にいる訳ではない。大賢者アストラスの弟子として、魔術を探究するためにこの場にいるのだ。男とか女とか、そんな了見の狭いことで私の邪魔をしないで欲しい。
マルトはもともと魔導士になりたいと思ったことはない。たまたまある時、マルトに魔力があることがわかった。この世界の者は、大なり小なり魔力を持っている。マルトには尋常ではない魔力が発現したのだ。そのことはあっという間に大賢者の耳に入り、自分の後継者として育て上げるというので、マルトの両親も納得して大賢者に彼女を預けることにした。
マルトは別に魔導士になりたい訳ではなかったが、宮廷に出入りできることと、自分の家では決してお目にかかれない貴重な本の数々を前にして、二つ返事で了承した。
最年少魔導士はこうして誕生したのだが、6年の年月を経て彼女こそ大賢者の後継者に相応しいと、実力的にも実績的にもきちんと周囲に認めさせるに至った。
そのマルトが、悩める大賢者に問い掛ける。
「お師匠様、何か問題事でもあるのですか?」
そう問うマルトの瞳は、純粋にアストラスを心配しているのが伺える。それがよくわかるだけに、大賢者はさも何事もないように、
「大したことではない。心配いらん」
と、強がって見せる。
絶対大したことことあるでしょう。マルトは声にこそ出さないけど、何も話そうとしないアストラスを見上げてため息をつく。そして少し考えて口を開く。
「お師匠様からすれば、私など取るに足らぬ存在なのかも知れませんが、私とてこの6年間ただ遊んでいた訳ではありません。大賢者の弟子として恥ずかしくないよう、日々研鑽を積んできたつもりです。それでも私はそんなに信用なりませんか?」
ただただひたすら真っ直ぐなマルトの瞳に、大賢者は首を左右に振り、ため息混じりに呟いた。
「そうではない、そうではないのだマルトよ。これは儂でもおぬしでも、他の誰でもどうすることも出来ぬことなのだ」
「でも、先ほど心配いらぬと……」
「言葉が足らなかったのは儂のほうか。すまなかったな、弟子に心配されているようではこのアストラス、いよいよ引退する時が来たのかのう……」
「何をおっしゃいます!まだまだ私や兄弟子の皆、お師匠様がいなければ道を見失います。これからが我々の一層の精進のしどころなのであって、我々の前を行く先達が、正しき方向へ導いてくれねば……」
弟子のますます真剣な眼差しに、アストラスは驚きを禁じ得なかった。
「マルトよ……おぬしどうしてそんな大人びたことを。いや……それはおぬしのせいではないな。儂ら大人がだらしないから、おぬしのようなまだ子供をしなくてはならぬ者に、そんなことまで言わせてしまうのだ」
「子供をするって……私はまだまだ十分子供ですが」
「そうではない、そうではないよマルト。おぬしはもっともっと年相応に子供をしなくてはならぬのだ。もっともおぬしを弟子にした、大人の世界に足を踏み込ませた儂が言う台詞ではないのかも知れんが」
アストラスの顔には後悔の念が浮かぶ。自分の都合でまだ幼いマルトを弟子にしたことを、今さらながらに悔いているのだ。そしてそれはこれから起こるであろう災厄に自分のような年寄りは役に立たず、マルトのようなまだ10代の若者たちに立ち向かってもらうことになる。それがアストラスにはわかるから、余計に苦悩するのだ。
マルトは思う。この大賢者は何ゆえ世界中の厄介事を、その一身に抱え込もうとしているのだろう。世界の厄介事なら、皆で少しずつ分かち合えばいいのだ。別に一人でなんとかしようしなくても、誰もアストラスを責めはしない。むしろ何が起こるのか、明らかにしないこそ罪ではないのか。
「お師匠様、お師匠様がここしばらく何やら悩んでいることは、弟子だけでなく宮中の誰もが知っていることです」
「なっ……」
「誰にも知られていないとでも思っていたのですか?あれだけあからさまに暗い表情で宮廷内を彷徨いていたら、西の塔から出ない私のような人間にも、嫌でも耳に入って来ますよ。お師匠様がおかしいと」
アストラスは、本当に知られていないとでも思っていたようだ。大賢者のような魔導を極めた人物でも、いやそんな人物だからこそ日常レベルでの行動に、隙というか抜けているとこがあるのかも、とマルトは少しほっとしたのと同時に寂しい気分にもなった。
(結局この方は誰も頼りにしていないのだな。口ではそんなことはないと言うが、行動が全てを物語る。誰にも頼ることが出来ないと……)
「お師匠様は我々をなめています。大賢者アストラスの弟子として、研鑽を積んできたと先程申しあげました。その我々が今の状況、世界の異変に気付かないと思いますか?確かにお師匠様が感じておられる重大事なのか、そこまではわかりません。ですが世界が少しずつ変化していることくらい、未熟な私でも感じ取れます」
「マルト……」
「お師匠様、今この世界に何が起ころうとしているのか、お教え下さい。未熟なりに何かの役に立って見せます」
「……わかった。それこそ儂一人では何の役にも立たぬことは、儂が一番わかっていたというにな……。この上は全てを明らかにし、お前にも力になって貰うことにしよう」
大賢者はそう言うと、目をつむり少しの間何やら考えている。そして意を決したのか、重々しく語り始めた。