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War of Monster Girls!  第一篇  作者: 異電子
1/1

嚆矢濫觴ーコウシランショウー

鏑矢の一発、始まりの合図。大河の源流、その最初の一滴。

戦いの物語はここから始まる。

序幕 蠢く影

 晩秋の明け方の薄暗い街、秋も暮れとくれば明朝でも闇は濃く、まばらにオフィスや居酒屋の明かりが漏れている程度であった。その街の片隅、息苦しさを感じるほど詰まったビルとビルの隙間で二つの影が戦っていた。一つは人影のようで、もう一つは大雑把に人型に見える塊であるようだ。

「このっ......しつこい!!」

人影はもう片方の影から逃げているようで、ビルの暗がりから暗がりへ駆けまわりつつ闇雲に腕を振り回している。一方の塊はときどき人型とは思えぬ不可解な挙動を見せながら獲物を追い詰める。破裂音や何を叩き付ける音が断続的に闇夜に放たれ、ビルに木霊して幾重にも反響していた。人影の反撃だけはいささかも効いていないようで、反響のたびに人影は消耗し動きが鈍くなっていった。

 もうどれほど追いかけっこを続けているのか、路地の照明の下に息を切らした二つの影が躍り出た。明かりに照らされ映し出された二者はビル街には到底似つかわしくないような"異形"であった。

 逃げる人影はシルエットこそ手足、胴、頭、少女の顔を持った人間そのもののようだったが、その肌は暗い緑に染まっており、頭頂には二本の角が見て取れる。明らかに化学繊維であると思えないようなオーガニックな装束に隠された体躯は極めて筋肉質であるようで、少女の顔に添えるにはいささかナンセンスとも思えるほどだ。

 しかしそれを追う影こそ真に異形と形容されるものであった。大の大人より少し大きいくらいの体積を持つ不定形の塊で、それが大雑把に人型をしているというだけだ。骨格も表皮も、臓器や器官すらも見当たらない半透明のゲル状の塊。敢えて呼ぶならば誰しもが"スライム"と呼称するであろう。先ほどの打撃音の源であろうか、伸ばした触腕を鞭のように振りかぶっている

 電灯を挟んで対峙する二者、しじまを破ったのは角の少女であった。路地で拾得していたと思われる金属管を振りかぶり、垂直にスライムに叩き付けた。

「もらった!」

 振り抜かれた管は触腕を吹き飛ばし、スライムの表面を弾けさせ塊の中ほどまで突き刺さった。重い水音とともに大量のゲルが飛散し、両者ともその姿勢のまま静止した。再びの静寂の中で子鬼は管に力を込めたまま口角を上げていた。尋常の生物なら即死であろう損壊、確実な止めへ続けるためゆっくりと凶器を引き戻そうとする。だがすぐに彼女の笑みは消え失せた。

 金属管が動かない、力を込めても微動だにしないのだ。いつの間にやら管を伝ってスライムの触腕が彼女の手を管ごとがっちりと絡めとっていた。そこに来てようやくブヨブヨとしたスライムの感触が伝わって来て少女は短い悲鳴を上げた。

スライムの塊は不気味な蠕動を繰り返しその輪郭をはっきりと整えていく。触腕に獲物を捕らえたまま凶器を器用に引き抜き、雑な人型を経て女性型へ形を変えた。頭部には少女の顔が現れ、小柄な体躯の足元にだらしなく余ったゲルの塊を纏わり付かせている。

「はーいざんねぇーん!もうちょっとだったのにねーぇ......」

 スライム女は新たに作られた顔から発声した。楽しげな口調で、浮かれる獲物をたしなめるような調子はまったく無かったが、少女の顔をさらに青ざめさせた。

「見た目でわからないのかなぁ?殴っただけじゃあ勝てないって」

 明らかに挑発ではあったものの、目の前の獲物は煽り返すような余裕もなく触腕から逃れようともがくのみだった。

「もう終わりかぁ」

獲物の歯ごたえのなさに萎えたのかスライムも笑みをひっこめる。遊びはこれまでと止めに移った。

「くそっ!このっ、離せぇっ!うぐあぁッ!!」

 スライムは触腕を万力のように締め上げ獲物の両腕を砕いた。その勢いのまま腕をひねり肘の関節を逆側に曲げ割る。少女の体内ではっきりと骨の砕ける異音が響き、悍ましさに嗚咽を堪えきれなかった。

