第二王子
★八年程前から第二王子の動向には警戒を要する奇妙な点があった。
個別で見れば奇妙な点は無い。
しかし結果として我々の活動した場所周辺に第二王子の近衛兵が派兵されているのだ。
これまでそれら全ては我々の痕跡を追う形であった。
警戒を要するとは言え、対策を要する程奇妙な点ではない。
往々にして我々の活動は王国の急所と成り得る場所を補う形となるのだから。
しかし今回行われた派兵は、これまでとは異なる点が二つあるのだ。
一つは第二王子自身が動いた点。
表向きは交友のあったヘクタル男爵家の三男と同調してとの事だ。
もう一つはその行動が我々の動きより先であった点。
この点を鑑みる限り、逆に警戒する必要は低いと言う考え方も出来る。
しかしその場所が問題なのだ。
よりにもよって現在アレが潜伏している可能性が浮上している湿地である。
そしてもう一つ、気になった点がある。
ヘクタル男爵家の三男が湿地を保護する活動を行っている点だ。
当初私はそれが我々の誰かが文化的断崖絶壁を維持する為に行った情報操作の結果だと考えていた。
だが、少しばかり妙なのだ。
我々は軍部を始めとした多岐に渡る執行機構にその根を張り巡らせている。
だが、貴族の三男を傀儡とする程その根は深かったのであろうか?
貴族と言う肩書に護られながらも、その肩書きに縛られる理由に乏しい男爵家の三男。
そういった対象に特化した根を持つ我々が居ると言う可能性も無くは無いが、そうだと仮定すると不自然な点があるのだ。
過去に類似した経路で情報操作を行っている事例を、少なくとも私は知らない。
漠然としたものでしかないが、私はそれがどうしても気にかかる。
☆焦げ臭い室内で、私の近衛兵が誇らしげに佇む。
私の近衛兵達は粛々と任務を遂行した。
死者無し。負傷者無し。
まだ他の場所から報告は届いていないが、大きな問題が発生したとは思えない。
「見事、と言わざるを得ませんね」
縛られ転がされた女がそう言った。
すかさず近衛兵が腹へと蹴りを入れる。
女は吐瀉物を吹き出して悶絶した。
「再度問います。貴女が所属する組織について」
王国に巣食う存在に気が付いたのは十年程前の事だ。
その組織が何を目的としているのかは分からなかったが、強大な影響力を持っている事だけが確かな結果として示されていた。
軍部が、貴族が、商会が、互助会が、時折完全に足並みを揃える瞬間があるのだ。
偶然意向が一致した、と思う程私は愚かでは無かった。
何か、何かとしか言いようが無い存在が、王国全体の意思に干渉し誘導ている。
その事について軽く調べた時点で、私はその闇が想像以上に深い事に衝撃を受けた。
まじない対策室、数信寮、執法院、果てには星詠に至るまで、その何かは浸食していた。
絶望した時もあった。何度も諦めようと思った。
だが、今私はその何かを滅ぼさんとしている。
「殿下、駄目です。記録の類いは全て焼かれています」
室内を改めていた近衛兵が私に耳打ちをして来た。
残念ではあるが、想定内だ。
「話す気は無い様だな」
無言。
女の顔には怯えも恐怖も焦りも無い。
しかし一方で余裕も優越も嘲りも無い。
そして諦めてもいない。
だからこそ喋る気も無い。
「首を刎ねろ」
だから私はそう指示した。
それを聞いた女の表情は変わらなかった。
そこに過剰な感情は無い。
まだ殺される訳が無いと高を括っている訳でも無く、助かろうと足掻く訳でも無いのだ。
近衛兵の剣が振り上げられても、勢い良く振り下ろされても、その表情は変わらなかった。
刃が首の骨に引っ掛かって止まった瞬間こそ痛そうに顔を顰めたが、ただそれだけ。
鮮血が噴き出し、勢いを無くし、静かに流れ出て、呆気なく、しかし潔く、女は死んだ。
「殿下、よろしかったのですか? 何も聞き出さずに殺してしまって」
返り血を浴びた近衛兵が私にそう問うた。
私は構わないとだけ言葉を返す。
私が調べた限り、その組織はそういった物だからだ。
横の繋がりは皆無に等しく、個々が勝手に活動する。
