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しきみ彰様のドラゴン愛企画参加作品です~






 王子様は、あるとき貴族のお姫様たちを集め、言いました。


 お姫様たちの細い腕に、ドラゴンの大きな卵を抱えさせて。


 飛竜を育てよ。


 その手でもっとも優秀な飛竜を育てた者を、自分のお妃としよう、と。





     ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





「で。無事に生まれて良かったよねえほんと」



 シェリンが呟けば、下からぷぎゃあ、と機嫌のよさそうな鳴き声がする。

 彼女の呟きに応じたのか、それとも彼女に顎の裏側をくすぐられて気持ちよかったのか。それは分からない。

 が、大きな琥珀色の瞳をうっとりと細め、「もっとー」と言いたげに彼女の膝の上でぐでんと薄灰色の腹を見せているところを見れば、たぶん後者なのだろう。


 人族と竜族が共存する稀有な国アルマ。

中でも、ここは人族の都イルマ。

 大臣を務める大貴族シルヴァリ家の邸宅の片隅で。

 そこに仕える侍女シェリンの膝の上でごろごろしているのが、半年前にこの家の末娘セレーナがキリム王子から預かり受けた卵――飛竜の子供であった。


 飛竜というのは、その名のごとく大空を飛び回る大きな翼を持ったドラゴンのことだ。

 本来は人里で滅多にお目にかかる事のできない希少種である。

 そんなドラゴンがなぜアルマ王国の人の都で普通に人に飼われているかといえば、飛竜が王国の守護者だからだ。

 建国の際、竜族の王から人族の王へ、飛竜は国を守るものとしてもたらされたとされている。人族の初代国王は金色に輝く大きな飛竜に乗り、国外には畏怖の念を、国内には安定と繁栄をもたらしたと言われている。


 王国の守護者の異名は伊達ではない。

 他国ではほとんど見ることができず、また決して人に慣れることもない飛竜は、どの軍獣よりも速く空を駆け、威嚇の鳴き声ひとつで他を圧倒する。種類によっては口から炎や氷を吐くことだってできる。

 ほんの数名の戦士と飛竜で他国の大軍を敗走させた、などという話は、アルマ王国史でも大して珍しくもない事実なのだ。


 そんな一騎当千の兵である飛竜だが、生まれて数か月は非常に弱く、親竜や人の庇護が必要となる。まして生まれる前、卵の状態であればもちろんだ。

 シルヴァリ家のセレーナ姫がキリム王子から王家所有の卵を預かり受けたその日。彼女はいつも通り馬車で帰って来た。とくに運び方についての指示はなかったらしい。

 普通、卵や生まれた直後の状態でどこかへ移すことはしない。しても厳重かつ慎重に行うものなのだが。

そして家にたどり着いて早々、なんと落としてこの大事な卵にヒビを入れてしまったのだ。


 考えても見て欲しい。

 羽根付きの扇子より重い物を持ったことのないような深窓の貴族令嬢が、何の前触れもなく自分の頭より大きな卵を手渡されたのだ。

 卵は丸く、当たり前だが持ち手だって付いていない。保温のために柔らかい布が巻かれていたが、逆にそれが手元を滑りやすくしていた。

 加えて、飛竜の飼育は本来男性が行うことになっている。いくらアルマ王国でも貴族の女性はもちろん、平民だって子供から大人まで女性は卵に触るどころか、近づくことすらしないのだ。扱い方など知るわけがない。

 無謀にも程がある、とシェリンは思う。


 卵にしてみても、いい迷惑である。

 キリム王子だってそれを知らないはずはないのだが、わざわざ自分の妃候補の姫君たちに手ずから卵を渡して「より優秀な飛竜を育てた者をわたしの妃として迎える」と宣言したらしいのだから、いったい何を考えているのか、何がしたいのか皆目わからない。