「うげえッ!!ゥオエッ!!あっ......ああ......」

 足にはゲルの塊が覆いかぶさり、逃避を絶望的にさせていた。続いて首に触腕がかかり、しっかりと頭の動きを捉えた。目を背けることも適わず、その後に訪れる結末に半狂乱になって抵抗した。もっとも、涙に滲んだ視界では逃亡も覚束なかったであろうが。

「あっ......?」

 首に凄まじい圧を感じる間もなく、獲物はすぐさま意識を飛ばした。じわじわと窒息させられる最悪の想定にならなかったことだけは彼女にとって幸福であった。

 スライムはすぐに、〆た獲物をゆっくり解放し重力に任せた。両肘と頸部があらぬ方向へ捻じ曲げられた屍は静かに電灯の元に崩れ落ちた。

 勝者は路地から開けた通りへ出て空を見上げた。既に空は白み始め、夜闇がゆっくりと退いていく所だった。明けの光に包まれるように勝者も、敗者の骸も光に消えた。

 遠くのビル群にかかる朝もやのなか、ゆっくりと街は目を覚ます。明け方の陽も登りきらぬ頃には、大通りにも人はまばらに出てきていた。

 いまだ眠たげな雰囲気がたちこめている大通りの、その一角の路地裏で突如悲鳴が巻き起こった。次々に通行人が集い、緊張が場を支配する。

「はやく救急車に連絡して!」「なんだ!誰か倒れてるぞ!」

 勤め人たちに混み合う歩道に倒れて伏していたのは一人の少女であった。学生服を身につけており、通学途中に倒れたとみられる少女に外傷らしきものはなかった。数名の勇気ある発見者たちが速やかに介抱せんと駆け寄り、あぶれた通行人は野次馬となってその成り行きを見届けていた。意外なことに、野次馬にならなかった通行人の多くはこの状況に辟易しているようだった。こんな事態は毎朝見ているといった態度だ。やがてけたたましいサイレンとともに救急車がやってくるころには、野次馬たちもほとんど残らなかった。

 多くの者は心配そうに事態を眺め、何もせず去っていくのみだが、そんな人垣に紛れてずっと遠巻きに渦中の少女を眺めている者が居た。

少女が救急車に収容されるのを見届けると、朝の喧騒に紛れていった。


第二幕 邂逅

「本日の朝方未明、都内の繁華街にて突如として十代女性が昏睡するという事件がおこりました。原因はなおも不明ですが、命に別状はないとのことです。都内では類似した状況で突然昏倒する女性が多く発生しており、その大部分は--」

 白日の異変から半日、ところ変わって都内の一軒家にてある家族が食卓を囲んでいる。早くも全国放送の電波に乗せられた今朝の出来事は一般家庭の食卓に上るのに十分な話題性を持っていたようだった。

「あら、また増えたのかしら。これ、炎華の学校の近くじゃない?」

「うーん・・どうにもよくわからないなあ・・・・そう、炎華も気を付けるんだよ。」

「お父さん、気を付けるったって原因もまだわかってないんでしょ?それに姉ちゃんに限ってそんなことあるわけないって!なあ姉ちゃん?」

「ん?ああ、また」

 父母、弟らと食卓を囲む少女は箸も止めずに曖昧に首肯を返した。

 少女の名は滝沢(たきざわ) 炎華(ほのか)。被害女性と同じ高校に通っているところの彼女にとっては他人事ではない話題であったが、彼女は当惑するそぶりも見せなかった。彼女だけではなく、皆がこのニュースに辟易しているようだった。

