ダリシユ
勇者とは誠に末恐ろしい存在だ。
師として誇らしい反面恐ろしくもある。
そして、キクリから剣聖ではなく師匠と呼ばれる事が、この上なく嬉しい。
それは安堵でもある。
キクリの師である事を意識している時は聖剣に――有形無形文化遺産に呑まれずにいるのだから。
勇者とはやはり規格外なのであろう。
だが、その規格外をも超越するのが魔王だ。
歴代の剣聖を幾度と無く破って来たと言われる魔王。
恐らく、アレもまた有形無形文化遺産に類似した存在なのだろう。
星詠みが模倣して創り上げた勇者の様な紛い物では無く、限り無く聖剣に近い存在なのだろう。
聖剣を振るう。
正確には、聖剣に浸食された瓦礫を振るう。
手にした時には球形に近かった瓦礫が、僅か数分の間に剣に似た形状に変形しつつある。
聖剣下支配構造体。
俗に言われる聖剣の事だ。
一方で剣聖は聖剣下支配人物と呼ばれる。
これは三代前の剣聖が聖剣に呑まれるまでの間に書き記した書物に記されていた。
残念な事に、その書物事態が無形有形文化遺産に汚染されて剣聖以外には読めない代物になってしまっているが。
それによれば、聖剣とは「剣聖とは即ち剣聖であり故に剣聖であるならば剣聖なのである」という呪詛が込められた品であるとされる。
剣聖∴剣聖。剣聖である故に剣聖。
剣聖∵剣聖。剣聖である、何故ならば剣聖なのだから。
剣聖=剣聖。剣聖とは剣聖である。
これらの理論破綻した呪詛が齎す呪いの果ては、個の消滅だ。
私はいずれ私ではなくなり、剣聖と呼ばれる曖昧模糊な概念に成り下がる。
勇者の師として行動する事でなんとか私の消滅を遅延させているが、それも限界に近い。
既に私の言動は私の制御下から離れ、剣聖であろうとしている。
「その斬られ方じゃ死なないな」
弾丸小殻の飛来をなんとか凌いだキクリに掛けようとした言葉は、私の発しようとしていた意図を限りなく剣聖に変質させた内容に変化した。
「良く見ろキクリ、それは斬れる」
そして時折私が言葉を発しようとはしていないのにも関わらず、言葉が発せられる。
剣聖として発言すべき状況になると、剣聖は喋るのだ。
言葉だけでは無い。
先程から私は殆ど聖剣を振るってはいないが、蟲共が次から次へと切り刻まれて行く。
その様子を、キクリの背後から眺める。
そう、最早キクリは私自身を見てはいない。
キクリの視線の先には、剣聖であるべき剣聖が存在しているのだろう。
聖剣が本来持つべき呪詛は剣聖の幻影を見せると言う物だったのではないか、と私は考えている。
それが長い年月の間に変質したのか、はたまた最初から壊れてしまっていたのか。
いずれにせよ聖剣を手にした時点で私の生涯は剣聖である事が確定してしまった。
逃げたい。投げ出したい。俺は剣聖なんかじゃぎぎぎ逃れられないのならば、精一杯足掻くまでだ。
鬱蒼とした森を進む。
進行を阻む草木は剣聖が排除してくれる。
向かって来る蟲共は剣聖が切り刻んでくれる。
「師匠……!」
囚われ嬲られ人の盾とされた者達を剣聖が切り刻む。
正義感の強いキクリは反発の声をあげるが、剣聖は気に掛けない。
殺してやった方が親切だ。
「それを斬ってはっ……!」
飛び散る血飛沫に荒げた声を、キクリは途中で押し留めた。
正義感が強いが、現実を見る事が出来るのがキクリと言う青年だ。
「斬っていけない? それは斬れるぞ?」
その心的負担を和らげようと発した言葉は別の言葉に塗り替えられる。
もどかしい。
キクリの、勇者の師としてもどかしく感じる。
私がキクリに残してあげられるモノはあるのだろうか?
強いて言うならば、キクリが習得した剣聖の剣技もどきがそうだろうか?
だがあれは私が与えたモノではない。
キクリが、勇者としてのキクリが、幻視した剣聖から創作した全く新しい技能だ。
常識的に考えて剣を振るって傷が癒える等質の悪い冗談だろう?
キクリの中で剣聖はそれ以上の事が出来る事になっているが、それこそ幻影だ。
私がキクリに残せるモノ等何も無い。
あるのはぎぎぎあるのはぎぎぎ聖剣をぎぎぎ遺さない事ぎぎぎだ。
ぎぎぎくそっ、抵抗が激しぎぎぎい。
ぎぎぎ。
ぎぎぎ。
私はキクリの師だ。勇者の師だ。
それに足る事をしよう。
具体的には……考えない。
まあ、いい。
これで、いい。
まずは、魔王を斬る事だ。
あれをのこしてはいけない。
決着を着ける。
剣聖と、魔王と、勇者に。
それらを形作る概念魔法に。
そう、終止符を。
ふと後ろを振り返る。
姿は見えないが、無事に着いて来ている様だ。
王女が何を考えているのかは分からない。
少なくとも私には国王とは別の理念で行動している様に見えた。
かと言って星読みの信者と言う訳でも無さそうだ。
少なくとも、キクリに随行していた星読みの監視要員は偽物に入れ替えられていた。
剣聖の本能が王女を危険だと感じている。
王女は巧みに剣聖の影響圏外を行動している。
これまで私を直視していないのは賞賛に値する。
願わくばキクリを助けてやって欲しい所だが、最悪の場合は斬るしかあるまい。
私は剣聖なのだから。