序
オヤジは一昔前でいうガテン系であった。
つまるところ肉体労働者である。身体が丈夫なのが自慢の、体力バカもとい、スーパーマッチョマン(と呼んであげると、本人がえらく喜ぶので時々呼んであげている)なのだ。
オヤジは身長はさほど大きくない。173㎝(たぶん実際そんなにない。数字はオヤジの自己申告のものだ)くらいだ。だがオヤジの年代の身長としては、まあ普通じゃないだろうか。
オヤジは身体を鍛えるのが好きだ。先程から述べているとおり人並み外れて丈夫な身体をしているので、仕事終わりにジムに通う筋肉バカなのだ。
そんなに鍛えて何をするのかというと、特に何をする訳でもない。鍛える、それ自体が目的となっている。鍛え上げた肉体をジムの鏡や、自宅の浴室にわざわざ設置した全身映る大きな姿見で、ボディビルダーさながらのポージンクをとって、一人悦に入っている。
ならボディビルを本格的にやればいい、と周りの人間は思うのだが、それは素人の浅はかさだとオヤジは言う。
別にボディビルダーになりたい訳でも、鍛え上げた肉体で何かビジネス的なことをしたい訳でもないのだ。強いて理由付けをするなら、
「健康の為、それ以外に何がある?」
と、オヤジは声高に叫ぶ。
そんなトレーニングバカのオヤジだが、当然ながら家族がある。オヤジというからには至極当たり前のことなのだが、この男は何故だかわからないが家庭の匂いというか、平和で穏やかな生活の匂いといったものを感じさせない。
別に危険な雰囲気を漂わしているとか、ちょっとソレ系っぽい格好をしているとかではまったくない。単にオヤジの日常生活が、彼を知らない者には想像しづらいのだ。いや、彼を知っていても想像しづらい。
そんなオヤジの家族だが、まずこの男には分不相応なくらいの超絶美人の奥さんがいる。そりゃもう片田舎の町だから、彼女の存在を知らない者はいない。この二人のことを世間では、『美女と野獣』と呼んでいる。だがオヤジと美人妻は幼稚園の頃からの知り合いだそうで、いわゆる『幼なじみ』だということだ。どういう経緯で二人が交際を始めたのかはわからないが、オヤジが高校を卒業して割と早くに結婚している。
早婚の『美女と野獣』夫婦には二人の子供がいる。一人目は男子で、顔立ちは母親似ですらりとした感じのイケメンだ。ただ、身体的にはオヤジの特徴を受け継いでおり、幼少の頃から病気知らずの屈強な肉体の持ち主だ。オヤジとの違いは身長180㎝を越える細身の体格で、身体を鍛えることを趣味とはしていないところだ。
二人目は女の子で、イケメン長男より一年半ほど後に生まれた。この子は肉体的にはオヤジの特徴は受け継いでおらず、時折病気になったりした。しかし生まれたばかりの頃は顔が残念なくらいオヤジ似で、親戚一同慌てふためいたものだ。だがやはり超絶美人妻の娘、年をおうごとに綺麗になって、中学生になる頃には母親似のそれはもう町中評判のベッピンさんとなった。
以上がオヤジの家族、オヤジ本人、超絶美人妻、イケメン男子高校生、母親そっくり美少女中学生の四人家族である。オヤジは世間から変わった男と思われているが、そんな評価は何の意味もない。
少なくとも当人たちは幸せだった、あの時までは。
まさかあんな事が起こるなんて、いったい誰が予見できるというのか。あの出来事によって家族全員が、今までの平穏な生活をひっくり返される羽目になるとは。
そうそう、まだオヤジの名前を紹介していなかった。オヤジの名は楠木孝志朗という。