「しかしまあよく飽きもせずずっと続いてるよなぁ。」

「ホントに。これでもう今週何件目になるのかしら......炎華も巻き込まれなければいいんのだけど......」

 父母の心配も尤もであったが、炎華にとって巻き込まれても事件など興味はないというふうであった。画面に映る事件現場は、炎華の通学路であったがさして気にも留めなかった。

「続いて、イチョウの落葉が各地で・・・・」

「早いねえ、もうそんな季節か」

「そろそろの忘年会の席の予約もしておかなきゃいけないかしら。」

 時を経ずしてニュース番組は季節の巡りを伝える記事に変わり、夕餉の席の話題も移り替わっていった。

 ここ数か月の間、都内では奇妙な事件がたびたび起こっていた。主に十代から二十代の女性が突如として意識を失い昏倒するという。昏倒したのちに女性は不定の期間ただ何の異変も示さずに眠り続け、目を覚ました時には直近の記憶を失っている、というものだ。

何らかの事件であるのか、あるいは疾患や流行り病であるのか。わかっておらず、倒れた彼女らに身体的な異常は一切見られない。

 昏睡する期間も記憶障害の程度も人によってまちまちで、小一時間眠るだけでその日の記憶があやふやになるだけの者も居れば、またある者はひと月も病院で眠り続け、幼少期以降の記憶を全て欠落させ深刻な認知障害を負っているケースもあった。

原因も過程も一切不明ながら、若い女性だけに起こることと、被害に遭った女性は倒れる直前の短い時間に姿が確認されたことがないことなどから、世間ではなんらかの事件か、特異な精神病だとして認知されている。

 この事件はある程度の人口がある地域でないと起きないとか、近い時期に被害に遭った女性同士には交友関係が確認されやすいとか、はたまたこの事件を胡散臭い宗教団体のせいにする陰謀論者も現れたりと、不確定情報とデマが積み重なり混沌の様相になっていた。

 翌朝、炎華は先日の事件が起こった路地を歩いていた。あまり気分もいいものではなかったが、朝のルーチンワークをわざわざ変更する気力も湧かず、夜も明けたばかりの薄ら暗い路地に足を踏み入れた。少し路地を往くと、先日ニュース番組に移った地点に差し掛かる。そこで炎華は近頃起こっている事件のことに考えが回り、ふと足を止めてしまった。

(事件は同じ場所で起きることも多い----)

 十中八九はデマであろうが、そんな噂も出ていることを彼女は思い出す。まさか、と大仰にため息をつき、その場を去ろうとした。

 足早に歩き始めた彼女の前に、横道から二名の女子が突然進み出て炎華の進路を遮った。炎華は二人の横をすり抜けるようと進路を逸らしたが、彼女らは再びその道筋に割り込んだ。どうやら先ほどの路地を通る人間を出待ちしているふうだ。先日の事件の被害者の友達あたりだろうか?なら聞き込みでもしているのだろうか、と炎華は早合点し彼女らに向き直った。

 二人とも制服を着ていて、片方は高校生、もう片方は中学生だろうか。炎華はその制服には見覚えがあった。どうやら近場の学校のものであるらしい。高校生の方は髪を金に染め肌を焼いているようで、制服をやたらとラフに着込んでいる。中学生の方は着衣に乱れなどないが、手をポケットに突っ込み、口元を防寒具に埋めたまま炎華を睨みつけている。あまり友好的な雰囲気でもないようだ。

