2度目の再会
【お題:贖罪の心】
制限時間:30分(超過時間:約3時間半)
ジャンル:ハード(?)ボイルド、海外
※流血表現がありますので、苦手な方はご注意下さい。
その日のバーは酷く閑散としていた。腕時計を見ながら、ピーターはカウンター席で一人、もそもそと頼んだ軽食を手持ち無沙汰につまんでいた。
予定より早く着きすぎた。元々ピーターは時間管理に長けていない。せっかくの旧友との再会を、自分で誘っておいて待たせるなどしたくなかったのだ。まあ、彼なら許してくれそうだが。
ウイスキーを空にした頃、ようやくドアベルの音が響いた。背後は振り向かない。ただマスターに「彼にも同じものを」と一言だけ告げた。
「やあ。ピーター、であってる?」
視界に見慣れた金髪が動き、彼はぱっと顔を輝かせて隣の席についた。程なくして出されたウイスキーに一口つけて、彼はふっと一息つく。
「嬉しいな、君から誘ってくれるなんて。こうして会うのは何年ぶりだっけ」
「学生の頃以来だからな。十……と何年か。そんなことはいいんだ、俺このあと忙しいからそうゆっくりも話してられん」
「つれないなあ。せっかくの再会なのに。仕事、忙しいの」
頷くと旧友はへぇ、と声を上げた。
「苦労してるね」
「そういうお前は、今どうしてるんだ」
「僕? 目指してた教授になって、変わらず授業を続けてるよ」
「お前頭良いもんな」と素直に誉めると、旧友はてへへと頭をかいた。
前会った時からなんら変わらない。いつになく穏やかな気持ちになると同時、ピーターの顔は曇っていった。
視線ひとつくれてやらないのに、友人は素早くどうしたの、と一声かけてくれる。それに学生時代、ピーターがどれだけ救われたか、彼は知らない。
「……話すことがあったんでしょ」
彼はしょっぱく笑って、独り言のように呟いた。頷いて返すと、彼はまたウイスキーを一口呷る。
「そうじゃなきゃピーターは僕を飲みに誘ったりなんかしないはずだ」
「飲みに誘ったことなんてないだろうに。俺もお前も未成年だったろ」
「なんとなくだよ。君ならそうしそうかなって」
ここで初めて、ピーターは左隣の友人へ目をやった。間接照明が彼の白いかんばせを橙色に照らしている。
彼は此方を見ず、どこか遠くへ目を向けていた。意識を飛ばしているようで、彼はきちんと耳を傾けてくれている。つまり静かに先を促しているのだ。
その配慮に甘えてだろう。ピーターは静かに口を開いた。
「お前の大切な人が死んだ」
「ああ」
「俺のせいだ」
ピーターは静かに首を振りながら俯いた。
ピーターの目の前の景色は、数週ほど前へとさかのぼる。
よく晴れた日だった。穏やかな日差しが似つかわしいその日、友人が教鞭をとっている大学でテロが起きた。
犯人の動機は未だに不明だが、銃撃によるそれでたちまち多くの命が危機に晒された。友人もその一人だった。
報せを受けたピーターは急いで大学に駆けつけ、周りの静止も聞かずに飛び込んだ。青春時代を共にした、かの旧友がまだその中にいると聞いたのだ。
玄関の地図で瞬時に構造を把握し、彼の研究室を見つけ出してピーターはそこへ走った。確証はないが彼ならまだそこにいると直感できた。ガラスの破片の廊下を抜けて、弾痕残る壁を横目に、ピーターは風をきってキャンパスを駆け抜けた。
そしてかけ上がった4階、ちょうど階段正面の研究室に、武装した黒マスクが2人ほど立っていた。
銃を突き付けたその隙間から、生徒2、3人と共に、彼はいた。
「テメーらここにぁ手ぇ出さねぇって約束じゃなかったか!!」
ピーターはすぐさま銃を抜くと大学生らを囲むテロリストたちにヘッドショットをかましてやった。
