みえない遊び手
小説家になろう、夏のホラー2021のテーマは「かくれんぼ」であるという。このテーマを聞いたとき、私はすぐさまとあるお話を思い出した。といっても、そのお話は私が作ったものではなく、私がまだ幼いころに父から聞いたお話であるのだが。果たして父も祖父から伝え聞いたのか、それとも父が考えたのか、その出所ははっきりとしたものではないが、これは私の地元が舞台となった少し奇妙で怖いお話だ。少々邪道のような気はするが、今回はこのお話について、語らせていただこう。
さて、私の地元というのは特別田舎にあるわけではない。小学生のときはときどき「猿が出た」と警報が入っていたが、それ以外では野生動物を見かけるような機会もないぐらいのちょっとした田舎だ。それでも私の家から車で十分ほどのところには、地元では知らない人はいえるほどの馴染み深い山がある。私も小学生のころは遠足で登りに行ったものだ。
ところで山というのはたいてい登るべき道が決まっているものだ。私も登山をした経験は何度かあるが、必ず道に沿って進むようにしていた。皆さんの中に、山を登ったことがある人は多くいれど、その道を逸れて山中に進んだことがある人はそういないのではないだろうか?
ある意味で道から外れた山というのは一般の人が立ち入らぬ未開の地だ。薄暗く先が見通せず、そして足元は覚束ない。人が立ち入るには得もなく、少々危険が過ぎるというもの。しかし神秘というのはそういう場所にこそ宿るのだろうか。誰も立ちることのない我が地元の山腹は、不思議な子どもたちを身ごもっているという噂がある。
舞台は私が産まれるよりも前、まあだいたい1980年頃だろうか、それくらいにまでさかのぼるらしい。ひと昔前では娯楽も少ないものだから、子どもたちは大人の目の届かないところにいって秘密基地を作ったりして遊んでいたらしい。まあクラス内ではどのグループがどこにどんな秘密基地を作った、なんてのは男子の間でほとんど公然の秘密として知られていたらしいが。そして子どもたちが秘密基地を作る候補地のなかに、山道から少し外れた場所にあるちょっとした空き地があったのだとか。
一郎、次郎、三郎、四郎の四人組は、先輩からなし崩しに譲り受けたその山中の秘密基地に放課後集まっては、色々な物を持ち寄って遊んでいた。もちろん彼らの名前は仮称であり、中心となるのはいつも年長の一郎であったことを付け加えておこう。
彼らは学校が終わるといつも家に帰らずそのまま山へと向かう。今だったら親が何かと文句をつけそうな話だが、当時は結構当たり前のことであったらしい。だけどまあ毎日のように山に集まればやることも決まってきて、それに退屈してくる。しかも彼らは四人組という比較的小さなグループであったから、惰性的に過ごす秘密基地での時間にも飽きがきていたのかもしれない。
「かくれんぼ、しようや」
一郎がそう提案したのも、そうやって暇に悩まされていたときのことだったらしい。かくれんぼというのは当時でもメジャーな遊びの一つだったが、さすがに山のなかで隠れては見つかるものも見つからん、ということで、その遊びが提案されることは今までなかった。もちろん一郎もそのことは分かっていたので、隠れるのはこの近くのみという漠然としたルールを提案して、他の三人もそれに乗っかった。
鬼はジャンケンで三郎に決まった。あまり元気な子ではなかったが、空手を習っているとかで上級生を泣かせたこともあり、一郎も一目置いている。鬼になった三郎が青いビニールシートで作られた秘密基地のなかにはいり、大きな声で数を数えだす。三郎は六十まで数えると、外に出てきて他の子を探し始めるのだ。
さあ、隠れよう。急いで隠れよう。というわけで一郎、次郎、四郎は散ることもなく三人そろって駆け出し、木々をぬって近くの窪地に身を寄せ合って隠れた。隠れたので、もちろん三人は息をひそめて三郎の声をに耳を澄ませた。
「さんじゅうし! さんじゅうごぉ! さんじゅうろく!」
三郎の声はしっかり山に響いている。
人というのは意識しなければ意外と音を拾わない。鳥の声、蝉の声、風の轟き、水のせせらぎ。特別でない音というのは意識しなければ存外記憶に残ることはない。山の奏でる自然の音というのは、自然だからこそ気にすることはないものだ。三人はいつも山で過ごしていたので、そういった山のささやきを意識することなく三郎の声をしっかりと聞いていた。
