指揮官
☆「剣聖だあ?」
俺の声に伝令がびくりと震えた。
思わず威圧的な声で聞き返してしまったが、仕方が無いだろう。
「詰所からの伝令は何度聞き返しても剣聖の一団が来たと……」
俺は眉間に皺が寄るのを感じていた。
心なしか頭も痛い。
干殻側の最前線とも言えるこの街はナクニ王国の砦でもある。
身元の怪しい者に対する警戒は常に徹底されなければならないのだ。
「剣聖とその弟子十二人なあ?」
あんなものは絵本の中にしか存在しない人物だ。
ナクニ王国全土で最も読まれている絵本、剣聖物語。
数百年前に実在されたとされる剣聖なる人物を題材に描かれた物語だ。
そのせいか稀に剣聖を名乗る人物は現れる。が、大抵は目立ちたがり屋か詐欺師の類だ。
「弟子と名乗る十二人は干殻国正規軍の甲冑を装備しておりましたので、門外で勾留しておりますが、その、剣聖とやらは違った恰好だった様で」
伝令の言葉は歯切れが悪い。
「既に門を通したって事か? その門番はこの街の意味を理解してない様だな」
「……申し訳もありません」
溜息を呑み込んで、今後の事を考える。
起きてしまった事をくよくよと考えない。そうでなければ最前線では生きていけないと言うのが師の教えだ。
その師は最前線で死んでしまった訳で、そうなるとその教えが正しかったのか疑問も残るのだが。
それでもその師は軍人としては長生きした方だったな。
「……剣聖を街から出すなと、全ての門番に伝えろ。理由は一切伝えず、指示だけを伝えろ」
その剣聖とやらが弁の立つ者であったとしても、これで街からは出にくくなる。
最悪の最悪出て行った場合はそれを理由に何かしら手を打てるだろう。
「弟子に関しては牢に入れて置け」
剣聖の正体が判明次第全員殺せばいい。
高い確率で干殻の間諜が混ざっているか、場合によっては全員だろう。
そう仮定した上で目立つ形で街に入ろうとした理由を幾つか推測するのならば……。
「その弟子とやらの人数と人相はしっかり管理しておけ。別人と入れ替わる可能性も考慮しろ」
自称剣聖を入れてしまった一件を聞けば、他の門番達は否が応でも警戒するだろうから別途の指示は必要ない。
剣聖一行以外の不穏分子が街の中に居ようが外に居ようが、現状で打てる対策はこの程度か。
「……当面は以上だ。復唱」
「門の警戒強化及び警戒対象の投獄ですね」
……大凡合っているからいいか。
「その通りだ。速く伝えて来い」
俺が手で追い遣ると、伝令は一度敬礼してから部屋を出て行った。
「嫌な感じだ」
俺は机の上に散らばる密書へと視線を投げる。
本来はこの様に乱雑に放置していい代物では無いのだが、俺はどうにもそれらの密書を丁重に扱う気にはならなかった。
それは複数の相手から同時期に寄せられた密書だ。
一つは王国まじない対策室からの通達。
曰く、国境付近に知覚攻撃を行う不穏分子が潜伏している事が危惧される。
一つは軍部からの指示書。
曰く、干殻に潜伏中の間諜より、王国に向けた軍事行為の兆候が見られるとの報告有。
一つは星詠からの預言書。
曰く、防備を固めよ。味方を信じよ。指揮を取れ。
一つは――これに関しては密書ではないのだが――旧友からの私信。
世間話の中に共に昨今王都で散見される剣聖詐欺に関する話題。
これら全ては全くばらばらで、関連性の無い相手から齎された物である。
そしてどれも普段から情報の遣り取りが存在する相手なのだ。
一つ一つは何等不自然では無い事象で、その全てが同時期に俺の元へ寄せられたというのは偶然だと言ってしまえばそれまでの様に思える。
しかし俺には、これは何か得体の知れない力が働いているとしか思えないのだ。
何故ならそれら全てが一つの結論へと収斂しているからだ。
王国まじない対策室は知覚攻撃に対する防護措置として、軍部は武力衝突に対する保険的な備えとして、星詠は神託として、旧友は詐欺への対策として、皆一様に俺に対して同じ行動を要求しているのだ。
全ての文章が同じ結論へと収斂している。
