マザコン魔王と平凡な異世界召喚者のはなし
その世界には「魔」のものが存在していた。
魔のもの。それは欲を支配し、生き物を営みの枠から惑わせる。
そんな魔のものを疎み、人間は世界から退けるべく、人は魔のものに挑み続けていた。
魔のものを退ける存在。それを人は勇者と呼ぶ。
当代の勇者の名前はユーリ。第六十七代勇者、ユーリ・フォン・ハーレンは魔のものの王、魔王の住まう城にいた。
「ようこそ。勇者殿」
魔の者の王が住まうといわれる魔王城の謁見の間。広い空間の最奥に配置された玉座では、冷酷な表情を浮かべて魔王がゆったりと腰を落ち着け、ユーリたち一行を出迎えていた。
長い旅路の果てにやっとたどり着いた魔王城。すでに王都を出発してから、二年もの月日が経っており、その間、幾人もの仲間が離脱し、故郷へ帰って行った。今まで、幾人もの勇者がいたが、たどり着けたのはユーリが初めてだろう。何にも勇者が望んでもたどり着けなかったその場所にユーリは立っていた。
薄暗い魔王の居城は全体が濃い魔力で満ちていて、気を張っていないと立っていることもままならないほどおどろおどろしい場所だった。正直、目の前の魔王とまともに戦って、勝てる勝算もない。しかし、勇者の意識を占めていたもの、これからの戦いではなく、もっと別のことだった。
「あ、あなたは……」
「あはは…」
その人物は、魔王の横で苦笑いを浮かべていた。
人の良さそうな笑顔。今まで幾度となく、その笑顔と人柄にはげまされてきたかわからない。
「なんで………」
それは忘れもしない、旅の中盤でいなくなったそのひと。
それは間違いなくこの世界を救うために召喚された救世主で、旅の途中で死んだはずの仲間であった。
*
私の名前は安栖桐子。ごく普通の会社員だ。
なんの変哲もない、通信会社の代理店の事務職に就職して、社会人六年目となる。
もうすっかり会社の中堅どころになってしまいながら、なかなかいい出会いもなく、寿退社で辞める機会もないまま今まできてしまったような、所謂干物女だった。
そんな私が、何を間違えたか天は○い河のほとりとか王家の○章みたいに知らない世界に召喚された。(ああ、年代がばれますね)それこそ、漫画のように。けれど私がまだ幸運だったのは、天河みたいに生贄として召喚されたのではないというところ。
いや、それより少しましというくらいか。
私は何を間違えたか、魔王を攻略するための聖獣として、この世界に召喚されました。
そう、聖獣だ。魔王を攻略するための聖獣。
普通ドラゴンや聖獣を召喚しようとして人間、しかもとびきり弱そうな人間が召喚されるなんてことはない。ある訳ないのにそんなことが起こったのだから、召喚された場が騒然となるのは仕方ない。
何か特殊な能力があるかと問われたがある訳がない。私が自慢できるのは、電算とそろばんくらいだ。つまり、戦闘とか運動とか、そういったものでいうとからきし駄目なタイプにあたる。
だからそうだと説明すると、あたりまえだが憤慨された。きっと特別な能力があると目されたがまあ当然そんなことはない。そう説明して、しかも実証実験までなされて、しかし当然のことながら何の能力もない。仕方ないただのOLだもの。それで憤慨されたとしても、私としては涙目である。死にそうな実証実験までされたのだ憤慨したいのはこっちの方だ。しかし、すごく偉そうな人たちに囲まれて責められるはそんなことも言えない。なんでこんなものが召喚されたのかと言われても返答しようがない。
お偉方は悩んだ挙句、仕方ないから勇者一行の随行員にさせようと言い始めた。返品しようとしても出来なかったのだ。お願いだから、召喚魔法なんていうけったいなものを使うのならば、返し方も調べておいてください。クーリングオフありでお願いします!チェンジでお願いします!と言いたがったが、どうやらそうはいかなかったらしい。
そうして、召喚されたのは何かしら意味があるのだろうというかなり無理やりなこじつけで勇者様ご一行に随行させて頂いた私だけれども、まあ役立たずも甚だしかった。当たり前だ。普通のOLがファンタジーRPGのプレイヤーになったとしても勇者Lv1とは訳が違う。一生ス○イムLv1と同じことだ。コ○キングだって私より役に立つ。だってコ○キングはギャラ○スになるじゃないか。しかし私はいつまで経ってもOLLv1だ。そんな私にプレイヤーになれというのも、所詮無理というもの。案の定何の役にも立たず、しかし奇跡的に生還しながら中ボスまで、ああ昔のPS時代のテ○ルズでいうとdisc2くらいですかね、それくらいまでにいったところで、なんと、ラスボスに掴まりました。
