致死量のサラダ、無自覚の悪意へ捧ぐ
よろしくお願いします。
生まれつき体が弱くって、いつも死と隣り合わせだった。
故国の風は、ぼくには毒でね。
両親は仕方なく、ぼくを外へ出したんだよ。
こっちの叔父夫婦はとても優しいし、家族との、特に末の妹との手紙のやりとりもしょっちゅうしてる。
つまり、ぼくはね。
家族のことを愛してるんだ。
その家族が大事にしてる故国のことも、長く滞在できないぶん、なおさらいとしい。
だからこれは、そういうぼくの宝物を侮辱した、君へのささやかな嫌がらせだ。
北の土地柄をあらわすような白い肌、毒々しい髪の色。皇太子としてふさわしくあれと教育された自分を軽々相手取って剣を振るう、誰がどう見ても病弱ではない青年。彼の生まれが、かすかな侮蔑と大きな畏怖をもって呼ばれる毒の国だと知ったのは、十五の時だった。
「……侮辱したつもりはないが」
「ふうん。そう。あんな不良在庫押し付けておいてそう言うの?」
彼の末の妹に婚約相手として用意した異母弟はそこそこ優秀で見目も良いはずだ。
厄介払いというより、むしろ弟の身を案じたつもりでいたのだが、この冷ややかな眼差しからして、何かやらかしてしまったらしい。
「帝国の名に誓って。愚弟はどんな失礼を?」
「妹を人殺しだとのたまったそうだよ」
この身にあるまじき事だが、思わずため息が漏れてしまう。
失礼どころの話ではない。
「君、あの弟さんに説明してやらなかったの? うちの教育機関は特殊だと、ぼくは何度も言ったよね。生まれがどれだけ高貴だろうと、あそこじゃ何の言い訳にもならない」
忠告はした。
だが弟にとっては、自分は己を追放する憎い敵のひとりに過ぎなかったのだろう。
こちらの懸念を曲解したあげく、想定外のところで足を引っ張ってくるとは。
「……毒見役というものは、多くの場合使い捨ての道具に過ぎないからな」
言い訳がましくつぶやきながら、立ち上がる。
帝国が誇る優秀な騎士に師事し、文武両道などという枕詞をつけてもてはやされる自分が驕らずいられるのは、この友人のおかげだろう。
護身術程度だからなんて謙遜し、油断させておいてこれだ。
数度のつばぜり合いの後、足をかけられ剣を奪われた。
「ぼくらにとっては違う」
地に落ちた模擬剣を片足で器用に立たせて、こちらへ放る。
と言っても、的は自分ではなく側仕えだ。慌てず騒がず鞘へしゃりんと納めてみせた従者ともども、下手な曲芸より見ごたえがある。
「知っている」
北果ての毒の国では、毒見というのは高度な専門職だという。
毒が入っていないか見定め、入っているならば成分を突き止め、解毒、治療まで行う。本来ならば「調理」するまでが職務なのだと聞いた。
専門的な薬師であり医術者であり研究者であり料理人。
そんな人材だ。
諸国ではそこまで求められない。
留学生たちはある程度の目処がついたら……料理人になる前に、母国へ戻され各々の役目に従事する。かつては流刑地だったというが、そんな前時代的な認識を持つ者は上流階級にはほとんどいない。
毒の国とは、薬師と医術の国でもあるのだ。
そちらを名乗れば聞こえも随分よかろうに、公国はあくまで毒の国を自称する。
「しかし、毒見に耐性などつけて良いものなのか? それが裏切れば、あるいは裏切らずとも毒に気づかなければ、要人の暗殺も容易いことではないか。見知らぬ毒を持ち込まれたら、我々にはなすすべもない」
皇太子の愚痴に、ぼくはそっと目を細めた。相変わらずと言えばその通りだが、事ここに至ってもまだ彼には自覚がないらしい。
「君は時々それを言うけど、じゃあ留学生なんて寄越さなきゃいいんだよ。ぼくたちは行き場のない彼らを受け入れているだけで、元の場所へ帰れなんて言ってないんだから。彼らを信用できないなら、そもそも帰ってこいなんて命令しないで欲しいなあ」
毒の国の外交官は、世界各地に広く駐在している。
その多くがぼくのように公国を愛しながらも体がついていかない者たちだ。かつて留学生として送り込まれ、故国より公国を選んでくれた仲間もいる。
彼らは皆口を揃えて言うのだ。
戻ったところで使い潰されるだけの「母国」より、己の身を鍛え少しでも長く生きてほしいと願ってくれるこの国をこそ、帰るべき場所にしたい。
いつ死ぬのか観察され、怪しい動きを見せていないか監視される。そんな一生に何の価値があるのか。
それでも泣く泣く帰っていく友がいる。