 セレーナ姫が非力な細腕で頑張って卵を抱え持ち帰ってきたのは、この変わり者の王子様と結婚したいからなのだ。

 まあ、けっきょく落としてしまったわけで。実際、家に帰りつくまでに卵を割ってしまったご令嬢が何名かいたらしい。


 幸い、飛竜の子供はそれからすぐにちゃんと生まれた。

 姫から“ヴァフスジルサニア”と名付けられ、少々小さいながらも元気にすくすくと育っている。

 それが現在シェリンの膝でごろんと寝そべっている飛竜であった。


 近くにセレーナ姫の姿はない。

 優秀な飛竜が欲しいなら、優秀な飼育係に任せるのがいちばん。飼育に関わって来なかった貴族のご令嬢 たちだってわかる常識である。だから、結局は所有している飼育舎で、お抱えの飼育係に任せることになるのだ。

 もう一度言うが、飛竜にしてみればいい迷惑である。

 まあ、今回の事がなければシェリンだってここまで飛竜に近づくこともなかっただろうが。

 それだけは見たこともない王子様に感謝してもいいかなと思うシェリンである。

 彼女は先輩たちから飛竜の観察係を押し付けられた、ノーと言えない新米侍女であった。


 今でこそ膝の上に乗せて遊ばせるくらいに慣れているが、最初はシェリンだって怖かった。

 しかし、相手は生まれたばかりの赤ちゃん竜。いずれ大きくなるにしても、現在はせいぜい彼女の膝の高さ程度の大きさしかない。

 白っぽいつるんとした体躯に、そこからしゅるりと伸びる長い尾。まだ先端が丸っこい、艶やかな白い爪をむき出しにする前足と、ずんぐりむっちりとした後ろ足。そして体を覆い隠すほどの大きな白い翼。

 まだ飛べないので、目的地までは飼育係に抱き上げられるか、ぽてぽてよちよちと歩く。どうやら翼で重心が取りづらいらしい。もともと飛ぶのは得意だが歩くのは不得意な生き物なのだ。

 あるときは目の前をよぎったちょうちょを追いかけ、好奇心旺盛な大きな琥珀色の双眸をきょろんと動かして、もどかし気にぱさぱさと翼をぎこちなく動かしてもみる。

 飛びたそうだが、飛べる日はまだまだ遠いようだ。


 ……なんというか、全然怖くない。

 むしろ手を貸したくてうずうずしてしまう。


 ちょうちょに夢中になっていた飛竜の子が木陰からのぞくシェリンを見つけたのは、彼女がそのお役目を頂いてから三日目のことだ。

 飼育係に育てられた飛竜は、非常に人懐こい。ぽてぽて、と寄ってきては小首をかしげて「くるるぅ」と何やら甘ったるい声で鳴かれ、さらに足元の木陰で翼をたたんで丸くなり、ぴすぴすと寝息を立ててお昼寝されてしまった。

 固まるシェリンと見比べて、のん気なヤツだなあと苦笑したのは飼育係である。


 そんなこんなで、シェリンはあっという間に、この小さな飛竜に落ちたのだった。

 だって、これのどこに怖がる要素があるというのか。

 いや、ない。微塵もない。


 これがきっかけで、今や彼女はひんやりした鱗を持つからだをぎゅっと抱きしめても、鋭い牙の付いた大きな口に餌を持った手を突っ込んでも、鋭利な爪がにょっきり生えた足で腹の上に乗っかかられてもぜんぜん平気であった。

「まさかここまで懐くとは」と飼育係たちも呆れてはいたのだが。


「いつになったらセレーナ様はあなたを見に来るんですかねーヴァフスジルサニア」

「くあくあぁっ!」

「……はいはいゴメン“サニア”」

「ぐあうー」


 言い直すと、小さな飛竜は満足そうに喉を鳴らした。


「一度会いに来たら、ぜったい好きになると思うんだけどなあ」

「ぐあうー」


 ヴァフスジルサニア。

 この有難くも長ったらしい名前、どうやら飛竜自身はあまり好きではないらしい。

 とんと会いに来ない名付け親に思う所があるのか、あるいは単に好き嫌いの問題か。この小さな飛竜は、フルネームで呼ぶと怒るのだ。

 とっさの時や何度も呼ぶには非常に面倒くさい名前なので、最初に“サニア”と言ってしまったのはシェリンだが、今や飼育係の誰もがそう呼んでいる。


「すっかり“サニア”だな」


 そう苦笑いするのは、飼育係で竜族のロギである。

 ぱっと見は人族とそう変わらない。が、細められた瞳は白い部分が少なく、虹彩に金粉を振りまいたような光がちらちらと見える。長身痩躯で手足の皮膚に鱗のように硬い部分があるのも特徴である。