あれ。だめだこれ。死ぬやつだと思いました。
中ボス戦だけどラスボス出てきた。あ、これ死ぬやつだ。と思いました。
思ったんですが、連れ去られた先の魔王城での出来事。
ええと……どうしてでしょうか。どうして魔王様は私を「母様」などと呼ぶのでしょうか。
「母様、足りないものはございませんか」
「あ、え、……ええと、ありません………大丈夫です」
ええと、どうして私はいい年した大男に抱き付かれながら甘えられているのでしょうか。いい年した男性に抱き付かれ、頬をすりすりされているのか、まったく意味が分かりません。
「えっと…魔王さま?」
「母上…どうして名前で呼んでくださらないのですか」
「え、…ええと、ヴィークフリートさん…?」
「ヴィー。」
「え」
「以前のようにヴィーとお呼びください」
「ヴィー…?」
私がそういうと、魔のものの王とは思えないほど人懐っこい顔で笑うものですから、もうどうすればよいか分かりません。
「で、ではヴィー」
「なんですか?母上?」
「ええと…、さっきからあなたさ…ヴィーは私のことを母上とおっしゃっていますが、私はあなたの母上なのですか?」
「そうです。私はあなたの母です。母上は記憶を失われているのですよ。きっと転生されたときのショックで記憶を失ったのでしょう。母上、私はあなたの息子です。ただ一人の、あなたの子供」
「ひとり?」
「そう。兄弟はみな死にました。あなたは先代の王の寵姫だった。正妻からいじめを受け、母上はいつも泣いていましたね…」
そう言って見えない涙をぬぐうように魔王さまは私の眦をぬぐった。
「いじめ…」
「ええ。残ったのは、私ひとり。母上は正妻からいじめを受け、城を追われた…そして、ここに二度と戻ってはこなかった」
魔のものにもそんな昼メロ的な展開があったかと驚いたのだが、自分の過去に衝撃があると誤解されたらしい。心配そうな顔で顔を覗かれてた。
「すみません。つらい過去を思い出させてしまいましたね…」
熱心に首を振る。少なくとも私にはそんな過去はないし、私は彼の母親ではない。
「いいえ。申し訳ないのですが、私にはあなたの母だった記憶はないのです…そもそも、どうしてあなたは、私を母と思ったんですか?」
いつ偽物だと指さされて殺されるか。考えただけで胃に穴が開きそうです。
私は結婚をした覚えもなければ、子供を産んだ覚えもありません。けれどこの魔王さまは、間違いなく私を母と呼びます。
それならば、いずれ殺されるのであれば、もう先にずぶりとやって欲しいのです。
偽物だと弾劾されて死ぬのは、嘘つきだと弾劾されて死ぬのは、そんなのは寂しすぎます。中途半端に信頼を得た後に、ののしられて死ぬのは辛いのです。
でも、この魔王様は、あろうことか私を抱きしめたのです。
「母上……っ、母上は母上です。何もかもを忘れてしまっていても、その魂が、私の母だと言っているのです」
「魂?」
なんかスピリチュアルなのでてきた!と思いましたが声には出しません。
「そう。母上の魂の輝きは、この魔の宮で鮮やかに輝く。白く、美しい光。魔の世界でも、人の世でも稀有な輝き」
いや…そんな大層なものを持った覚えはございません。日々の仕事の疲れで醜いどどめ色をしている自信はあります。
「私には母上の魂の色が見えます。こんな色、母上の他に見たことがありません」
いや…日々の残業パラダイスで曇りきっていると思いますが。
「いやいや。何かの間違えかと思うのですが…」
私がそう言うと、魔王様は小さく笑うと私を後ろから抱きしめ、肩口に顎を乗せて耳元で囁きます。
「そんなはずはありません。…母上は母上です。他の誰を間違えても、私が母上を間違うはずはありません。」
そう言って、魔王さまは私の腹に手を充てると慈しむように撫で上げます。
「母上に包まれて慈しまれていたときのことを今でも覚えています。母上のここに私がいたときのことを」
と言われましても、私はまったく覚えていません。これっぽっちも覚えていないのです。
