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密偵

☆イライヅが低く唸る。

 眉根を寄せ、顔を顰めて、禿頭から湯気が出そうな程考えて、唸る。

 イライヅは野盗だ。

 正規集落から追い出された者達。

 それがイライヅの仕切る野盗集団である。

 昨日の時点での総構成員人数は二百二十七人だったが、その数は常に変動する。

 アンウェイとジュダの間に広がる湿地帯にはいくつかの集落が存在するが、それらは王国の中で独自国家の様な文化を持つ。

 壁や柵に囲まれた生活拠点を作らず、湿地から齎される作物を糧に生きる者達。

 湿地には湿地の規律が存在する。

 王国の規律も大枠としては機能しているのだが、その隣に湿地の規律が存在している。

 湿地の規律で集落の規模は七十人前後と決められており、人が増え過ぎると分裂して別の集落となる。

 助け合いは推奨されず常にどこかの集落が滅びどこかの集落が分裂する。

 規律は絶対だが、どんな規律であろうとその枠から外れてしまう者は存在する。

 イライヅはそんな枠外に飛び出てしまった者の一人であり、枠外に飛び出した者達を纏める存在でもある。

 その様な者達は外枠と呼ばれ、正規集落から積極的に排除される事になる。

 イライヅが生き延びているのは集団の規模が肥大した事により正規集落からの攻撃を防衛し続けられているからだ。

 だが、それはそれで別の問題を引き起こす。

 湿地の規律が集落の上限を七十人前後と決めているのはそれを越えると定住する事が困難になるからだ。

 それは湿地の気候に起因する。

 湿地は作物や肉を保管する事が難しいのだ。

 だからイライヅの集団の殆どは常に飢餓状態に置かれている。

 イライヅを含む野盗の幹部連中はそこそこ食えているが、下っ端の食糧事情は酷い物だと表現するに留めておく事を推奨する。

 その結果二百人を超える集団であっても、正規集落を攻め落とす事もままならない。

 とは言え数の暴力は脅威であり、正規集落はイライヅ等野盗連中を根絶やしにする事に未だ成功していない。

 そのせいで、私は今ここにいる。

 私は二つの集落から依頼されてイライヅの動向を探る密偵なのだ。

 湿地は王国に目溢しされる形で存在している。

 王国が湿地を放置する理由は不明だ。

 建前の理由はいくつも存在しているが、それらの全てが少しだけ不自然だ。

 荒唐無稽で曖昧な論文を根拠に王国まじない対策室が湿地の文化的保全を提示する。

 対干殻戦略ならば湯水の如く兵士を派遣する軍部が兵士不足を理由に湿地の武力的制圧を否定する。

 星詠は遥か未来に湿地が世界の危機を阻止すると記された預言書を公開する。

 権威の低い貴族の三男が何故か湿地の生態系を保護する運動に熱を挙げる。

 そしてもっとも不自然なのは、そんな少しの不自然が幾重にも重なると言う現象。

 何だか私の様な流れの密偵が大挙して情報工作をしている様な、釈然としない不自然さ。

 それが偶然であっても、そうでなくとも、湿地に存在する数多の集落にとっては都合のいい現実でしかない。

 だからこそ全ての集落は王国を刺激する事を懸念する。

 外枠が湿地の外へとその戦棍を振り下ろさない保証は無いのだ。

 加えて、王国は湿地の規律を犯す者も湿地の規律に従う者も等しく扱う。

 だからこそ、正規集落は湿地の規律に従って外枠を排除しなければならない。

 イライヅが低く唸る。

 眉根を寄せ、顔を顰めて、禿頭から湯気が出そうな程考えて、唸る。

 澱時だろう。私の仕事は完了しないまでも不要な状況へと移行した。

 私は適当な理由を見付けてその場を離れた。

 赤笹の葉を幾重にも被せただけの雑な住居を出た私は、誰にも見咎められていない事を慎重に確認しつつ、飢えた下っ端共の間を抜ける。

「剣聖が、剣聖が、剣聖が、剣聖が……」

 下っ端の一部は意味不明な譫言を呟いている。

「剣聖とは何だ? 剣聖とは何だ? 剣聖とは何だ? 剣聖とは……」

 剣聖と言う単語の示す所を私は詳しくは知らない。

 何やら王国で流行っている御伽噺の一種らしいが、湿地では対して意味の無い事だ。

 剣。

 王国では一般的な武器であるそれは、湿地においては重大な欠点を抱える武器である。

 一般的な剣の材料は金属だが、安価な金属は湿地の中で直ぐ錆びる。

 錆びない金属は王国でも高価な材料で、湿地では安価な金属もまた酷く高価な材料だ。

 湿地においては剣よりも戦棍の類が一般的だ。

 湿地において安価な材料である浮き枝の芯は鋭く加工した所で剣の様な運用に耐えられないが、内包する油分と高密度の繊維質が王国のどんな木材よりも重いと言う特質を形成する。

