カプセル・レター
お題:思い出の年賀状
制限時間:2時間(超過時間:長すぎて未計測)
ジャンル:少し未来 ほのぼののつもり
※なお、作者は郵便関係の知識はほぼ皆無です。システムの捏造・誤解等が強い可能性がありますのであしからず。
僕が配達業を始めて数年経つ頃には、日本から年賀状というものは姿を消していた。
物心ついた時には既に、物流やらサーバー技術やらが急速な発展をしており、仕事用の文書も伝えたいことも、全て電子の海を介して送られる方へ切り替わっていった。そんな流れの中で、そもそも手紙という存在そのものが時代遅れだった。
宅配郵便はもちろん衰退した。かろうじて荷物の郵送で細々と営業しているが、最近では量子学の研究も進み、近いうち某未来漫画で出てきたようなどこへでも繋がるテレポート扉ができるとかできないとか。郵便に留まらず、今度は運輸業にまで衰退の危機が及んでいる。駅や空港が過去の異物と化すのも時間の問題かもしれない。
しかしそれでも、僕は郵便局員として働きたくて就職した。
僕は幼い頃から手紙に関連する物事が大好きだった。
電子媒体では出せない手書きの温かみと、そこに込められた気持ちを子供ながらに感じとっていたのだと思う。
とりわけ好きだったのが年賀状だった。
片面の印刷はその人の個性が出ていて、同じ干支をモチーフにしながら人が変わればがらりと雰囲気を変える。
一番もらって嬉しかったのが、祖母からの年賀状だった。
毎年欠かさずメッセージを添えて、まっさらな白地に手作りの判子で綺麗なイラストを仕上げて送ってきてくれた。裏面も几帳面な祖母らしい達筆な筆字で住所と名前が綴られており、一目で気持ちが込められているのが分かった。
ほとんど年賀はがきなど出回らない中、伝統は大事だと言って、結局祖母は20年前に亡くなるまで、はがきを毎年送り続けてくれたのだった。
手書きの温かみを守りたい。その一心でこの仕事に就いたが、時代の流れは無情なものである。
そう、思っていたのだが。
「ハンザワ君、これも頼むよ」
今日も集荷時間がやってきて、主にネット通販のものを運び込んでいた僕の元に1枚の年賀はがきが差し出された。切手にある西暦は約40年前のものだ。
「これは? 随分前の年度のはがきですね」
「ニュース見なかったの? 最近撤去されたポストから出てきたんだ」
「ええっ、それ信用に関わる問題じゃないですか……」
言うと支局長はばつが悪そうに苦い顔をした。いや、別にこの郵便局の失敗ではないのでそこまで気負わなくても良いのだが。
「調べてみたけど、受付はされたんだが配達された様子がなくて。信用にも関わるし、配達してもらっていいかな」
見れば、宛先は一応僕がよく担当する区域のものだった。差出人の住所は記載なし。届けられた人が安心して読むためにも自分の住所を書くくらいのマナーは守るべきだと思ったが、どことなく祖母を思わせる達筆な字に、そんな不快感は吹き飛んだ。
ただでさえ廃れた郵送の信頼を減らすわけにはいかない。例え自分の落ち度でなくとも、この責任はとるべきだろう。
責任感もそうだが、これが手書きのはがきであるなら、余計僕に断る理由はなかった。
「はい、お届けして参ります」
久々の紙の感触が、指に焼き付くようだった。
粗方の荷物の配送を終えてから、久々に配達用のバイクに乗って宛先を目指した。街から大分離れた山中の村のようで、思うよりも道は整備されておらず、草のはえた獣道だった。
今の時代だからこそホバーバイクが主流となってどんな道でも関係なく走れる訳だが、1、2世代前ならゴムタイヤでこの悪路を走っていただろう。風圧で弾け飛んでいく砂利を後目に、浮遊感に腰をしっかり据えてバランスをとった。
進むにつれ山を上っているせいか、急激に気温が下がってくる。白い息が空気にとけるほどで、山登りの経験がない僕は初めてその真冬のような寒さを味わった。
しばらく飛ばすと、ようやく山奥の民家が集まるところへたどり着いた。どことなく懐かしい雰囲気が漂う、時代に逆行するような古風な家屋が並んでいた。