「ほら母上…思い出してください…。私が母上のお腹の中にいたこと、ほら、母上のここに私がいたのですよ…」
そう言って魔王様は私の腹を撫でながら、ぎゅっと抱き着いてくる。
「ヴ、ヴィー…!」
「思い出してください母上。…母上のお腹に私がいたこと。母上のお腹に私を孕んでいたこと。思い出させて差し上げます。さ、母上…もう一度ヴィーを産んでください…」
「う、産む……?」
訳が分からない私をベッドの上に寝かしつけると、魔王様は私の上に覆いかぶさってきました。そこまでされたら、さすがの私だって何をされようとしているか気がつきます。しかし抵抗しようとするその前に、先んじて腕を取られ、ベッドに貼り付けにされます。
「ヴィー…や…やめてっ…やめてください」
抵抗する私に、すでにやめてくれる優しい魔王様はいません。
居るのは、情欲に酔った男がひとり。
「怖いことなどありません。母上…すべてヴィーにゆだねてください。そう、何もかも」
そういいながら、魔王様は暴れる私の身体を簡単に押さえつけると、優しく唇を合わせてきました。最初は触れるくらいに優しく。角度を変え、なんどもなんども。そして舌先で唇を割り開くと、その薄い舌を口内に滑り込ませ、舌先で私の上顎を撫で歯列を舐めあげ、そして舌を強く吸いました。
む、無理です…!なにが無理ってやっぱり怖いし。魔王様のことなんて全然しらないし、魔王様は私を母上なんて呼んで訳分かんないし。
「当代はまだ始まったばかりですが…まあいいでしょう。母上に私を産んで貰えるのならば、この身体に未練はありません…」
「産む……未練……?」
またもや意味の分からない単語が出てきて、息も絶え絶えながら首を傾げると、魔王様はご親切にとくと説明してくれた。
「ええ。皆知らないのですが…魔王を産めるのはただひとりなのです。母上、あなたですよ」
「ひと…り…?」
「そう。魔王を産めるのは母上だけです。母上の魂を持つ身体だけが、魔王を産める。それが誓約であり、契約です。私の魂は母上が産む肉体に受肉します。そのために、母上が受胎された際に私がこの世にいる場合は魂を半分に分け、半分を母上の肉体に宿すのです。母上にはいつか…魔王を……また私を産んで貰います。あなたは私のただ一人、愛すべき母上であり、愛しい伴侶なのです……」
そう言って笑った男が言っている意味が分からず、私は無意識のうちに口を覆った。
*
「母上が言うから殺さずにいてやっていたんだ。母上がこの城に来てからというもの、仲間は誰一人として死ななかったであろう。それどころか、魔の物はお前たちをむやみやたらと襲わなかったはずだ。まあ、お前たちは私たちの領地を好き勝手荒らして、殺してくれたみたいだがな」
高い玉座の上で俺たちのことを見下ろす魔王に、勇み足で場に入ってきた仲間たちもすっかり萎縮していた。
何をしなくとも分かる。格が違う。俺たちが束になったって全く歯が立たない。それどころか、この男の一振りで、人類世界は大きな打撃を追うだろう。
「ヴィー…」
「まあ、殺された奴らはニンゲンといういうだけで殺したがる過激派だったし、荒らされた土地に住まうものにはきちんとした支援をしておいた」
トウコが魔王の名前らしきものを呼ぶと、いささか気まずくなったのか、取り繕うようにトウコの機嫌を取り始めた。そしてトウコが安心するように微笑むと、まるで飼い犬が褒められることを期待するかのような目でトウコを見つめ、トウコもトウコで駄犬もとい魔王様を優しく撫でるものだから、これが本当に何百年と人間と争ってきた魔界の王なのであろうかと不安になってくるが、トウコが自分に送ってくる無言の視線に気づかない訳ではなかった。
――――注意しろ。
他のパーティーのメンツはトウコを軽んじることが多かったが、俺はトウコのことを一目おいていた。トウコは力はないまでも状況判断は的確であり、またその多大な知識量が旅を進めるうえで役立ったことがいくつもある。圧倒的な実力主義の世界で勝ち残ってきた戦士たちにとっては、持てる力こそ全て――故に多くの戦士たちはトウコを下の物としていいように扱っていたけれど、けれどもこの状況下、トウコを軽んじられるものなどひとりもいない。魔王との実力差は歴然であり、魔王が言った通り、加減をしなければきっとここには辿りつけなかったであろうから。
