3.中学時代と、その後
中学生になった。
彼と私は同じ学校で、
でも、クラスが違った。
私が1-3で、彼が1-4。
中学校では、顔をほとんど合わせなかった。
私は、
休み時間に隣のクラスに顔を出すような、そんな活発な生徒ではなかったし、
それに、
何より彼は、学校にあまり来ていないようだった。
体育や一部の科目では、
私たちのクラスと、隣の1-4は合同で授業を行っていたのだが、
そこでも、彼を見かけた記憶はほぼ無い。
地理の授業が始まったときだった。
「はい、
じゃあ、この前宿題を忘れてしまった人、提出して」
そう言われて、
私は、血の気がサッと失せた。
前回に続き、今回も忘れてしまったのだ。
仕方なく、
席を立ち、教壇にいる先生のもとへ行く。
「すみません、宿題忘れました・・・」
項垂れた私が、小さな声でそう言うと、
地理の先生は、
私には何も返さず、代わりにある生徒の名前を呼んだ。
その生徒とは、彼だった。
「お前は? お前も、確か前回、宿題を提出しなかったろう?」
シーンと静まる教室内で、イスを引いた音が響き、
少しすると、彼が私の隣に来た気配がした。
先生は言った。
「お前ら、放課後にトイレ掃除をしろ。
便器を舐めれるようにキレイしろ。
いいか、勘違いするんじゃないぞ。
舐めれるぐらいに・・・ではなく、舐めれるように・・・だからな。
違いは分かるな?
じゃあ、席に戻れ。授業を始める」
その日の全ての授業が終わり、放課後になった。
私と彼は、
ふたりきりでトイレ掃除をしていた。
ブラシや雑巾で、トイレの便器をせっせと磨く。
彼も私も、一言も喋らなかった。
互いに押し黙ったまま、
1時間ぐらい、ひたすらに磨き、
やがて、先生の許しが出て、
それで解散になった。
私は部活に行き、彼は帰っていった。
2年に進級した。
確か、秋頃だったように思う。
部活の空き時間に、
仲間と一緒に、グラウンドで鉄棒をしていた。
私が鉄棒の上に腰掛け、
それから後ろへ、グルっと回ろうとしたときだった。
ちょうど頭が下になったとき、
私は、急に平衡感覚を失ってしまった。
自分の状態が全く分からなくなり、ちょっとパニックになり、
それで手を離してしまった。
瞬間、
目の前に何かが猛スピードで近付いてきて、強い衝撃があり、
少し遅れて、
顔に痛みが走った。
私は、
そのときになって、ようやく自分がグラウンドに横たわっていることに気付き、
それから、
どうやら自分は鉄棒から落ちてしまったらしい・・・と気付いた。
「ピーポーピーポー・・・」
こんなときに救急車のマネをして、笑いを取ろうとする仲間に、
少々、ムッとしたが、
私は、
顔をしかめたまま、立ち上がった。
顔をしかめたままなのは、ちょっとでも表情を変えると痛みが走ったからだ。
「僕の顔、どうなってる?」
「何か頬に砂がいっぱい付いていて、
ちょっと赤くなってて、あ、血が出てる。
保健室に行った方がいい」
さっき、笑いを取ろうとした仲間とは別の人が、
私の手を取り、保健室に連れて行こうとした。
私は、
最初のうちは、それを頑なに拒んでいたが、
みんながあまりにうるさく言うのと、手を強引に引っ張るので、
それで仕方なく、しぶしぶ保健室に行った。
保健室では、
保険の先生が傷を消毒をして、ガーゼを貼ってくれた。
家に帰ると、母は驚いた顔をした。
「あら。それ、どうしたの」
「鉄棒から落ちた」
「ちょっと、傷、診せてみなさい。
・・・あら、意外と大したことないじゃないの。
ほら、さっさとお風呂に入ってきなさい。
お風呂のあと、新しいのを貼ってあげるから」
その次の日、私は憂鬱だった。
顔の側面をほぼ丸ごと覆うような、そんな大きくて分厚いガーゼが、
私の頬には、くっついていたからだ。
もう少し控えめの、目立たないのにしてくれ・・・とお願いしたのだが、
「だって、これしかないんだから、仕方ないじゃない」
の、一点張りだった。
思った通り、
学校に行くとみんなにジロジロと見られた。
私は、とても恥ずかしかった。
その3日後くらいだった。
廊下をひとりで歩いていたら、向こうから彼がやって来た。
ボンタンのようなズボンを履き、
上着も、その裾がちょっと短いような、
いわゆる不良の格好をしていた。
頭にもソリコミが少し入っていて、両手をズボンのポケットに突っ込み、
向こうも、ひとりで歩いていた。
その頃の彼は、学校にはほとんど来ていないようだった。
たまに学校に来ても、
みんな、怖がって避けていた。
中学生になってからの彼が、他の誰かと一緒にいる姿を、
私は見たことがない。
私は、少しドキドキしながらも、
それを態度に出すことなく、そのまま歩いていった。
「それ、どうしたんですか? ケンカでもしたんですか?」
近くになったとき、
明るい声で、笑顔で急に訊かれた。
何故か敬語だった。
「あぁ、これ? 鉄棒から落っこちちゃって、それでケガした。
大したことないよ」
私も、笑いながら彼に普通に返した。
「痛くないですか?」
「最初はちょっと痛かったけど、今はもう痛くないよ」
「どれくらいで治りそうですか?」
「え? ・・・うーん、1ヶ月ぐらいかなぁ。
よく分からない」
「へぇ、そうですか。じゃあ、お大事に」
「うん、じゃあ」
そう言って、お互いが笑顔で別れた。
彼は、
私のケガの原因がケンカではないことに、ガッカリしたはずなのに、
それを表情や態度には、一切出さなかった。
私も、
他の人たちのように彼を怖がったりせず、友達だった頃のように普通に接した。
多分、
お互いがお互いの、このときの気遣いに気付いていたように思う。
3年生の、3月になった。
卒業式が終わったあとの、部活。
仲間と一緒に、校庭をランニングしていた。
「卒業式のあと、教室に戻って、
担任の先生の話が始まって、その先生が途中から急に泣き出しちゃって、
それ見てたら、こっちも感動して泣けてきちゃってさぁ」
仲間のひとりが、そんなことを得意顔で語り始めた。
その先生は、体育の先生だったのだが、
何でも、
それまで自分が受け持ってきたクラスには、問題児が必ずひとりはいて、
大変だったらしい。
3年になって、
ようやく全員が普通の生徒の、問題のないクラスの担任になれて、
それで、こうして晴れて1年を無事に終えることが出来て、
嬉しくて、
それを生徒たちの前で、涙ながらに語っていたらしい。
そして、
その問題児の名前を、実際に挙げていて、
その中のひとつに、彼の名前があった。
私は、
その話を聞いて、少し寂しい気持ちになった。
彼とは、
その後、再会したことは無いし、
どうなったかも、私は聞いたことがない。
でも、コーヒーゼリーを食べるたび、
今でも時折、彼のことを思い出している。
ありがとうございました。