しかし、どうもおかしい。なにがといえば曖昧だが、三人は奇妙なほどに山が騒がしいと感じた。聞きなれたはずの自然の音色。そのはずなのに三人が改めてそれに意識を向けたのは、普段とは違う音がはいっていたからかもしれない。
葉が擦れる音、土がはじけ、枝が折れ、落ち葉が踏まれる。それが遠ざかり、近づき。
「猿かなぁ?」
小柄な次郎が不安そうに、そうひとりごちた。
「違うでしょ」
そう返した一郎に、分かっていたのか三郎は押し黙る。
葉が揺れる。土を踏む。しかし生物らしい息遣いは一切聞こえない。タヌキかキツネか、それぐらいの大きさの動物だと三人は思ったそうだ。というのも、その音はとてもすばしっこく、右へ左へ、向こうへこちらへと走り回っていたからだ。
「よんじゅうごぉ! よんじゅうろく!」
三郎は変わらず大きな声をだしているようだった。
数が進むにつれ、奇妙な音は次第にざわざわ、ざわざわと、大きく、いや、増えているように聞こえた。三人の周りを、秘密基地の周りを、何匹、何十匹の動物が動き回っているような、おかしな音だった。
さすがに不気味に思って、三人は一層息を殺して、耳を澄ませ、窪みから外を窺った。
ポキンと枝が折れる音、視界の隅で土くれが舞う。何かが茂みに飛び込んだような気がした。
「なんだろうね」
黙っていられなくなった次郎がすがるようにつぶやく。
気にもしないことだと、そう自分に言い聞かせるような言い方をした。
「何か変じゃないか?」
四郎がいう。変だと。
それはそう、間違いなく変だ。まず野生動物は人に近づきたがらないことを彼らは知っている。大きな声を出している三郎がいるのに、こんなにたくさんの動物が集まってくるのは変だ。なにより、三人は誰一人として、こんなに動き回っているたくさんの何かの姿を、目にしていないから。
「変だよ」
四郎が重ねる。
そう思うとよりいっそうに気味が悪くて、奇妙なかけずりは聞こえないのがおかしいと思えるほど大きな音になって辺りを満たしていた。
「ごじゅうはちぃ! ごじゅうきゅう!」
どこか祈るような気持ちで三郎の声を聞いていた。時間が経てば、なんとなくこの薄気味悪いざわめきが遠のくのだと期待した。
そして、それは当たらずとも遠からず、三郎が数を数えあげる。
「ろくじゅう!」
ぴたり、と。
音は止んで、山は静かになったらしい。
三人は背中を虫が這ったような、心臓が縮まるような気がした。
季節は秋であったが、彼らの腕は真冬のように鳥肌が立っていた。
「もういーかい?」
三郎の問いかけに、答えることはできなかった。
でも三郎は気にした様子もなく、静かな山にビニールシートを擦る人工的な音がした。
学校で彼らがかくれんぼをするとき、いつも「もういいかい?」の声には「もういいよ」の声が返ってくる。だから、三郎が少しも返事を気にせずに秘密基地からでてきたことに奇妙な違和感を覚える。
三郎は彼らの向かいを探しているようで、しばらく静かな山に耳を澄ませながら、三人は黙っていた。聞こえてくるのはいつもの山の音だ。鳥の鳴き声、風のささやき、静かな山に聞こえるのはそれと三郎の足音だけだ。
「いったん、戻らない?」
次郎のひそひそ声での提案に、二人は一も二もなく頷いた。
なんとなく、気味が悪い気持ちは残っていたから。
とたん、遠くで声があがる。
三郎の声だ。
どこか嬉しそうな、はしゃいだ声だった。
少しすると、三郎がまた歓声をあげる。
そうしながら、三郎はこちらへと近づいてきているようだった。
窪地にいる三人は顔を合わせた。
なんで三郎は一人で喜んでいるのか、それが分からずやはり気味が悪い。
戻るにしても、三郎が近くにきたら声をかければいい。とにかく、三人はなんとなく三郎も気味悪く思えてしまったのだ。
「見つけた!」
今度ははっきりと三郎の声が聞き取れた。
だがおかしいのは、三郎は明らかに三人を見つけていないことだ。窪みの見えない坂の上で、三郎は嬉しそうにそういったのだ。
がさがさと、音がした。
ついさっき聞いた音と、実によく似ていた。
その音はすぐさま秘密基地のほうへと遠のいていく。
いったい三郎は、なにを見つけたというのか。
次郎が口を開こうとして、やっぱり口を紡いで目を伏せた。
三郎が歩く。
土を踏み、葉を蹴散らす音が、やけに鮮明に聞こえる気がする。
心臓が早鐘のように打っていた。体の贓物が上に押し込まれているようだ。
