アフター・ダーク
結局、朝まで眠気は訪れなかった。僕は羊を数える代わりに、彼女の太ももにあるほくろの数を数えていた。
彼女が目を覚ますまでには、朝日が窓の桟にかかりはじめてから三時間ばかりかかった。
それから、昨夜から今までの出来事と、今が仕事に行くにしては遅すぎる時間だと気づくまでに、五分ばかりかかった。
「水をくれるかしら」
彼女はあきらめたような声で言い、僕はベッドサイドの水差しを渡した。
それを、彼女はすっかり飲み切って、大きなため息をひとつ吐いた。
「遅刻の言い訳をするには遅すぎる時間ね」
「ワーウルフの襲撃にあったことにしよう」
「ワーウルフの襲撃なんて、ここ数年はないわ。第一、ワーウルフはS/E/Xをしない」
「ワーウルフはS/E/Xをしない」
僕が繰り返すと、彼女は少し笑って、床に落ちていた青いワンピースを頭からかぶった。
「いいのよ、どうせ仕事なんてないから。時々訪れるあなたみたいな人が、もしかしたらうっかりオリハルコンでも持っていないか、チェックするだけだもの」
「オリハルコンを持ってこなくてよかった、ちょうどリュックの中に入ってたけど重いから置いてきたんだ」
彼女はくすくすと笑った。オリハルコンなんて持っているのは一国の主か、国をまたいで活動する豪商か、数千年の歴史を誇る大貴族ぐらいだ。
でも、実際に、僕のリュックには数日前までオリハルコンが入っていた。任務で鉱石竜を討伐した際に見つけたのだ。
実際、僕は任務にかけてはかなり筋がよかった。他の魔術師が数十名で取り掛かる討伐任務を一人で問題なくこなせたし、まず失敗はしなかった。
魔法についても、普通の人が数十年をかけて取得する知識と技術を、既に手に入れていた。
おかげで、前例が少ない魅力スキルについても、ほどなく理解することができた。
【吸引力】。
この力の意味合いは単純だった。僕が意識を向けた相手を、否応なく僕に惹きつける。
僕は、意識した女の子を何の苦労もなく好かせることができる。
今は特定の女性だけだが、レベルが上がればすべての女性、あるいは男性までも対象にできるだろう。
それを思うと、僕の心は冬を迎えようとする渡り鳥のように重くなった。
実際のところ、僕はそんなスキルなんて求めてはいなかったのだ。
「あなたはこれからどこに行くの? もしよければずっとこの町にいるのもどうかしら、美味しいパスタを出すレストランもあるの」
彼女がそわそわとしながら僕に近寄ってきた。僕はベッドから降りて椅子に座り直し、頬っぺたをごしごしと擦った。
「エストバードへ行こうと思う」
「エストバードなら、乗合馬車が明後日に出るわ。それに乗ったらどうかしら。それまでは私の家に泊まるといいわ、ちょうど部屋が一つ空いているの」
彼女はどうしても僕を泊めさせたいらしかった。
それが、僕の【吸引力】によるものかどうかは、わからなかった。
僕は、昨日の晩から、意図してスキルを抑制していた。彼女と会話をし、彼女の規則正しく清潔な寝息を聞いている間に、僕は自分のスキルの感触と扱い方をある程度会得していた。
だから、今日の彼女は、【吸引力】から自由になっているはずだった。
だけど、もしかすると、一度放たれた【吸引力】は効果を持続させるのかもしれない。
それを調べるには、あと数日、彼女の様子を見ておく必要があった。
「じゃあ、その馬車に乗ろう。手続きはいる?」
「いらないわ、当日にロータリーに行って乗り込むだけでいいの。どうせエストバード行きなんて空席だらけだから」
「エストバードはそんなに人気がないの?」
僕の問いに、彼女はゆっくり首を振った。
「エストバードは大きな町よ。でも、ここからわざわざ馬車に乗り込むなんて人がいないだけ。大抵みんな王都から乗ってくるもの。王都から歩いてくるなんて、よっぽど暇な冒険者ぐらいよ」
「僕は暇だけど冒険者じゃないな」
「じゃあ何なの?」
「旅人だよ」
「旅人なんて職業は無いわ」
「ついさっきできたんだ、無事国会で承認された。明日にはタウンワークにも載る」
「その旅人さんは、なんで旅に出たのかしら?」
「最高のシェービング・クリームを見つけるんだ。見つかるまで王都に帰って来るなって王様に言われてる」
僕の冗談に、彼女はくすくすと笑った。でも、僕が帰ってくるなと言われているのは本当だった。
「エストバードにそのシェービング・クリームがあるの?」
「そうかもしれないし、あるいはそうじゃないかもしれない」
「でも、もしかしたらエストバードならあるかもしれないわね。ここら辺では一番大きな市場がある都市だから」
彼女は立ち上がり、壁にかかっていた大きな毛織の地図を外して、ベッドの上に広げた。
「ここが今いるスプー。エストバードまでは、この森を通る街道を抜けていくわ。あまり危険な魔物がいる話は聞かないし、馬車には冒険者も乗り合うから安心なはずよ。だいたい片道三日ってところね。あと、先に冒険者登録を済ませておくといいわよ。悪いけど、まだ旅人という職業は国際的には認められていないみたい」
「なるほど。どうしたらいいんだろう?」
「ギルドへ行って、登録をするだけでいいわ。国際機関だからどの国でも有効な身分証明書になるわよ」
僕は彼女に連れられて、冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドは、割合に大きな建物で、目立つマークが入った木製の看板を掲げていた。
中に入ると、冒険者らしい男が二、三人と、その連れらしき女性が一人、机に地図を広げて何か話し込んでいた。
彼女はその脇を通り過ぎて、奥の受付台へと向かった。
受付台には、二十三、四ほどの女性がいた。彼女は仕立ての良さそうな麻のワンピースに、さりげない銀のネックレスをつけていた。
彼女の姿を見ると、受付台の女性はにこりと笑った。
どうやら顔見知りのようだった。