「なあ、あんた。......あんただよ。いつもここ、通るのか?」

 中学生の方が、止まらず通り過ぎようとした炎華に声をかけた。炎華は苦手とする手合いとみて、どう捌いたものかと少し俯いた。

「あの、」

 すみません、急いでるんで。そう続けようと炎華は顔を上げ、目を見開いて固まった。

炎華の眼前には彼女らはいなかった。そこには、恐るべき非日常が広がっていた。

 二匹の化け物が鎮座している。先ほどまで居た彼女らはどこに行ったのか、炎華は考え込むまでもなかった。この二つの異形は彼女らなのだ。

冷静であれば、そんなことなどありえないと思っただろうが。

 化け物は少女の面影を残していた。いや、顔だけは元の少女らのものにそっくりだ。しかしその体躯は到底人型とは言えないものだった。

 一匹はもとの金髪の少女の上半身に蛇のごとき長大な下半身がくっついていた。少女の上半身には衣服のように鉄錆色の鱗を纏わせ、蛇の下半身もびっしりと鱗で覆われていた。

とぐろを巻けるほどに長く太い、腰の部分で歪に融合した下半身は優に5mは超えるだろうか。少女の顔こそ変わっていなかったが、頻繁に口唇から蛇のように細い舌を出し入れしている。その挙動と容姿は炎華に南国の巨大な蛇を連想させた。

 もう一匹は先述の蛇人間と比較すれば少女の面影は残っていたものの、シルエットは負けず劣らず奇怪であった。身体の多くを黒い羽毛で覆い、肘から先の脚部は猛禽のそれに置換されていた。その先に黒く光る爪は人の柔肌など紙を破るようにたやすく切り裂くであろう。それよりも目を惹く最大の特徴は腕部であった。腕は肩から先が翼に変貌を遂げていた。翼開長3m以上はあろうかという巨大な漆黒の翼は黒い羽根を散らせ、炎華の視界の多くを遮っている。その黒い翼は炎華に鴉を連想させた。口元は黒い羽毛で隠し、人間の時よりも鋭い目つきで炎華を睨み付けている。

「ひっ・・」

 炎華は化け物を見上げると数秒間フリーズし、その後短い悲鳴を上げ、半歩後ずさった。

「フウゥゥゥゥゥ......」「しゅるるるるるるる......」

 炎華は思考が追いついてから、異音が響いてくることに気が付く。加えて生理的嫌悪を引き起こす生暖かい風、すべて眼前の異形のものだ。

「こいつはハズレか......」

 元中学生の鳥人が呟いた。何気なく、人間のときと同じ声色で。

「だけどどうやら......"見えてはいる"ようだけど?」

 蛇人間も同様に人語を使っている。ちろちろと、二股に分かれた赤い舌が見えてはいるが。

「ならどうする?生かして"目覚める"のを待つか?」

「いや、今はいいでしょ。めんどくさいからここでやっちゃおう。」

軽いやりとりをする化け物どもを前に炎華はようやく動き始めた。

(こ、コイツらヤバイッ!!殺られるッ!)

 あまりに突然の非日常、唐突な命の危機。いかに理性的な現代人であろうと、野性の本能は彼女に警報を与えてくれていた。

「おっと!」

 逃げ出そうと後ろを向いた炎華の眼前を何かが遮った。腰ほどの高さの壁がぐるりと彼女を覆う。それは一瞬で狭まり、足から腰までを絡めとった。

「へっ、蛇っ......」

「見りゃわかるでしょ」

 炎華を縛ったのは蛇人間の下半身だった。ひんやりとしてなめらかな鱗の感触に彼女は総毛だった。手で解こうとも、びくともしない。巨大な筋肉の塊を前に人間の細腕では為す術もない。

 炎華は悲鳴を上げた。ほんの少しだけ、彼女を捉えた戒めが強く引き絞られた。

「いいぞ、殺っちまえ」

 後ろで眺めていただけの鳥人は興味なさげにヤジを飛ばした。それに呼応するようにだんだんと炎華への締め付けが強くなっていく。

「"見える"なら悪いけど逃がすわけにはいかないんだよねぇ、これが。」

 蛇人間はまるで仕方ないかのような言いぐさでへらへらと笑っていた。炎華は口をつぐんで俯いたままだった。死の恐怖に喚くこともなくなる獲物は初めてではない。化け物二人は獲物の終わりを予感していた。しかし、

 既に炎華はパニックを通り越し、襲い来る恐怖に向き合い始めていた。


第三幕 変身

 今まさに屠殺されんとする獲物は、憤っていた。

(コイツらはなぜ笑っている!?人を殺そうとして!)

 炎華の中に湧いてきた激情は不自然なものではない。野性の獣の持つ原始的な感情、それは恐怖すること、そして怒ることだけだ。

(この化け物どもが!死ね!)