家族を、恋人を、大切なものを人質にとられて逆らえず飼い殺されに戻る彼らの気持ちを、この皇太子は一度でも考えたことがあるだろうか。
「君ってさ」
小さな罪深い土地で生まれたぼくを友人と呼ぶことが、どれだけ彼の評価をあげていることだろう。
哀れな異母弟を善意の贈りものとして差し出し自尊心を満たす、お優しい皇太子サマ。救うつもりで死地に送るという決断を、人々は上っ面でたたえる。でも彼を本当に優しいと思っているのは本人だけだ。
当たり前に部下を疑い、遠回しではあるけれど早く死ねと命じる。
偽善と呼ぶことすらはばかられる、彼の傲慢さがぼくは昔から気に食わない。
「自分がどんな人間だと思われてるか、知ってる?」
彼は渋々うなずく。
「血も涙もない、と陛下からも叱られた」
近隣には武勇で知られる皇帝陛下。義に厚く、内政を支える皇后陛下の人望もあわせて、その治世はかなり安定している。
ぼくも何度かお会いしたけれど、皇帝陛下の最大の懸案はこのまま長子を後継にしてよいのか、というものだった。まあそんなことを小国の公子に打ち明けられても困るので、曖昧に笑って逃げさせてもらったけど。
「何してそんなこと言われたのさ」
尋ねてみたものの、心当たりはいくつもある。
直近ではうちの末っ子と彼の異母弟の婚約もどきに関することだ。
あの不出来な弟さんも、言ってみれば被害者だ。実の母が毒殺された身の上で、覚悟もなく説明もなく毒の国に送られる。そして茶会で殺されかけた(これはあくまで彼の主観になるけど)というのだから、何もかも信じられず安易な方向に逃げたくなるのも無理ないと思った。
これに関する理解については、末の妹とぼくの、絶対的な立場の違いってやつだ。
ぼくは妹が好む料理など絶対口にできない。
致死量のサラダなんて控えめな言い方をしたけれど、あれをぼくが完食するには最低でも六回は死ぬ必要があるくらいだ。
茶会だって、ルールを守らず行われた場合最初に脱落するのは間違いなくぼくなのだから、あの学園の過酷さは妹よりずっとよく知っている。
かえって、この皇太子なら多少の耐性はつけているはずだから、ぼくよりまともにあの食事を楽しめるかもしれなかった。
「それがわかれば苦労はしない。……私はいつも、最善の一手を選んでいるつもりなのだがな。父上のように偉大な方には、この凡才には見えぬものが見えるのだろう」
友を脅して不出来な異母弟を押しつけるのが最善か。
彼の表面的な「友情」などはなから信じていないので、その点、ぼくたちは似た者同士だ。
「凡才、ね」
帝国は広く、当然のように強い。
だから慎重に、ここまで馬鹿にされてもなお慎重に見定めるつもりでいた。
でも、もうその必要もなさそうだ。
叔父夫婦とも話し合ったけれど、彼が即位すれば毒の国は帝国から手を引く。現皇帝陛下にはお世話になっているから、あのご夫婦にだけは毒味役を残していくけれど、他の一切の人材は帝国から引き上げさせる。
単なる脅しでなく準備もしている。下々の小さな動きなんて気にも止めない皇太子と違って、皇帝陛下はきちんと気がついていたのだった。
わざわざぼくに迷いを打ち明け、今日の手合わせをお膳立てしてくれたのもそのせいだ。
彼は皇太子を降ろされるだろう。
試されたことにも気づかず、自分を優しい人間だと信じたまま。
幸い帝国の皇子や皇女はたくさんいる。
皇后様との間に限っても、この男の他に三人の子どもが生まれているし、出来の良さに大差はない。
他人の気持ちがわかるかどうか、またそれを公私で切り替える能力があるかどうか。
その意味では、三男が一番よいかもしれない。
まあぼくはしがない公国の一公子で、よその国の跡目争いに口を挟む権利も義務も義理もないけれど。
末の妹の手紙には、皇子には役者が似合うかもしれないと書いてあった。
もちろん戯れ言だけど、この皇太子にはどんな新しい道が向いているのか、ぼくにはちっともわからない。いっそ拷問官なんてどうかな。言わないけど。
凡才のくせに天才気取りの皇太子様は夢にも思わないかもしれないが、ぼくのようなか弱い生き物にさえ、呑み込んでしまわなくてはいけない毒ってのはたくさんあるのだ。
春祝いの歌を口ずさんでみる。
帝国はとっくに春になり、夏がすぐそこまで来ていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
「毒の国」とそれ以外の国の価値観の違いを表現したくて書いたのですが、なかなか難しい……。
少しでも伝わっていると嬉しいです。