降りて住所を再確認し、ポストへは入れずインターホンを押した。一通りの説明と謝罪が必要だろう。
引き戸をがらりと開けて出てきたのは、成人に近い若い男性で、日本人にしてはヘーゼルに近い色味の目が特徴的だった。
「郵便局の者です。先日、撤去されたポストの中に取り忘れたはがきがあり、お届けに参りました。当日お届けすることができず、長年そのままにしてしまったこと、心より深くお詫び申し上げます」
「は、はあ。そうでしたか……お勤めご苦労様です」
若い男性はよく分からないといった様子で頭をかきながら、はがきを受け取った。
そして字面に目を通した男性は、みるみる目を皿のように見開いた。
「あ、あのっ……この消印は、この日付で合っていますか……?」
「年賀状なので本来消印は入らないのですが、今は年賀状の取り扱い期間外だったので、本日の配達日を記載させていただきました」
「40年もズレた、別日の日付を押すことは不可能なんですよね……?」
「ええ、改竄があってはいけませんから。首相に言われたとしても当日印を押しますよ」
しばらくぽかんと男性は僕を見つめていたが、やがてゆっくりと顔を引き締めた。
その顔つきは、どこか既視感があった。
「分かった。ありがとう」
噛み締めるようにそれだけ言うと、男性は家の中へ戻っていってしまった。
久々の配達がこれで、郵便局の失敗に対する叱責も覚悟したが、彼のその一言で不安は全て消えた。かわりに忘れていた達成感のような何かが、胸に込み上げてくるのが分かった。
そうして、支部局に帰ってきた僕は念のため報告をしようと局長の元を訪ねた。
「いやあハンザワ君、遠いところをお疲れ様。悪かったね。無駄足をとらせて」
「無駄足……というと?」
「いやなに、君があんまりにも張り切ってるようだったから、がっかりしたんじゃないかと思ってね」
「どういうことでしょう」
思わず訝しげな声をあげると、局長は不思議そうに片眉を上げた。
「だってあそこに村なんてなかったろう」
一瞬、聞き間違いかと思った。言葉を失う僕に、局長は続ける。
「80年も前のはがきじゃ、無理もないか」
「80年!?」
あまりに大きい声をだしたばかりに、局長の太い身体が一瞬びくりとソファから浮いた。
「ちょっと待ってください、あのはがきの製作年数は40年前のものだったじゃないですか?」
「あれ、そうだったっけ?」
局長が念のため撮った資料をぱらぱらと開く。末尾のページにあったかの年賀状の年数は、80年前のものだった。
おかしい。たしか40年前のはずだった。この目でしっかりと確認したのだが。
「とにかく悪い頼みごとをしてしまったね。自分でもどうしてあんな無茶なことを言ったのか……でも、行ってくれてありがとう。処分してくれて構わないよ」
慰めるように肩をぽんぽんと叩かれ、局長は資料を片付けに去っていった。僕はしばらく放心していた。
後日同じ場所に訪れると、そこは既に草木が生い茂り、辛うじて家屋の跡らしき壁が蔦に飲み込まれていた。
程なくして、いつもの日常は戻ってきた。
あの時渡した男性は何者だったのか、あの村は何だったのか。夢でも見ていたようで、しかし手渡しした感触は鮮明に手に残っていた。
だが、その感触も仕事をこなすうちに薄れていった。
そうして数ヶ月が過ぎた夏頃、祖父が亡くなった。98歳での老衰。最後まで元気で、もう10年は生きるんじゃないかと思うくらいぴんぴんしていた。長生きした方だと思う。葬儀とその後始末と、片付けきれない感情の忙しい日々が落ち着くと、僕は母方の親族と共に遺品整理を手伝った。
しばらく地元に帰っていなかったので、幼少期によく訪れた祖父母宅が懐かしく、写真棚を整理しているとふと、祖母の若い頃の写真たてを触って違和感を感じた。裏返すと小さな包み紙が挟まっており、開けるとそこには鍵があった。
「ねえみっちゃん、この箱の鍵知らないー?」
「あー母さん、もしかしてこれじゃない?」
祖父母と同棲していた叔母さんと箱を覗きこむ母に、見つけた鍵を手渡した。小箱を封じていた錠前は、その鍵であっさりと外れる。
しかしあの豪快で細やかさのこの字もない祖父が、こんなにも大事に何かをしまいこむなどらしくもない。