 理不尽に次ぐ理不尽が、"キレる"という彼女にとって初めての現象が巻き起こした。これまでの人生で緩やかに育んでいた彼女の奥底に潜んでいたモノ、残虐性、他者への攻撃性、非情さ......

(クズどもが!生きるのは私だ!)

 社会性の名の下で封じ込められていた怪物たちが、炎華の表面に湧きだしつつあった。

「......す」

「は?」

 俯いたまま、炎華は呟いた。獲物に起こった変化に、化け物どもは気付いてはいない。

「殺す......!」

「お......?」

 今度は化け物もはっきりと聞き取れた。急な獲物の"逆切れ"にあっけにとられていたが、急に笑い出した。

「これはこれは!随分みじめねえ!ワンテンポ遅いんじゃない?」

 蛇女はしゅるる、しゅるると空気の抜けるような奇怪な笑い声を上げる。炎華は俯いたままだ。ひとしきり笑った後、蛇女はゆっくりと上半身を持ち上げる。獲物を頭上から見下ろす位置にまで鎌首をもたげた。

「しゅるるる......じゃあ、終わりねぇ!」

 遊ばせていた尾の先端部がしなる。一気にくるくると器用に巻き付き炎華の頭頂部まで覆い隠した。

 蛇女は獲物を拘束する自らの胴体へと力を込める。じわじわと縊り殺すのではなく、肉と骨を砕かんと。

しかし----

「!?」

 ニヤついていた蛇女の表情が見る間に凍てついた。

 動かない、獲物を捕らえている自らの尾が。それどころではない。

 みしり、と嫌な音が彼女の体内に響いた。途端に痛痒感が続く。蛇の下半身の半ばあたりの骨が圧し折れていた。

「キキキイイィィィィィイイィィ!??!!」

 予期しない急激な痛みに蛇は奇声を発した。上半身が地べたに落ち、激痛にうずくまる。折れた骨はちょうど、炎華を捕らえている一巻き目の部分であった。派手にひねって神経でも傷つけたのか、その骨から先が即座にマヒし、筋肉が弛緩した。ゆっくりと末端から蛇尾が綻び、獲物の戒めを解かれていく。

「なんだ......こいつは......」

なおも悶える蛇人間は獲物の姿を直視できない。驚きの声を発したのは傍観に徹していた鳥人の方だ。

「クソッ!おい起きろ!」

「ぅううう......何が起きて......」

 蛇女は下半身の自由に動く部分までに力を籠め、不随になった己の蛇尾を引き戻した。痛みは一向に引いていなかったが、相方の警告が尋常ではない様子のため、彼女にも危機感が伝播していた。

「"目覚め"やがったぞ!!」

「!!」

 相方の言葉の意味を理解した途端、さっと蛇女から狼狽が消えた。素早く振り向き、獲物だったものに向き直った。そして上半身の両腕を高く掲げる。それは波打ち、頭を持つ二匹の蛇へと姿を変えた。

「死ねぇ!」

 変じた右の蛇手を鞭のように操り、2mは離れている標的に投じる。どう考えても物理的に届かない距離と見えたが、張りつめる前に蛇は数倍に伸びた。右の蛇は空を切って上段から牙を剥く。今まさに標的に突き立てんと口蓋を開いた刹那

 びゅん!

 何かが空気を叩く音が響いた。その何かがなんの抵抗もなく高速で蛇をすり抜ける。それと同時に蛇頭が宙に浮いた。

「え?」

 堰を切ったように蛇手の断面から血が噴き出す。その血飛沫が敵の影を隠すまでのほんの数瞬の間に、

(私より......強い......?)