 そもそも教養の無い外枠の下っ端共は剣と呼ばれる武器事態を知らないだろう。


「きりきり歩け」


 ぎぎぎ。

 そんな事よりも今一番問題なのは、二つの正規集落が滅んだと言う事だろう。

 湿地の規律に従うならば、集落の消滅自体は別に大した事では無い。

 問題はそれを成したのが外枠ではなくて剣聖だと言う事だ。

 剣聖に率いられた二つの集落が、大挙して外枠を攻めた。

 死も厭わず、顔を潰されても怯まず、武器を取り落せば素手で、全滅するまで攻めたてた。

 その結果として私の仕事は終わり、私の命は危機に晒された。

 正直良く生き残れたと思うよ……。

 だが、正規集落が規律を破った事は面倒な話だ。

 集落同士での共闘行為は規律違反だからだ。

 偶然別々の集落から同じ依頼を受けた私。

 そんな存在が密偵として行動していたのは規律を守る為なのだ。

 そう言った意味では、私は密偵としての仕事を十全に果たせなかった、とも言える。

 まあ、私はたまたま偶然別々の集落から依頼を受けて行動していただけだし、別々の集落が私に同じ依頼を持ち掛けたのは偶然だから、私には何の責任もないのだけれども。


「斬り払えば問題あるまい」


 ぎぎぎ。

 下っ端共の悲鳴。

 ああ、意味不明な譫言を垂れ流していた下っ端達がイライヅへの不満を爆発させた様だ。


「通るだけだ。何の問題もあるまい?」


 ぎぎぎ。

 剣聖を旗頭に、外枠同士の壮絶な潰し合いが始まった。

 私は当然そこには加わらない。

 昨日の時点での総構成員人数は二百二十七人だったが、その数は常に変動する。

 今の時点での総構成員人数は正確には分からない。

 少なくとも七十人以下にまで減っている筈だが、イライヅに鈍器を振り下ろぎぎぎ刃を向けた連中は何割程度いるのだろうか?

「ぎぎぎ折れた――」

 何かを言いかけた下っ端が剣聖に斬り捨てられた。

「戦棍のぎぎぎ剣の錆びにしてやる!」

 飢えた下っ端が啖呵を斬る。


「切先は手前で避けろよ?」


 ぎぎぎ。

 剣聖に乾かぎぎぎ焚き付けられた下っ端共が雑な造りの住居に押し掛ける。

 どっちが勝とうが私には関係無い。

 どう転んでも外枠の規模は正規の集落程度まで減るだろう。

 私に依頼を持ち掛けた二つの集落は既に存在しないが、この情報を適当な集落に流せばそれで湿地の平穏が戻るだろう。

 その点では剣聖に感謝せねばなるまい。

 さながら腐肉から芽吹いたぎぎぎ恵みの雨の様だ。





★由々しき事態だ。

 アレの所在が補足出来ない。

 ミーム計測器はアレが未だ王国内に存在している可能性が高い事を示唆している。

 これまで確認されたアレの移動経路から、アレは我々が設置した誘導経路をある程度なぞっていた筈だ。

 最後に観測された痕跡はアンウェイ内だった。

 それは吉報だった。

 アレはジュダもエルダも抜けていなかったのだ。

 アンウェイとジュダの間には湿地が存在している。

 我々が作り上げた防衛線である湿地が存在しているのだ。

 意図的に作られた文化的断崖絶壁である湿地を、アレは避ける筈だ。

 だが、現時点で我々の設置した観測手段は全て異常が無い事を報告している。

 最悪を想定する必要があるのかも知れない。

 アレが湿地に侵入した。そんな最悪を想定しなければならないのかも知れない。

 アレに対抗文化が機能するのであれば、アレは文化的断崖絶壁を避ける。

 確かにそれは絶対的な事では無かった。

 しかし、高い確率でそうなると目された予測だったのだ。

 まだアレが湿地に侵入した痕跡は発見されていない。

 我々は文化的断崖絶壁を構築する為に湿地内部には観測手段を配置出来なかった。

 即ちそれはアレに侵入されていても我々はその事実を観測出来ないと言う事だ。

 今日、ジュダの湿地側に向けて幾つかの足を配備した。

 間に合えば良し。的外れであれば尚良し。杞憂であれば最良。

 更に言えばその可能性に気付けたと言うだけでも僥倖なのだろう。

 脅威干渉室はその役割を果たす。

 必ず果たす。

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