相討ちでピーターも肩を撃ち抜かれたが、室内の敵は全て倒れた。目深に被った帽子から覗く口元が歪むのを、旧友は心配そうに見つめていた。
「ど、どなたですか……?」
「早く来い、銃声で増援が来るぞ、もたつくな!!」
助けだと分かったのか、生徒たちを先へと促し旧友は素早く研究室を抜けた。10年ぶりのせいかまだピーター本人だと気付いていないらしかったが、むしろピーターには好都合だった。今この瞬間に再会を喜ばれては特攻隊を待った意味がない。
ピーターは銃を構えながら、屋上に出られる窓まで走る。外にさえ出られればこちらのものだ、あとは緊急梯子でも使えれば警察の保護下に入るだろう。
先を促し、次々と生徒が屋上に出る中旧友は足を止めた。
「待ってください、まだ第一講義室に生徒たちが……!」
「それは特攻隊に任せりゃいい、お前は自分の身を守れ、マイケル」
うっかり口を滑らせたピーターに、旧友は不思議そうに見つめた後ハッと茶眼を見開いた。
「もしかしてその声、君……!」
いいから早く出ろ、と言いかけた矢先。対角の窓越しの廊下に、ピーターたちに向けられる銃口が見えた。
ピーターは旧友を見、一瞬の躊躇いもなく窓から出かけていた女学生を引き下ろし旧友の前へ放った。
同時、窓が割れる音と共に血痕が壁へ巻き散った。
「許してくれなんて言わない……ただ、俺は後悔したくなかったから、うっかり腕を滑らせちってな」
「ああ、確かに。ピーターは昔っから自分の納得するように事を進めるからねえ」
のんびりとした声色と裏腹に、旧友マイケルの顔は晴れないばかりからしくもない冷たさを帯びていた。
「……なんで」
「あ?」
「なんで……せっかくの再会だったのに、あんな凄惨なことするのさ。僕、君のこともっと良い人だって信頼してたのに」
「悪い、それ高校までの俺だわ。それに、わざわざ呼んでもいないお客さん他所から連れてくるヤツに良いも悪いもないだろ」
黙りこくるマイケルに、ピーターもしばらくその静寂につきあう。話の間に溶けていた氷塊が、空のグラスの中でからんと音をたてた。
「はぁ……仕事、な。奴ら、俺のとこから連れてきちまった輩でな。こればっかりは、申し訳ないと思ってる」
「……だから、10年も音信不通だったって?」
「巻き込まないように頑張ったんだけどな。親しいものからは全部縁切ったつもりだったのに、どこから嗅ぎ付けたのか、俺の失敗につけいったわざわざお前の名前を出してきやがって」
「それは君のせいじゃないでしょ」
「いや、俺がしくじったからだ」
悪態をついてピーターは唇を噛んだ。歪めた右頬に、赤い筋が伝う。
ふと、その口元が緩んで弧を描く。
「……まあ、でも。犠牲者は一人で済んだしな? 落とし前はつけれたろ?」
「酷いよ!」
叩かれたカウンターからがしゃん、とピーターのグラスが落ちて砕ける音が響いた。
視線を送れば、頬を紅潮させて立ち上がるマイケルの姿があった。行儀正しい彼の、らしくもない激昂。
「どうしてそんなことが言えるんだ、この人でなし!!」
「おいおい。そんな怒るこたないじゃねえか……お前さ、子供いるんだろ」
途端にぐっとマイケルは言葉を喉に詰まらせた。代わりに固く握り締められた手の震えが、彼の感情を物語っていた。
「そんなお前に犠牲になってほしくなかった」
「……よく言うよ。僕が犠牲とかそういう言葉を何より嫌いなの知ってるくせに」
ゆらりと、マイケルの背骨の芯が抜ける。握りこぶしはだらりと垂れ、無気力に彼は席へと戻った。
ふと床に転がったグラスに気付いたが、普段慌てて平謝りするはずのマイケルは「すみません」とマスターに一言だけ告げて、右半分の欠けたコップをテーブルに置いた。マスターは気にもかけないようににこりと笑ってグラスを下げた。