 獲物だったはずのものの変容を思い知った。

 炎華は既に己を襲う激情を御しきっていた。怒りの炎は彼女を瞬く間に覆い尽くしたが、理性を燃やし尽くしはしなかった。蛇女の反撃を捌いた後の間隙には己の変身を自覚していた。

「ォォォォォォ......」

 まず気が付いたのは体に響く低い唸り声だ。あの化け物どものものではなかった。やや籠るような反響、これは己の口から漏れ出ているものだ。

 続いて衣類の感覚が消失している。温度変化として知覚してはいたものの、しかし肌寒くはなかった。羞恥も感じはしない。むしろ着衣の感覚を思い出すと息苦しささえ覚えてしまうほどに、身軽になって高揚感が湧き出してきている。

(これは?私の腕?)

 炎華は腕に何かの感触があることに気付いて右掌を眼前に開いた。鮮やかな赤色の雫が地面に落ちる。先ほど蛇手を落としたゆえだった。半ば反射的に腕を振るってはいたが、炎華自身はそのことに気付いていた。しかし弾き飛ばしたなら判るが斬り飛ばしたとなると彼女に覚えはない。しかし、己の掌を見るとその訳は容易に分かった。

「爪......!」

 そう、彼女の指の先には巨大な黒い鉤爪が生えていた。指の長さとほぼ同じくらいになろうという黒光りする大きな爪が、三日月の孤を描いている。そしてその弦は鋭く磨き上げられた刃のごとく煌めいた。よくよく見ると指の本数も異なっている。いや、それ以前に全く人間のそれとは全く異なる骨格になっているのか、4本の指には隙間なく筋肉が敷き詰められ、関節も明らかに2つ以上あるようだった。

(これは......鱗?)

 まだまだ炎華の驚愕は続く。

手の甲が--いや、四肢全体が深緑の鱗に覆われているのが見えた。末端はほとんど完全に鱗に覆われているようで、そうでない部位は顔、胴体の前面、二の腕、内腿......

 その3割ほど露出している肌もざらざらとした質感でまったく潤いが感じられないものに変じていた。それに困惑して視線を動かすと、今度は彼女自身の影がちらと見えた。その影には曲がりくねった角と、あるはずのない尾が生じている。

「変身......」

 己の変貌を見て、炎華の口を衝いて出たのは"変身"という表現。だが、炎華に起きた変化は身体のみに留まってはいなかった。


第四幕 反撃

 炎華は自身の変身を飲み込むまで数秒間惚けていた。しかし、その異形そのものの姿と対峙しても--変身したことそのものには驚愕していたようだが--蛇女と鳥人は微塵も狼狽してはいなかった。

「隙ありィッ!!」

 一喝とともに斬られた右手の蛇手を振りかぶり、再び上段から全く同じ軌道で炎華に打ち下ろす。

「!?」

 先ほどの無意識下での迎撃ではない。炎華自身の思考が混ざったぶん、やや反応が遅れた。

(当たっ......て......ない!)

 当たる。そう感じた刹那、急に視界が揺れた。敵の攻撃に当たったわけではなかった。彼女の内にある本能、反射と呼ばれるものが己の身体に回避行動を取らせていた。まったく過不足なく身体を逸らし打撃を躱す。

「食らえッ!」

 蛇女は右腕での攻撃を見届けもせず、左腕を地面すれすれに放った。

 すでに防がれている攻撃であり、牙もない。あんな攻撃が通らないのは繰り出した本人は百も承知。本命は残った左腕の一撃だ。

 標的は右腕の攻撃を躱したままの姿勢で固まっている。地面を這うように伸びあがる左腕は、ちょうど今の姿勢の炎華では直視できない。完璧なる不意打ちだ。

(決まった)

 そう、仕掛けた本人は思っていた。

ぎゅるん

 突如、獲物の右眼球だけが動いた。瞳だけがまっすぐに蛇女の縦に裂けた瞳孔を射抜いた。一瞬とも言えない視線の交錯だったが、蛇女には判った。

(私と同じ瞳--)

 ぎゅるん、ぎゅるん!

