僕とお嬢さんのお正月
大晦日にダンボールひとつ、都内のペット可の少しばかり広めのワンルームマンション。
「お嬢さん、田舎から届いたよ」
みかん箱が郷里の母から届いた。僕は配達員から受け取ると部屋へと入る。フローリングの毛足の長いオフホワイトのラグの上にはお嬢さん。
丸くなりこちらを見向きもしないお嬢さん。
尻尾がパタンと、ひとつ動くお嬢さん。
ダンボールを開く。ばりと開ければ薄くふわりと立ち昇る家の匂い。新聞紙に包まれた中身を取り出し開く。
「切り餅だ。コンビニで買えるって言ったのに、ばあちゃんかな?よもぎのお餅も入ってるよ、わあ!きなこも……、餅はばあちゃんだな、お嬢さん」
耳をこちらに向けるお嬢さん。
「ビニール袋は……、みかんだ。これ家のみかん山のだよ、覚えてる?お嬢さん」
カサカサと音。中には出荷から外れたみかんが十ほど入っていた。
お嬢さんは僕が高校生の頃に、実家のみかん山で拾った猫。誰が置いていったのか、みかん山でみかんのダンボールに入っていた翡翠色の目の黒猫。
フン!と素知らぬ顔のお嬢さん。
「この袋は煮干しだよ、お嬢さんへって書いてある、じいちゃんの字だ。元気かなじいちゃん」
パタパタと嬉しそうに上下する尻尾のお嬢さん。こちらをチラリと見る、僕は煮干しを一匹、袋から取り出す。
スッと立ち上がるお嬢さん。尻尾をピンと立てて、しゃなしゃなと近づいて来た。
「食べるかい?お嬢さん」
手のひらの上には、こぶりなカタクチイワシの干物。ハミと咥えるお嬢さん。そのまま可愛く噛みしだく。
「これは何かな?これだけきれいにラッピングしてあるよ。お嬢さんへって書いてある、母さんの字だ。軽い、中身は鰹節かな」
膨らんだそれは花鰹の袋、宛名を書きたかったのか母さんの趣味なのか、ハートの包み紙のそれ。丁寧に赤いリボンとカード。開くと
『リボンは、お嬢さんにあげてね♡』
紐やリボンで遊ぶのが、大好きなお嬢さんの事を覚えているらしい。良かったねお嬢さん、後で遊ぼうと煮干しをニャッニャッっと目を細め、顔を傾げて喰む彼女に話す。
「これ、何かな、夏菜子の字だよ。お嬢さんへって書いてある……」
高校生の妹からは、使い回しのキャラクターの紙袋。取り出しテープを剥がして開ける。中には赤い首輪にシャンプーと目の細かい櫛。
「お嬢さん、きれいにしろってことかな、田舎にいた頃は外をうろちょろし放題だったもんな、今じゃベランダに出るだけになったけど」
食べ終えてラグの上に置かれた花鰹の袋を、ふんふん匂うお嬢さん。
「最後は、大きな包みだよ、お嬢さんへって、父さんからだな。中身はなんだろう」
ひときわ大きなそれをガサガサと開けた。中から出てくる出てくる、猫のおやつに玩具の数々。
「アハハ、父さん、ホームセンターに買い出しに行った時に、買い漁って来たのかな、ほらお嬢さんの好きな猫じゃらしだ、これ何かな動くネズミって書いてあるよ」
電池は既に装填済だったのか、スイッチを入れるとヴヴヴと動く。フローリングの上に置いてみると、ジグザグに滑るように走って行った!
ふしゃぁ!お嬢さんのハンタースイッチがオン!ダッ!と獲物を追わえる。僕は慌ててポケットから携帯を取り出すと、その様子を動画で撮る。
シャァァァァ!ヴヴ、シャァァァ!ヴヴヴ!
磁石でも入っているのか、複雑に動く白のネズミの玩具。それを追いかける黒のお嬢さん。
「アハハ、面白い、よく考えてるよ」
僕はそれを撮影する。後で家族に送るため。
――、高校を卒業し大学に進んだ、少しばかりホームシックになり、ゴールデンウィークに帰ってもいいかと泣き言を言おうと少しばかり情けなく思いつつ、家に電話をしてみたら……、
「お前のアパート、ペット可だよな、お嬢さん引き取りに一度帰ってこい」
父親の思いもよらぬ言葉。家族に懐いていたお嬢さんに何が!と薄ら寂しい気持ちがぶっ飛んだ僕。
「ご飯食べないんだよ、思えばお嬢さん、お前が懐で温めて育てたもんなぁ……、だから迎えに来い」
それから僕はお嬢さんといっしょに、雑多な都会の一角で暮らしている。大学を卒業し、就職をした。引っ越したいと懸命に働いた。ベランダがある住まいが目標だった。
アパートの部屋で始終過ごすお嬢さんに、少しでも外の空気を吸える場所が欲しかったから、そんな僕にお嬢さんは素知らぬ顔をして、ひそりと寄り添ってくれていた。
僕は貯金に励み、働きだして数年、ようやく広めのペット可のワンルームマンションを見つけ落ちついた頃……、
生活様式がころりと変わった。
仕事は在宅リモートが増えた。
お嬢さんと24時間過ごす月の半分。
元に直ぐ戻るさと思った。
しかし一年過ぎても変わらない。
今年の帰郷は諦めた。
お嬢さんと二人で過すお正月。
帰らぬ僕を気遣って、郷里から荷物が届いた大晦日。
元旦の朝には、せめて餅ぐらい食べろと家族の想い。ついた餅を送ってきた、懐かしい家の香りを閉じ込めたダンボール箱で。
大半はお嬢さん宛の荷物だったけど。
しかし残念ながら正月元旦の雑煮を、僕は作る術を知らない。だから……、大晦日に仕入れていた、年越しのカップ麺の天そばをすすりながら、キッチンの中で何か無いかと考える。
その結果。
「おはよ、お嬢さん、明けましておめでとうございます」
ベッドの上で知らぬ顔して丸くなってるお嬢さん。
尻尾をひとつぱたんと打つ。
「お嬢さんはカリカリに鰹節と煮干しだね。僕はそれでもお正月だし、元旦だし……雑煮、あ、お餅がチンできた」
レンジの中で餅が柔らかくなった。それを丼に入れて、お茶漬けの素をひと袋、チューブわさびを少しだけ、湯沸かしケトルから湯を注いで。
男独りの雑煮もどきが出来上がり。コンビニで買っていた、お独り様のお節のパックを冷蔵庫から出してくる。便利な物があるよとお嬢さんに話す。
と、ん、ベッドから軽やかに着地。尻尾を優雅に振りつつしゃなしゃなと歩き、皿に近づくお嬢さん。美味しそうに花鰹を舐める様に喰むお嬢さんを眺めながら、
檸檬味の缶チューハイをプシュと開けた、僕とお嬢さんのお正月。