時折情報操作が露見した間抜けがその報いを受ける事もあるが、その時は粛々と罰を受け入れ潔く命さえ差し出す。
高度に設計された規律と、徹底的な忠誠心。加えて目的の流出を極端に嫌うのが組織の特徴だ。
だから私は攻め方を変えた。
目的から組織の全容を調べようとするから、上手く行かないのだ。
ならば、目的の解明等捨て置けばよい。
ただただ組織の壊滅を目指すべきだったのだと、そう気付くまでに二年の時間を無駄にしてしまった。
そこから八年掛けて、私は組織の構成要素を徹底的に拾い上げた。
一人として見逃すまいと調べ上げ、拾い上げたのだ。
組織が関与していると思しき同調現象を見つけ出しては、その誘導元を辿った。
しかし、同調現象を誘導する企みはその全てが上手く事を運べる訳では無い。
その様な実を結ばなかった企みを拾い上げるのは不可能に近い。
だが、多数の同調現象を丹念に調べ、誘導元を割り出して行く。
十分だと確信に至るまでに五年。
そこから更に待つ事三年。
契機は訪れた。
ミルヘルムに流入した大量の工作員。
駐ミルヘルム前線指揮官に対する多数の干渉。
それらはこれまでに無い規模の誘導工作だった。
私は慎重に近衛兵を動かした。
組織に勘付かれても後手に回っていると判断されるよう慎重に、しかし確実に組織を包囲殲滅出来る様計画的に。
イルグズフでの一件にこそ虚を突かれたが、それでも私は湿地周辺に結集しつつある組織の構成員を纏めて叩くに至ったのだ。
そして恐らく、それは成功した。
迂遠な手段を取らざるを得ない組織と直接的な権限を持つ第二王子。正面からぶつかればどちらが有利かは火を見るより明らかなのだ。
「後はイジャイの帰還を待つだけだ」
ヘクタル男爵家の三男、イジャイは私と同じく組織の存在に気付いた同志だ。
今回イジャイには剣聖を自称する何者かの抹殺に向けて動いて貰っている。
表向きには湿地の環境保全活動に傾倒しているイジャイは、湿地内での活動には適任だった。
先手を打って動けた事といい、組織の末端を装う工作が意外な所で役に立った。
直接組織を討たせる事が出来なかった点で、イジャイには申し訳なく思う。
イジャイには剣聖を自称する何者かを抹殺すべく私兵に偽装した近衛兵と共に湿地に入って貰った。
剣聖を自称する誰かに関して確かな情報は殆ど得られなかったが、組織に敵対している存在である事は間違いない。
何故なら、組織はその自称剣聖を形振り構わず潰しに掛かっていたからだ。
そして収集した情報から推測する限り、剣聖を自称するその人物は高確率で干殻からの工作員だろう。
国境から干殻正規軍の甲冑を纏った弟子を引き連れて現れ、防衛の要であるミルヘルムを巧みに躱し、組織すら対応出来ない程鮮やかにイルグズを壊滅させ、アンウェイで一時拘束されるも逃げ延び、王国であって王国では無い湿地へと逃げ込む。
ここまで材料が揃うのであれば、それは確証となる。
自称剣聖はある意味で組織壊滅に寄与した功労者だが、王国に害意を持つ人物を生かしておく理由は無い。
「殿下」
呼ばれて振り向くと、一人の近衛兵が部屋の入口で最敬礼をしていた。
「イジャイ殿と、剣聖が参られました」
……? イジャイと、剣聖が?
抹殺する手筈であったが、何か問題でも発生したのか?
或いは自称剣聖が重要な情報でも持っているのか?
まあ良い。あのイジャイが直接会わせると判断したのであれば、何か理由はあるのだろう。
「通せ」
私が許可すると、入口で最敬礼をしていた近衛兵が二歩退いた。
そこに一見人畜無害な惚けた容貌のイジャイと、一人のおぎぎぎ剣聖でした。
絵本から飛び出て来たかの様な、紛れも無く剣聖。
赤く染められた革鎧と光を反射しない金属製の小手。
帯びた剣は二振り。長い一振りはその右手に握られ、短い一振りは腰元で鞘に納まっている。
その表情は投げ遣りな笑み。感情はまるで読めない。
「ぎぎぎ剣聖……」
近衛兵の誰かが息を呑んだ。
剣聖は張り詰めた空気の中、悠然と口を歪めて――
「この瞬間を待っていた」
――何の気負いも無く私にそう持ち掛けた。