 炎華の瞳は二度、上下に行ったり来たりを繰り返し、ある一点で急停止した。地を這う蛇を捉えた--と同時に、彼女の手足が恐るべき速さで追従した。

まず、右足が持ち上がり、猛烈な速さで振り下ろされた。

「ふぎゃっ!?」

 炎華を狙って地面から跳ね上がる左の蛇頭が砕けた。頭蓋が砕けた衝撃が蛇女本体まで伝播し、頓狂な叫びを上げさせた。

 続いて左手が中空の何かを掴む。掴まれたのは攻撃をすかされ、伸びきった右の蛇手だ。掴んだ手は勢いよく後方に引っ張られた。伸ばすことも踏ん張ることもできず、蛇女の上半身は滑るように動き始めた。自身の重量か、はたまた蛇のごとき滑らかな鱗のせいか、まったく抵抗なく炎華の眼前まで引きずり出された。

「フッ!!」

 炎華の空いた右手は握り込まれ、拳を形作った。素早く引き、短く息を吹くと同時に正拳が真っ直ぐに放たれる。受け身を取ることも腕で防ぐこともできない、慣性に引きずられるだけの敵に深々と刺さった。

「かッ......はぁッ......!?」

 みぞおちのやや上あたり、心臓へ一直線に向かった拳は途中で何かに阻まれて止まった。当然の帰結ではあった。だが、凶拳を止めた肋骨はその左半分を粉砕された。

さらに炎華は掴んだままの右蛇手をさらに引き寄せ、敵の脇を通して右肩を自身の左肩に絡めた。左足を軸足に半円を描いて反対側へと投げ飛ばす。

「でやぁ!!」

 ふわりと蛇女の上半身が宙に浮いた。投げられた--憐れ被害者はそう思う間もなく、腰から地面に叩き付けられた。

めきっ

 この戦いが始まってから何度目だろうか、脊索を破砕される衝撃に細かく痙攣を繰り返す。

「あぁ......あっ......うぅ......」

 まだ動きはするはずの両手を動かすことすらせず、コンクリートの地面にめり込み小さく呻き声を上げることしかできなくなった。最後の攻撃を受けきるまでもなく、もはや戦意は消失していた。意識を手放すのも時間の問題であろう。

(勝てないどころか歯も立たんか)

 瞬く間に戦闘不能に追い込まれた相方を鳥人はただ眺めていた。

(使えない......しかし、ヤツも相当に強いな)

 手負いの獲物に止めを刺すこともなく、炎華は突っ立ったままだ。ほんの少し出ている牙の隙間からは低い唸り声が漏れ出している。

「蜥蜴の化け物か」

 呼びかけたかった訳でもないが、鳥人は声に出して敵の特徴を再確認した。

「!」

 もう一人の敵に意識を戻され、炎華ことトカゲ怪人が素早く振り向いた。警戒の眼差しを鳥人に向ける。

「......やるか」

 自分を鼓舞させるように静かに行われた宣戦布告は、炎華に届いたかどうかはわからない。だが、放たれる殺気はしかと届いた。ぴんと空気が張りつめる。

「......来い!」

 炎華の返事に呼応して、鳥人が動き始めた。

 睨み付けたまま、ゆっくりと頭を低く下ろした。翼は水平に少しだけ開き、足は畳んで地を掴む。

「キィィィィィィ......」

 この甲高い唸り声は鳥人のものだ。焦燥感を呼び起こす耳障りな声色は間違いなく敵意を孕んでいる。

 対するトカゲ怪人の方は両手を無造作に前に放り出したままだ。とても構えとは呼べないが、その風体から放たれる威圧感は鳥人の殺気を真っ向から受け止めていた。

「いたっ......痛い......たっ、たす......け......」

 尚も痛みに呻く落伍者のことは両者とも気にも留めず視線をぶつけ合う。両者ともに相手の出方を待っている。つまり、後の先を取らんと我慢比べをしていた。

(まだ慣れてはいない......いける!)