もしかして秘宝かなにかだったりしないだろうか。ありもしない空想に少し胸踊らせる中、蓋が開かれる。
中からは1枚の紙が出てきた。それは、よく見覚えのある10と14.8cmの四方。宛名のない達筆な80年前の年賀状だった。
「あらー! これ父さんの宝物じゃない! こんなところにあったのね~」
「おーいミサコ、ちょっと来てくれないかー」
僕が呼吸も忘れてそれを見つめるうち、おじさんの呼び出しにおばさんは去っていった。
母はそれを手に取ると、ゆっくりと目を細めた。
「母さん、これ……」
「うん。お父さん、ずっと農家を継ぐか都会に出るか迷ってたんだって。そこにお母さんがこのはがきをくれて、決心がついたんだって……でも、おかしいね。消印がつい最近になってる。消印って間違えることあるんだっけね?」
あまりにまじまじと見つめていたのか、「見る?」とはがきを渡される。
はがきは少し湿気っていて、以前手にした時よりも古ぼけて見えた。
「宛名が、おじいちゃんの名前と少し違うけど……?」
「ああそれね、成人前にこっちの都市部に来たとき改名したんだって。詳しい事情は聞かなかったけど」
「そっか、道理で苗字は……あの母さん。これ、ちょっと借りてもいい?」
「ううん」
否定の即答に、胸が一瞬引き締められた。
そりゃ、そうか。こんなに祖父が後生大切にしていたものなら尚更。
「借りるとかじゃなくて、遠慮しないでもらってきな。あんたおばあちゃんのはがき大好きだったでしょ」
次ぐ言葉に、ほっと緊張が解けた。
たしかに、本来なら母が持っているべき大切な一枚だったかもしれない。
「お父さんの人生の転機になった1枚だから」
しかし、その母が葉書を持つ手をそっと握らせてくれたので、僕は祖父と母に感謝してそれを貰うことにした。
人間にミスがあるように、機械にもミスがある。
稀に消印がついていない葉書が出るのは、たまの機械の不具合ということがある。
そんな時のために、見えない消印が葉書には押されている。
主に切手の再利用を防ぐためと、読み取った相手の住所、通過時間などを受取証明に印す施策だったというが、一昔前からそれも自動化し、ポスト内部で小型機械が行うようになった。
勿論一応郵便局の人の目も通るが、今ならその「見えない消印」から正確な受付時間や集荷ポストまでもが検索できるようになった。
事情を説明して休日の職場に入れてもらい、ブラックライトで葉書を照らす。見えない消印は40年前。ちょうど、僕の見間違えた年月日であった。
集荷は今の祖父母の家の近くのポストだった。それは、最近取り除かれたという話の上がっていた例のポストらしい。
取り急ぎ私用のバイクで現場へ向かった。何か意味があってかは分からないが、とにかくそこへ行くべきだと思った。
もう少しで、何かが繋がる気がして。
街から離れ田園風景の続く道を辿っていくと、いつの間にか急速に日は暮れていき、夕日が照らし出す先に目的地はあった。適当な路肩でバイクを止め、葉書を片手にそのポストのあった場所へと向かった。
小さな駅に添えるようにして、ぽつんと集荷ポストは立っていた。
何故だろう。撤去されたのではなかったろうか。それとも住所を間違えたか。この近辺唯一のポストと聞いたのだが。
周囲を見渡して、ふとご老人がいることに気付く。いてもたってもいられず、僕は声をかけた。
「すみません! このポストって、この町で1つだけですよね」
年老いた女性は、どこか見覚えのある顔つきをしていた。年にして5~60代といったところか。手には1通の葉書を持っていた。
「ええ、そうですよ。……どうかされましたか?」
「いえ……あっ、すみません邪魔してしまって。投函、どうぞ」
その場から一歩下がると、老人はポストの前に歩み寄り、じっと葉書を見つめた。
その横顔はげっそりと痩せており、はたから見ているだけでも何か心が締め付けられた。
その目が、ふいと此方を向いて凝視した。他人に見つめられることほど居心地の良くないことはないが、何故か今は落ち着いていた。
「お兄さん……なんだか懐かしい人に似た目をしてるわ」