「……すごいショックだったんだよ」
「ああ」
「裏切られた気持ちだったんだよ」
「ああ」
「もっと……別の再会の仕方をしたかった」
「俺もだ」
「こんなの最悪だ」
絞り出すように胸のうちを吐き出して、マイケルはもうそれ以上話せなくなった。
間繋ぎにウイスキーを呷ると、視界の端でピーターが時計を確認するのが見えた。
「……そろそろ、行かんとな」
ドクン、と鼓動が嫌に主張する。せっかくの再会なのに、こんな急くようなことってあるのだろうか。
「……どうしても? 命にかえてもいかなきゃいけない用事?」
「まあ、そんなとこだ」
ポケットから2人分のお代を払い、ピーターはおもむろに立ち上がるとそのまま踵を返してしまう。
「えっ、ま、待ってよ! そんな急ぐことないでしょ、ねえ!」
慌ててピーターの右手を掴んだマイケルは、固く握り締めて離さない。
「やめろベタベタすんな、気持ち悪い」
「まだ、話してないことが沢山ある! 高校卒業してから今まで何してたとか、僕の家族の話とか、親友であってくれて嬉しかったとか! 話しきれてないことが沢山……」
「マイケル」
ハッと名前に身体を強張らせたマイケルに、ピーターの顔がゆっくりと振り向いた。
「残りは後でゆっくり聞かせてくれ」
彼の頭の右半分は欠け、肉の断面からは血がだらだらと滴っていた。
「うああぁっ!!」
勢いよく身体を起こしたマイケルは、しばらくぼうっと白で囲まれた部屋を眺めていた。荒れた呼吸が徐々に落ち着いてきて、ようやくここが病院だと理解した。
状況を飲み込むにつれ、汗で濡れた服の不快感にも悩まされる。心地の悪さに苦笑いすると、扉を開けた看護師が急いで駆け寄ってきた。
どうやらガラスの破片が頭部に刺さったらしく、数週死線をさ迷っていたらしい。駆けつけた妻と子供にしばらく泣きつかれ、マイケルもまた神の御加護に感謝し泣きあった。
そして感情のほとぼりもさめ、落ち着いた妻の口からテロという言葉が出てきたところで、過去の記憶をうすらぼんやりと辿っていたマイケルの頭は冴えた。
急いで数週間分の朝刊を持ってきてもらうと、ちょうど2週前の新聞の見出しが目に飛び込んだ。
【無名の英雄ピーター・ロペス、栄誉の死】
ピーターに放られた女学生は無事だった。
彼女の勢いに巻きこまれ、倒れたマイケルの頭上で連なった破砕音がこだました。連射は窓列を一様に砕き、当然屋上に出る窓前の壁も撃ち抜いた。
ガラスの降り注ぐ中、投げ終えた姿勢のピーターの頭を、凶弾が貫いたのが見えた。
結果、騒ぎを聞き付けた犯人らの隙をつき特攻隊が突入。迅速な制圧で第一講義室に拘束されていた教師、生徒、事務員ら100名近くが大きな怪我なく助かったという。
退院後、マイケルは記憶を頼りにあのバーを探したが、結局どこにも見つからなかった。
そうと分かるとそちらは手っ取り早く諦め、今度は車を走らせた。寒風の吹く空は快晴で、ドライブにはぴったりの日だった。
行き先は都心から少し離れた郊外。小一時間ほど走った先で、マイケルは車を止めた。
「やあ、ピーター。こうして会うのは何年ぶりだっけ」
向けられた多くの花束に、マイケルの持ってきた白いライラックの花束が混ざる。
顔をあげたマイケルの前には、身寄りのない彼に感謝の意からたてられた墓があった。
「僕は目指してた教授になって、変わらず授業を続けているよ」
滲んだ視界を空を仰いで堪え、深く深く息を吸うと、ほうっと宙へ吐き出した。その口角がふっと緩む。
泣くのはよそう。せっかくの再会だ。
「話したいことが、沢山あるんだ」
空に優しい風が吹いていた。