キクリ
勇者と呼ばれる者達が居る。
俺もその一人だ。
世間一般では武勇に優れた者が勇者だと呼ばれるらしいが、それは大きな間違いだ。
勇者とは、星詠によって無作為に抽選され、その後に創り上げられる者だ。
歴代の勇者が孤児院から発見されたのはそれが理由だし、俺もその例に漏れない。
勇者と言う肩書から想起される人物像は所詮虚構の産物で、即ち勇者である俺には大した力は無い。
目の前で熱を失いつつある少女を助ける事も出来ず、守る事も出来ず。
「無駄だキクリ、そいつはもう助からない」
師匠が興味無さそうにそう言った。
年齢不詳。性別不詳。
適当に切られた長さがまちまちの頭髪。常に大きく見開かれ感情の感じられない瞳。擦り切れそうな革鎧は幾重にも血を吸って真っ黒に変色している。
手にしているのは、刃が潰れた一振りの剣。
「……分かっています」
俺にこの少女は救えない。
少女は頭部を潰されて死んだのだ。
この状態の人間は、師匠でなければ斬って蘇生させる事は出来ない。
俺は少女の死体をその場に横たえた。
深く息を吸って吐く。
胸の底で渦巻いていた感情がすぅ、と引いた。
周囲を見回すとそこは惨状だ。
共に魔王領へ来た使節団は皆死んだ。少女――タツサ王女の様にある程度原型を留めている者は極一部で、大半は肉塊か肉片か挽肉だ。
肉屋の如き所業を成し遂げた敵は、全て師匠に斬り刻まれていた。
その残骸が足の踏み場に困る程積み重なっている。
魔王との交渉は決裂した。否、最初から交渉等する気は無かった。そう言う事だ。
師匠が刃の潰れた剣を放り投げる。
国王から賜ったその剣が、血に塗れた床に落ちて甲高い音を奏でた。
壁の向こうから重たい物が歩く音が聞こえる。
岩人形だろう。
今代の魔王が常用する対人兵器だ。
「もう少し斬って来るか?」
師匠から緊張感は感じられない。
岩人形は強敵だが、師匠の相手としては役者不足も甚だしい。
人呼んで剣聖、その名をダリシユ。
この世の理を外れた、人の形をした異形。
「切先は手前で避けろよ?」
師匠がいつもの口癖を俺に投げ掛けて――俺は師匠を見失った。
ごうと風が吹く。室内であるのにも拘らず、吹き荒れる。
四方で壁が崩れていた。
鋭利な切断面。師匠が斬り飛ばしたのだ。
俺は本能的にその場を飛び退いた。
斬り飛ばされたのは壁だけでは無い。
ばらばらと斬られた館の天井が落ちて来る。
視界の端で王女の死体が破片の雨に呑まれた。
原型を留めていた幾ばくかの死体も同様だろう。
中には師匠が斬る事で息を吹き返す死体もあった。
でも、俺に師匠を咎める資格は無い。
使節団の皆を守り切れなかったのは俺自身であり、師匠の入室拒否を受け入れたのもまた俺自身だからだ。
むしろ、勝手に乱入して俺の命を救ってくれた師匠に感謝しなければならないのだろう。
だが、それでは割り切れない。
助かる人を助けない。俺には師匠の持つ信念が理解出来ない。
瓦礫が降る。粉塵が舞う。
俺は音だけを頼りに瓦礫を避け、腰の刀を抜き放つと片手で粉塵を斬り払った。
横一文字に発現した切れ目は粉塵を散らし、瓦礫を押し退ける。
切れ目は粉塵の裏から迫って来ていた岩人形を三体纏めて切断し、そこで止まった。
刀を返し、踏み込んで斜めに振り上げる。
振り上げた刀に両手を添えてもう一歩踏み出すのと同時に振り下ろす。
切断した三体の岩人形と、斬り損ねていた二体の岩人形が爆散する。
「その程度も斬れんのかキクリよ」
どこかから聞こえた師匠の声が無茶を言う。
俺の腕では毎回毎回師匠の様には斬れない。
大半が精々斬り砕く程度だ。
師匠に言わせれば切断を伴わない斬り方は美しくないのだそうだ。
切断する。
例え斬って救えるべき命があったとしても、切断を伴わないのであれば拒絶する。
落ちた腕を斬り繋いだり、病を斬り飛ばしたり、傷を斬り癒したりする事なら俺にも出来る。
消えかけた命を斬り繋ぐ程度なら、何度かに一度は成功する。
俺にはその程度が限度だが師匠なら……。
否、これは雑念だ。
斬る時には不要な雑念だ。
不用な雑念を斬り払う。
両手で握った刀を頭上に振り被り、一気に振り下ろす。
最後の岩人形が両断されて崩れ落ちた。
視界の端に師匠の姿が映る。
館は切り刻まれてその原型を留めていなかった。
岩人形達の残骸と館の残骸が入り混じった瓦礫がその名残だ。
風が吹いた。
森へと吹き込む風が粉塵を連れ去り、唐突に見晴らしが良くなった。
師匠は今し方発生した戦闘等どこ吹く風で、森の方向に首を向けていた。
大森林。そこは魔王領への入口。
「あっちは涼しそうだ」
師匠は何の気負いも無い足取りで大森林へ向かって歩き始めた。
ざわざわと大森林が震える。
俺の身体が緊張で強張った。
何かが来る!
大森林が膨らんだ。最初俺にはその様に感じた。
実際は、大森林から大量の蟲が滲み出る様に溢れ出て来ていた。
直感的に身体を半歩横に動かして刀を振った。
風切り音が遅れて聞こえたが、それは振った刀が発した音では無い。
弾丸小殻が俺の真横を通過した音だ。
刀は虚しく空を斬っただけだが、例え弾丸小殻を斬れた所で軌道を逸らすのが限度だ。
「キクリ、手本を見せてやる」
どちらにせよ結果は同じだ。斬れなかった時点で師匠から見れば同じだ。
第二射が大森林から飛来する予定だったのだろう。
だが、第二射を俺が感知する事は出来なかった。
俺には師匠が剣の形をした瓦礫を振るった事しか感知出来なかった。
「蟲共は意外と美味だな」
師匠が何かを咀嚼しながらそんな感想を呟いた。
俺には剣をどう振ったのかは良く分からないが、蟲が美味いかどうかなんて分かりたくも無い。
大森林が警戒している。
見れば靄の様に湧き上がる蟲の数が目に見えて減っていた。
師匠が斬り払ったのだろう。
それでも尚無数の蟲が大森林からは湧き上がって来る。
そんな大森林へと向けて、師匠は歩みを止めない。
「師匠、撤退して国に報告するべきです」
一応提言はしておく。俺の提言で止まるとも思えないが、それでも一応。
「通るだけだ。何の問題もあるまい?」
振り返りもせずにそう言った師匠は、ふと足を止めて俺の方に首を向けた。
「斬り払えば問題あるまい」
ああ、そう言えばキクリは死ぬのだったな。
そんな非常識な心の声が聞こえた気がした。
確かに俺は師匠に比べれば遥かに簡単に死ぬし、師匠にとっては無数の蟲等障害にもならないのだろうけれども。
俺は諦めて師匠の後を追った。
師匠を、剣聖を野放しにする事は出来ない。
それは俺が国王から賜った勅命。
勇者としての務めとは別の、俺にしか出来ない仕事。
剣聖ダリシユに正式に認められた、剣聖の弟子である俺にしか出来ない、裏の仕事。