「お前たちをここに招いたのは他でもない。人間にこのばかげた争いをやめるよう、進言してもらうためだ。あいつらはいらぬメンツとかを気にするからな。お前らが勝ったことにしてもらっても構わないから、停戦を結んだとかなんとか言って、今後こちら側への侵略を一切止めてもらいたい」
「なっ……!お前たちが先に領土を犯したのだろう…!」
「それは認識違いというものだ。今後そのような馬鹿をするものがいれば、その屍と賠償をそちらに送ろう。ただし、お前たちがこちらの領土に踏み込み、何をされても一切知らぬがな」
「今までの禍根は…?魔物に親族を殺されたものの怒りは……?」
「知らぬ。勝手にこちらに攻め込むもよい。勝手に殺されるだけだ」
もの言いたげな仲間を手で制する。
「……俺たちに拒否権はなさそうですね。これは破格の交渉だ」
「今回は懸命な勇者で何よりだ」
そういって、魔王は満足そうな表情でトウコの首筋に顔を埋めた。
魔王との会談が終わり、帰路へつく際、見送りといってトウコが俺たちのもとに来てくれた。他の仲間たちは心中複雑だったようで、会話をしたのは俺だけだったけれど、それでもトウコは笑って俺のもとに来てくれた。
「あのひとは、賢明な魔王です。きっと賢明でないのは人間の方でしょう。ただひとつの機会を、逃さないよう、注意してください」
そう言ったトウコの手を俺はギュッと掴む。
「やはりキミは伝説の聖獣だ。魔王を制す、ただひとつの切り札」
「いいえ。そんな大層なものではありません。私はこの地に一つも未練などありませんし、あるとしたらあなたと、それこそ魔王さまくらいでしょう。私という個体を認識しているものなど、あなた方二人くらいですから。」
「トウコ……やっぱりボクたちと……」
「さあ早く帰って下さい。そして、国を守ってください。これからどうなるかは貴方にかかっています。どうか賢明な判断をしてくださるよう、あの頭の硬そうなご老体を説得してくださいね」
笑顔で見送ろうとしたトウコの手を取る。
黒髪の隙間からのぞく黒曜石の瞳が切なげに揺れ、俺の姿を映す。
「キミのために、ボクが出来ることはないだろうか。友人として、キミの恩義に報いたい」
その言葉に、トウコは一瞬悩まし気に瞳を揺らしたあと、ゆっくりと首を振った。
「どうか末永くお元気で。ユーリ・フォン・ハーレン」
*
勇者一行が城から出て行くのを名残惜しい気持ちで見送る。これでこの城に私を知るものはついにひとりになってしまった。
そのひとり、ヴィークフリート・ヴァレンシュタインが窓枠に添えられた私の手を優しく掴むと唇を充てた。
「お可哀想な母上。故郷に戻りたくても戻れず、すがれる相手もいないのですね」
「どうしてそれを…」
「お気づきで無いと思いましたか?私は母上のことしか見ていないのに」
それ嘘だ。ヴィークフリートはこの国の王であり、魔のものの王だ。私のことしか見ていないというには語弊がある。
それでも、この美しい息子と言う男が、私の心のうちを見透かしていたというのは恐ろしい。よりにもよって、私の望みを叶えてくれはないであろう男。この男にだけは知られたくなかった。
誰にも言わなかった。ただの一度も言ったことはなかった。言ったとしても無駄だと思ったからだ。
だから、勇者に望みを聞かれても「ない」と答えた。勇者である彼が用意できるもので私が欲しいものは、ひとつとして無かったからだ。彼は私がそう思っているのを分かっていて、笑ってそうかと答えた。
世界に平和を齎した、勇者様ですら叶えることの出来ぬ望み。私の、たったひとつの望み。
「それでも、私は母上を返して差し上げるわけにはいきません。あそこは未練が多すぎます故、母上を返してしまったら、もう私の手の中には、決して戻ってこない」
まるであそこを知っているかのような口ぶりに怖気立つ。
「しかし母上がいなくなっても、何度でも母上を見つけますし、何度でも母上のもとに帰ります。以前に申し上げた通り、それが誓約であり、契約です。母上。あなたはわたしのただひとり。いずれの世でも、母上は私のひとりきりの母上であり、ただ一人の伴侶ですよ」
恍惚とした表情で語り掛けてくる男を前に、私に残されたのはただ一つ、この大きな城の中、この男の隣だけなのだと実感して、息もつけないほどの息苦しさを感じた。