「えっ」
「よろしければ、お年寄りの長い独り言だと思って聞いて下さるかしら」
葉書へ視線を戻すお婆さんに、その物腰の丁寧さに惹かれてか、頷いて先を促した。
「私……後悔してることがあるの。好きだった人がいたんだけれど、その人は田舎で家業を継がなくちゃいけなかったから、離れ離れになってしまったのよねえ」
「……心中お察しします」
「ありがとう。……小さい頃からお互いに知り合いでね。私が中学で都会に越した時も、毎年続けてた年賀状を送りあいっこしてたのよ」
遠い空へ目を細めるお婆さんの横顔が、夕日の橙色に染まる。緩んでいた口角は、しかし次には下がってしまう。
「高校3年の頃ね……あの人から年賀状が来て。家業か都会に出るか、迷ってるって言われたのよ。もう一次産業なんて若い次の担い手がいなくて困ってるでしょう。だから私、あの人の進路の邪魔をしたくなくって。その年から年賀状はもう出さなかったの。……でも本当は、こっちに来てほしかったのよねえ。……馬鹿よねえ」
その一言があまりに切実で、僕は何も言えずに彼女を見つめていた。
「結局、その時に書いた最後の年賀状を、今の今まで未練がましく持ったままでねえ。でも、もうこれでさいごだから、未練を断つために、今日はこれを処分しにきたの」
「……最後?」
ポストに投函しながら、お婆さんは明るい笑みを向けた。
「私ね、癌なの」
その言葉に、全身が総毛立った。
そうしてポストに滑り込んだ葉書の、垣間見えた見覚えのある達筆な字に、目の前が眩む。
以前届けた若い男性の、ヘーゼルがかった瞳。祖父の遺影。58歳で末期癌を煩い一時命が危うかったという祖母────。
そうして、頭巾から覗くご老人の顔は、痩せこけていながらも、よく知ったものだった。
「──お届けします!」
びくりと彼女の背が震えて、こちらを振り向く。
「必ずお届けします、遅かろうと、何だろうと! 僕が、いえ私がお届けします!! それが例え、過去であっても……!」
身を削るようにして吐き出された言葉に、ご老人はしばらく目を見開いていたが、やがてくすくすと上品に笑い始めた。
「うふふ。何だか貴方がそう言うなら、届きそうな気がしてきちゃった」
「……もし、届けられるとしたら、何がしたいですか」
「そうね」
ご老人は一拍おいて続けた。
「もしそれができて、あの人と結ばれたなら……ひ孫の代まではがきを送るわ」
僕は不意に、高校生を終えるまでにもらった葉書の1枚1枚を思い出していた。
そうして気付くと、彼女の姿はどこにもなかった。後ろを振り向いても、ポストはない。廃駅となった小さなホームも、雑草に浸食されていた。
そうして日が沈む中、僕はようやく、駅の亡骸の前で一人立ち尽くしていたことに気がついた。
それ以来、消印の日付がずれた配送物を扱うことはなかった。
念のため言っておくが、僕には時を遡るなんていう人間外れな力は持っていない。
これは僕の推測に過ぎないが、きっと祖母の強い愛と手書きの温もりを守りたい気持ちが、何か不思議な奇跡を起こしたんだと思う。
そうして、仕事をこなすうちに今年もまた、忙しい正月がやってきた。
葉書がないからといって年末も暇でない。正月に備えて運ぶものは沢山ある。毎年のようにてんてこ舞いの年末年始を終えて、ようやく僕は休暇についたのだった。
「お父さん、これ何?」
妻の方の実家から帰ってきた10歳になる娘が、玄関から戻ってきて首をかしげていた。
テーブルに出されたものを見れば、なんと珍しくも年賀状であった。
「あー、ナナはもう知らないか。これは年賀状って言って……」
この時代に風変わりな奴だなあ、と思いながら説明する口がぴたりと止まった。
妙に見覚えのある、綺麗な達筆の字。宛名のない明記。
そして表に細やかに作り込まれた、色とりどりのスタンプで形作られた山の風景画。
「ナナ……これ、ひいおばあちゃんからだよ」
きょとりと首を傾げた娘の前で、僕は自然と潤んだ目頭から溢れるものを、抑えることは出来なかった。
その後、葉書というものを知った娘が郵便屋を夢に持って目指しだすのは、また別のお話。