03 長年の恨み
私は倒れていたディディアン様に手を貸して、ベッドから離した椅子に座らせた。
「お怪我はないかしら」
「大丈夫よ」
「では、どうしてこんな状況になっているのかお聞きしてもよろしいでしょうか」
穏やかで優し気な雰囲気のおばあちゃんだったディディアン様が、もうどうでもいいって表情に変わっている。しかし眼光だけは鋭い。その変貌ぶりに驚いた。
「だって、わたくしはこの男に人生を狂わされたのよ。だからわたくしの復讐には誰にも文句を言わせないわ」
「いえ、各方面から文句は出ると思いますわ」
ルル様が指摘したとおりだ。自分がまだ聖女の頂点である十席の立場にあるということを忘れているんだろうか?
「内容によっては、情状酌量の余地もあるかもしれません。ですので、すべてお話していただけませんか」
「そうね。そうしたら、きっとあなたたちもわたくしに同情するでしょうしね」
それからぽつぽつとディディアン様はシブナ爺ちゃんとの間に起きた出来事を話し始めた。
「出会いは今から五十年ほど前。シブナ侯爵家に治療に伺った時よ。あの頃のわたくしは聖女になったばかりで、自分の使命に燃えていたわ」
シブナ爺ちゃんの父親が落馬をして骨折した。それを治療するためディディアン様がシブナ侯爵家にいった時に一目ぼれされてしまったらしい。
「はじめは恋文やプレゼントを贈られて、わたくしもまんざらではなかったの。そういったことも他の聖女たちと競い合っていたから、称賛を贈る者はひとりでも多い方がいいと思っていた。こんな男でも、身分は侯爵家の嫡男で、贈り物は高価なものばかりだったから」
しかし、ある時気がついたそうだ。シブナ爺ちゃんがいつでもそばにいることに。
「聖都の中ならまだわかるわ。でも、他国までこの男は追いかけてきたのよ。それがどこに行ってもなのよ。海の向こうの国で、この男の姿を目にした時のわたくしの恐怖は言葉にできないほどだったわ」
夜、宿泊している部屋からふと外を見ると、こちらを見上げている男がいた。目が合った気がして、すぐにカーテンを引いてベッドでシーツをかぶって震えていたそうだ。
怖い、怖すぎる。
「そして、あの事件が起こったの」
「それは誘拐未遂ではかったかと言われている件ですね」
「ええ、ある旅で、わたくしたちは盗賊に襲われたのよ。もちろん聖騎士が守ってくださっていたわ。でも相手の人数が倍以上だったの。もうだめかと思った時に、この男が護衛を連れてさっそうと現れたわ」
それはあまりにもタイミングが良すぎたらしい。
「危険だからと言ってわたくしを自分の馬車に乗せようとしたわ。聖騎士がいるからとその手を払っても無理やり連れ去ろうとしたのよ。わたくしが必死に抵抗したから無事だったものの、あれは絶対に仕組まれたものだったと思っていたわ」
その場にいた誰もがそう思ったようだけど、シブナ爺ちゃんが主犯だという証拠が出てこなかったため罪には問われなかったようだ。
状況的には聖女を救ってくれたのだから、逆に聖教会は感謝状を贈った。
ところがそのせいでシブナ爺ちゃんの行為はエスカレートする。
「どうやって調べたのか、わたくしが近隣の教会に向かうたびにやってきて、距離を詰めてきたの。それだけではなく、他の男性と少しでも言葉を交わしていると、男たちに近づくな、なんだったら排除も厭わない。と脅しをかけてきたわ」
さすがにこの付き纏いには危険性があると、聖教会も対策をとった。シブナ爺ちゃんは聖教会のすべての教会や敷地内への出入りを禁止されたのだ。
「そんな日々が過ぎて、わたくしにも何度か恋しい方ができたのだけれど、この男に権力で邪魔されてつぶされたわ。会えなくなってからもずっと手紙を送ってきたし、私はずっと見えない鎖に捕らえられたままだったの」
振り向くことはないのだから、いい加減諦めてほしいという願いもむなしく、何年たってもシブナ爺ちゃんは手紙やプレゼントを贈り続けてきた。
「でしたら、受け取らなければよかったのに」
思わず口を挟んでしまった。
「だって、そうしたらこの男がわたくしのことを諦めたかわからないじゃないの。手紙が届かなくなれば、その時やっとわたくしは解放される、そう思って、途絶えるのをずっと待っていたのに」
忌々しそうにシブナ爺ちゃんの方を見るディディアン様。
「この年になっても執着してるのよ。本当に馬鹿みたい。せのせいで、恐怖がいつしか恨みに変わってしまったのよ」
そんな時に、シブナ爺ちゃんの余命が三ヶ月だということを知った。
自分を苦しめた男が、恨みを晴らす前に逝ってしまう。
「それを知った時、わたくしはこの手で息の根を止めたいと思ったの」
それで、シブナ爺ちゃんが自分で動けるうちに呼び出し、この家まで連れてきてから、神罰を与えて動けないようにしたそうだ。
「簡単には逝かせない。神罰で苦しめて、そして癒す。それを繰り返してこの男に罰を与えていたのに。わたくしが最期の手を下す前に聖女の力が消えてしまった」
「神はいつでもわたくしたちの行いをご覧になっていらっしゃるんですのよ」
「そのようね。聖女のくせにそんなことも忘れていたわ」
シブナ爺ちゃんのやってきたことは最低だ。
私だってそんなことをされたら怖くて部屋から出られなくなると思う。
でもこんな私刑はだめだ。それも聖女の癒しを使ってなど言語道断だ。
「わたくしは狂ってしまったの。聖女として存在していたことも抹殺されるのでしょうね。こんな男のせいで本当に笑えるわ」
「それでも少しは情がわいていたのではありませんか」
「そんなことあるもんですか」
「ディディアン様おひとりで病人のお世話は大変でしたでしょうに」
「それは、この男が苦しむ姿を見られると思えば何でもないことだったのよ」
「さようですか」
同僚である聖女からも尊敬を集めていた聖女が、私怨でこれほどまでに落ちぶれてしまうとは。
晩年を汚すとはこういうことをいうんだろう。
残念でならない。