曰く、なるべく外出を控え未知の相手との面会は極力避けよと。
奇妙だ。しかし、少なくとも軍部からの指示書は無視する事も出来ない。
平民の出である俺には軍部に抗う術はないのだから。
そして奇妙な事柄はそれだけではない。
干殻側の最前線とも言えるこの街には外からも内からも間諜の類が多くやって来る。
無論外からの間諜は見付け次第始末するのだが、内からの間諜に対してはある程度知らぬ振りを決め込むしかない。
それらの内部からの間諜が同時期に大量に流れ込んで来た。
あまりの多さに全ての間諜の動きを把握出来ないでいる程だ。
何かがある。何かが起ころうとしている。或いは既に起こってしまっている。
嫌な感じだ。
俺は気持ちを落ち着けようと瞑目した。
その瞬間、遠くから轟音が聞こえた。
「何事だ?」
思わず呟いて、俺は立ち上がると窓の外を見る。
遠くから怒声が聞こえた。
何かが、起きた。
俺は前線指揮官だ。伝令が来るまでここを離れる訳にはいかない。
もどかしい。一兵卒と違い感情と状況だけで動けない俺自身がもどかしい。
伝令はまだ来ない。
状況も把握せずに報告等出来ないのだから当たり前だが、まだ来ない。
そして状況は悪化する。
ガンガンと、警鐘が鳴った。
「敵襲……」
ここに来て俺の頭は冷え切った。
この鐘は敵襲を知らせる鐘だ。
大丈夫だ。ガンガンと単音で掻き鳴らされるこの警鐘は少なくとも城壁の外に脅威が存在している事を示す。
一次対応は各門に詰める兵が独自の判断で行うだろう。
非番の者を含む街の中に居る兵は各自装備を整えて俺の指示を待つだろう。
伝令が必要だ。状況を把握し、指示を伝える為に伝令が。
「報告します!」
扉を蹴破る様にして伝令が転がり込んで来た。先程剣聖に関する事柄を伝えに来た伝令だ。
剣聖とその弟子に対する対応を伝えたその足で、敵襲を伝える為に引き返して来たのだろうか。
予想より早くやってきた伝令は、予想外の事柄を伝える。
「剣聖の弟子が脱走しました!」
何だと!?
「何っ!?」
街の中に、敵が放たれたと言う事か? それはまずい。
「弟子はっ! 詰所の兵を斬り殺して街の外へ出たと!」
外? どう言う事だ?
「この警鐘はそれに対する物か?」
「それに関しては不明です!」
……冷え切った筈の頭が熱を帯びてくる。
何だ? 何が起きていると言うのだ?
「伝令です!」
混乱に拍車を掛ける様に、別の伝令が部屋へと駆け込んで来て、俺に情報を齎す。
「長足の群体が殻土方面から大森林を喰いながらイルグズフへ向けて進行中! 対害獣防衛規定に従い――」
情報の波に呑み込まれ、俺の思考が一瞬停止した。
★ロザリオの黒化から半日が経過し、脅威干渉室も活発に暗躍している。
我々は何としてもアレの再来を耐え切らなければならない。
ミーム観測機が示すアレの現在地はミルヘルム周辺。
場合によってはもうミルヘルムの壁内に侵入しているだろう。
我々の多くがその事態を想定して動いている節がある。
ミルヘルムに入った脅威干渉室関係と推測される間諜は十人程。
我々の欠点はその行動が重複してしまう事にあるが、アレに対する策は十重二十重に存在している位が丁度いいのだろう。
だから私も思い切った策を展開した。
私の配置した足がアレの存在を検知したのならば、ミルヘルムは長虫に喰い尽くされるだろう。
ミルヘルムは干殻に対する砦だが、アレの脅威と比較すれば干殻の危険性が増す程度誤差の範疇でしかない。
足達は何も知らない。
アレを検知する役目の足はアレに汚染された瞬間その役目を終え自害するだろう。
その足が死んだ事を知った別の足は王都の端にある空家にそれを報告するだろう。
その報告を阻止した足は森林に潜伏する足にそれを伝えるだろう。
森林に潜伏する足は支給された狼煙を上げるだろう。それが長虫を呼び寄せるとも知らずに。
長虫の群体がアレを抑え込めるのならそれで好し。
無理ならば、二の手を打つまで。
否、ひょっとしたら既に二の手は打たれているのかも知れないし、私の策が二の手かも知れない。