 ただ、冷静に観察していたのは黒ずくめのカラス怪人の方だけだ。トカゲの方は向けられた敵意に張り合っているだけで、相手のどこを注視すべきかすら考えていない。

両者全く動かず、数秒の時が流れた。

 我慢比べは炎華に軍配が上がった。先に仕掛けたのは鳥人の方だった。しかしながら炎華は敵の動きについていくことができない。つい足元に転がっている脱落者に意識を移してしまっていたからだ。

 鳥人はずっと炎華の目の向きだけを見ていたのだ。確信があった、必ず意識をそれに向ける隙を生ずると。

 炎華の集中の乱れた点を狙い鴉は地を蹴った。半端に広げた翼は低空を滑空するためだ。揚力によってほんのわずか浮き上がる奇妙な軌道を描いて炎華に襲い掛かった。

「もらったッ!」

 敵の目前で急制動をかけ翼を敵に向かって強く数回羽ばたいた。黒い羽毛が散り、鳥人はやや後方に傾いて浮き上がった。散らした黒羽は一瞬敵の目を眩ませるには十分だ。

 滑空の勢いはそのままに、自然に相手の方を向いた右足で渾身の蹴りを放った。

(完っ璧だぜ!)

 鋭い猛禽の爪が炎華の首の右側を切り裂いた。

 そのまま翼を小さく畳み、加速して敵の後方へ抜けていく。炎華は咄嗟に左腕を振るったが時すでに遅し、少しの羽根が腕に纏わりついたのみだ。

「は、速い......」

 力任せの攻撃ではない、反撃すら許さない完成された殺法である。

(さっきの雑魚とは比べ物にならない......)

 変身も戦闘もこれが初めての炎華はすでに容量オーバーだった。これ以上驚きが重なれば寿命が縮むと思ったくらいだ。

 驚いたのは鳥人も同じだ。その爪の先には鱗が一枚刺さっている。先ほどの攻撃の戦利品であった。血に濡れてもいない。つまり、

(まるで効いてないってことかよ!?)

 深手を負わせるどころか、傷一つも付けられなかった。敵の首は深緑の鱗で覆われている。簡単に切り裂けると思っていたが、実のところおよそ生体組織とも思えないほどの強靭さを持つらしい。

(出直すか)

 容易い狩りのつもりであったが、とんだ誤算だ。鳥人は敵の戸惑いが晴れぬうちに退散することに決めた。

「おい、帰るぞ」

 襤褸切れのように転がる相方に近づき、足で無造作に掴んだ。息も絶え絶えの襤褸切れから悲鳴が上がった。

「あいたたたた痛ッ痛い痛いいたいぃ!もうちょっと優しく掴めないの!?」

「なんだまだまだ元気じゃないか。もうすぐくたばるかと思ったぞ」

 鳥人は両足の爪でしかと蛇女を捉えると、翼を大きく広げた。そして数回のはためきだけでたちまち浮き上がってしまう。

 あからさまに逃走を図ろうとした化け物たちを見て、炎華は焦って近寄ろうとする。

「待って!どういうことなの!?さっきからこれはいったい!?」

 感情にまかせ暴れていたさっきまでの自分もどこへやら、すっかり冷静さを取り戻してしまった炎華は事態の把握ができないでいる。

「じゃあな!ガッコが終わったらまた会おうぜ!」

 化け物の影は曖昧な口約束を残してすぅーっと小さくなっていった。

 残された炎華はただ、途方に暮れた。どうすればいいのだ。

 頭も心も冷えたころには、路地の外の喧騒も耳に入ってきた。いつの間にか炎華の身体はいつもの女学生の様相に戻っていた。変身の痕もまったく見つけることはできない。

--もうこんな時間か。

 白日夢だったのだろうか。あれだけ騒いで、この路地での出来事に誰も気づいていないのだろうか。疑問は尽きない。

 しかし今はどうであれ、少しばかり時間が過ぎたことだけが問題だ。彼女は路地から表通りに飛び出した。

 一日はまだ始まってもいない。まだ学校へ辿り着いてもいないのだ。


読者の皆様方、初めまして!異電子です。

このたびは私の作品を読了していただきありがとうございました!

右も左も判らぬ新参で大変恐縮ですが、よろしければ批評、感想などをいただければ幸いです。

主に私が大変に喜びます!

次篇もどうぞよろしくお願いします!


お目汚し失礼しました。



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