 人里離れた高地に少数で集落を作ることが多い竜族だが、排他的ではなくむしろ好奇心旺盛で、彼のように人族に混じって違和感なく生活している者もたくさんいた。

 とくに飛竜との付き合いが人族よりもはるかに長い彼らは、むしろすすんで飛竜の世話係を買って出てくれている。ロギも、そんな内のひとりだ。

 シェリンは彼を見上げて言った。


「……やっぱりまずいですかね?」

「いや、いいんじゃないか? お嬢様来ないし。ばれないと思うよ」


 それにもう手遅れ。口には出さず、ロギは思う。

 シェリンが“サニア”と呼べば、クリーム色の鱗をきらきらさせて応える。

 それは、わずかな変化。

 それでも、“ヴァフスジルサニア”ではなく“サニア”がいいのだと飛竜の子供が全身で主張しているのは、竜族のロギだけでなく人族の飼育係にだってはっきりと分かる。

 人族であり飼育係でもないシェリンには、そのあたりはよく分からないらしい。


「ヴァフスジルサニアは――」

「くあああ!」

「……“サニア”は、こんなに可愛いのにねー。ちょっと強情だけどね」

「くるぅ」


 舌を噛みそうだからと短縮して呼ばなきゃよかった。

 彼女がそう後悔し慌ててフルネームで呼んでも、今さらなのだが。


「ねえ分かってる? あなたの本名はヴァフ――」

「くああああっ」

「………もう」


 王子様からこの卵を受け取ったセレーナ姫は、一度も飛竜に近づかない。

 卵を落として以来怖くなったのか、あるいは卵が孵ればそれでいいと思っているのか。


 報告係のシェリンは、飛竜と遊んでいるばかりではない。

 溢れんばかりの愛を乗せて、ちゃんと定期的に報告書を提出している。

 しかし、同僚の話ではまったく目を通しもしなければ、飛竜のひの字もその可憐な口からは出て来ないのだという。

 婚約者候補のひとりとして城に頻繁に出向いているのだが、王子に会って話題を振られたりしないのだろうか。


「ぐるううー」


 飛竜の子供は不満げに喉を鳴らしてぽすん、と手のひらに顎を置いてくる。

 全力の甘えっぷりに、シェリンはくらくらしながらため息を吐いた。


「……サニア」

「ぐあうー」


 なんだか心地良さそうに、そして満足そうに返事をする飛竜。

 そのクリーム色のつるりとした体は、より艶やかに、よりきらきらと輝いている、ように見える。

 そしてけっきょく、シェリンも笑ってしまうのだ。


 そんなひとりと一匹の様子を見て、ロギはこっそりため息をつく。


 育てられた飛竜、とくに庇護が必要な子竜は、人の好意に非常に敏感である。

 嫌々セレーナ姫を連れてきたところで、そして彼女が今さら本名を呼んだところで、“サニア”はシェリンにほどは懐かないだろう。

 それに、たぶん姫は来ない。

 いくら飛竜の子が小さく無力な存在だったとしても、ふだん縁がないぶん、鋭い牙や爪が見えただけで卒倒してしまうご婦人だっている。

「大きくつぶらな瞳で見上げられるときゅんとする」と言う彼女のような反応を大貴族シルヴァリ家の箱入りご令嬢にも求めるのは、むしろ酷というものだ。


 ―――そう、なんと酷な事をするものか。

 人族の王子は。

 そんな風に、竜族の青年は思うのだ。


「何を考えているのか。それとも、ただの無知なのか」


 これは、言わなきゃだめかな。

 嫌だなあ。竜族の飼育係の小さな呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。








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