彼らは鬼から隠れているような心地になっていた。人を殺して食べる、人食い鬼から。
ずるずると、斜面を下る音がする。
三郎はこの窪地のことを知っている。だから、三人がここにいないか覗きにくることは当たり前だった。三人ともそれがわかっていながらここに隠れたのだから。
ぐいと三郎が窪地を覗く。
覗き込んだ三郎の目は、イカれていた。
うまく焦点が合っていないような、色彩がどこか薄いような、まるで死んだ人みたいな目をしていた。
その目が、じっと、三人を見ていた。
「あー」
三郎の口から意味のないうめきがこぼれる。
そして興味を失ったように、ふいとそっぽを向いて離れていく。
「三郎!」
一郎の叫ぶような呼びかけに、びくんと三郎の肩が跳ねた。
「びっくりしたぁ! え、イチにぃいたの? ほんと?」
三郎はたいそう驚いた様子で一郎がいたことに目を白黒させている。
聞くところによると、このとき三郎は窪地に誰もいないと思っていたらしい。
三郎がいつもどおりであることを確認して、次郎と四郎も詰めていた息を大きくはいた。
「なんやおかしいわ。いっかい家帰るぞ」
一郎の有無をいわさぬ宣言に三郎も何が何やらといった様子で頷く。
急いで秘密基地に戻り、四人は学校のカバンやら持ち込んのだ道具やらをまとめだす。
「狐につままれたんかな?」
三郎は特に状況についていけずたいそう困惑していた。自分の頬を手のひらではたいて、さきほどまでのことをはっきり思い出そうとしている。
「誰かいたんやけどな、何人も」
「うちら以外おらんよ。さっきの三郎おかしかったで」
三郎のつぶやきに次郎が非難めいた言葉で返す。
「ほんまにいたんよ…」
しかし自分でもおかしいと思ったのか、三郎はそれだけいって押し黙った。
それからは四人とも押し黙って、手早く帰り支度を進めた。
「ーーー」
「なんや今の」
三郎がとたん声をあげる。
秘密基地から一郎が出ようとした、そのときのことだった。
「なにが?」
「いや、変な音聞こえん?」
四人が黙る。
葉が擦れる音、土がはじけ、枝が折れ、落ち葉が踏まれる。それが遠ざかり、近づき。
ついさっき聞いた音だった。
「ーー ーーー」
しかし、その中に聞きなれない音が混じっている。
掠れたような、ざわめきのような、とらえどころのない奇妙な音だ。しかし、一定のリズムで響くその音はどこか人間的でもあった。
「ーーー ーー ーー」
「な、なんかさ」
四郎が震えた声で言葉をひりだす。
「ーー ーー」
「数、かぞえているみたいやない?」
いつのまにか山のざわめきは大きくなっている。
見えないなにかが必死にそこらを駆け回っている。
「逃げるぞ!」
一郎がそう叫ぶと、秘密基地の外に飛び出した。
それに置いていかれまいと、三人が必死になって後を追いかける。
目の前の地面から、誰かに踏みつけられたかのように砂利が舞う。
枝が折れ、葉が落ちる。
四人はそのなかを全速力で駆け抜けた。
六十まで数をかぞえると、鬼が彼らを探しにくる。
その前に、鬼が来る前に逃げなくてはならない。
息も絶え絶えになり、四人が麓についたときには、もうあの奇妙なざわめきは聞こえなくなっていたんだとか。それ以来、彼らが山で遊ぶことはなくなったそうだ。
さて、父から聞いた話はこれでお終い。特にオチのようなものもないが、神秘というのは始まりも終わりも唐突なものだろう。
あと、四人の掛け合いや場面については私が思い出せる限りで脚色を加えて書いているので、そのことはご承知いただきたい。
ここからはちょっとしたオマケについて話そうではないか。
このお話が真実であるかは分からないが、実は面白いことに似たようなエピソードを友達に聞いたことがあるのだ。それはとある川で鬼ごっこをしていたときの話だったのだが、突然子どもが走ったような水飛沫がいくつも現れたというものであった。場所も時間も違うが、見えない何かがすばしっこく動き回るという内容はよく似ていたので、とても印象に残っている。
もしかしたら、今も人が立ち入らぬ場所に、見えない者たちがいるのかもしれない。それが山中か、川上か、夜の学校か、それともあなたの住まいの床下か、私に明言できることは何もない。また、彼らがどんなことを目的に、なにをしているのか、人に危害を加えるのか、それも分からない。それでも人が立ち寄らぬ場所にいくのなら、あまり大きな音をたてて騒ぐべきではないだろう。
あなたの声に、何がつられてくるかわからないではないか。