⑤
魔獣術師は術具の相性が良くなければ、魔術を発動する事が出来ない。それは教本の最初のページに書かれているぐらい有名で、そして重要な事だった。その一方で、魔獣術が確立されてからも長い間、その具体的な理屈については謎のままだった。
ところが遥か昔に、一つの仮説を立てた魔術師が居た。その魔術師が立てた仮説とは、より魔獣に近い者ほど術具に対して高い親和性を示すというもの。術具から魔獣の力を体内に取り込んだ時、術者が魔獣に近いほど魔獣の力は体に馴染み、逆に人間に近い者ほど魔獣の力は反発し合うという事だった。
もっともその程度の仮説など、珍しくもなんともない。当時から似たような仮説はいくつもあり、また一定数の支持者が居た為だ。
理由としては、亜人の存在が挙げられる。人類との生存争いに敗れた亜人たちはその数を大きく減らし、その中でも魔獣術師となる者はほんの僅かしか居なかったが、その全員が例外なく、何種もの術具を使いこなしていた為だ。また純血種程ではないにしろ、人との相の子――所謂ハーフの者たちも、数多くの術具を自在に使いこなせていた。
それ故にその仮説は決して無視できない数の者たちに支持されていた。その裏には、亜人はより魔獣に近しい悪しき存在であるという差別意識が介在していたという事情もある。
ともあれ、その魔術師が他の者たちと違ったのは、それを証明しようとした事だった。それも神をも恐れぬ手段でもって。
より魔獣に近いほど高度に魔獣術を行使できる。その仮定の上でその魔術師が実行したのは、人を魔獣に人為的に近付けるという試み。即ち、人と魔獣の融和。
しかし融和とは聞こえこそ良いが、その実態は人に対する、魔獣の部位の一方的な移植行為だった。
当然そんな行為が成功する筈もなく、被検体とされた者たちは次々と苦痛の果てに死んでいった。
しかしたちの悪いことに、その魔術師は極めて優秀な部類に入る者だった。失敗により被検体を死なせたとしても、その都度問題点を洗い出しては改善し、確実に成果を上げていった。
そしておよそ十年もの歳月を掛けて、短期間ながらも移植された被験者の安定状態での生存を成し遂げたところで、懲罰魔術師にその行いを知られる事となった。
結果としてその魔術師は骨の欠片も残さず粛正される事となり、その研究成果も協会に回収されて封印され、二度と人の目に触れられる事は無い筈だった。
ところが長い年月が過ぎた後に、その研究に目を付けた魔術師が居た。
その魔術師は協会の中でも、封じられた情報に触れられる程の権限を持った人物であり、またその権限に恥じぬ能力を兼ね備えた人物でもあった。
その魔術師はその封じられた研究成果に目を通し、それに強い興味を持ち、自分の手で完成させようと考えた。そして同時に、かつて行われたものとは別の手法を用いようとした。
彼が目を付けたのは、既に完成されていた、被験者を安定状態で短期間ながらも生存させられるというもの。魔獣術師として運用するのならば長期の安定状態を維持しなければならないが、彼は何もその被験者自体を魔獣術師として運用する必要は無いと考えた。即ち必要なのはその特性であり、その被験者ではないのだと。
着想を得てからの行動は早く、彼は自信の持てる権限の全てを使い、それまで協会が接収してきた禁忌事項の情報を集め、次に必要な検体を掻き集めた。
魔獣だけに限っても数百は下らない種の、それも雌性体のみを集め、それらを厳選した極めて優秀な女性の魔獣術師と全て融合させたのだ。
数百体もの生命体を一つに纏めた、見るも醜悪な肉塊と形容する他ない物体に、本来ならば自発的に行動する事はおろか生存する能力さえも宿っていない。しかしかつて生み出された外法によって、無理やり安定状態に置かれたそれは、魔術師の求めた唯一の役割を果たすのには十分過ぎた。
つまりは、その特性を次代に引き継ぐ為の母胎としての役割を。
「そうして生まれたのが……」
「ああ、シャオの奴だ」
数百以上にも及ぶ魔獣の魔力の性質を引き継いだ、人の形を持つ者として生み出されたのが、シャネオリアであるとディゼリアは肯定した。
「その成果がどんなものだったかは、知っての通りだ」
魔獣術を使わずとも発揮される、人間の範疇を超えた身体能力。数多の魔獣の性質を引き継いでいるが故の、魔獣術の使用における術具に対する異常な親和性の高さ。そしてそれらが合わさる事によって生み出される、一級魔術師をも上回る実力。
そのどれもが、仮に倫理観に目を瞑り、彼女のような存在が量産されていたとするならば、人類の現状は大きく変わっていたであろうと確信できるほどだった。
「ただ、現実として存在する検体はシャオの奴だけだ。単純に成功率が低く、シャオ以外に成功した検体が居ないっていうのもある。だがそれ以上に事が公になるのを恐れた、どえらく怒り狂った上層部のクソ共にそいつがぶち殺されたからな」
「そして彼女は保護され、協会に属する魔術師となったと」
「経緯を端折って言えば、そういう事になるな」
実際のところ、シャネオリアの扱いについてはかなり紛糾した。
協会にとってあってはならない事態を完全に隠滅するのに、そして後続の違反者を出さない為にも、シャネオリアも抹殺するのが正しいという意見が大多数を占めていた。
「それに、成功した検体が持ったのは、長所ばかりじゃない。その長所の代償として、欠点も持ち合わせる羽目になった」
「シャネオリア殿の殺戮衝動の事か」
エゼロスの回答に、顎を引いて肯定する。
それに加えて、シャネオリアの持つ殺戮衝動もまた、それに拍車を掛けていた。
彼女の持つ殺戮衝動は、彼女が人と魔獣の合いの子であるが故のもの。
「人間に限らず、生物は自分と違うものを排除しようっていう本能を持っている。お前ら懲罰魔術師なんかも、その例に当て嵌まる」
「皮肉は結構なので、本題を」
意味あり気の揶揄も意に介さず、淡々と先を促す。目論見を外した形となるディゼリオは不満な表情で、先を続ける。
「ただし排除される側から見てみれば、排除する側もまた自分とは違うものである事に変わりはない。にも関わらず、排除する側とされる側に分かれるのは、単純に力の関係によるものだ。強ければ自分と違う弱いものを排除でき、弱ければ抗えず排除される」
かつてあった亜人の迫害も、それと同じ理屈だった。個々の力は強くとも、所詮は少数派でしかなかった為により大多数派の人間に総合力で劣り、排除される立場に置かれる事となった。
そして史実として種族を越えた団結こそ行われているものの、未だに偏見や迫害の思想は根強く残っている。
「だがシャオの奴は少数派ではあるが、断じて弱者ではない」
「それ故に本来ならば排除される側に回るところを、排除する側に立ってしまい、本能的に自分と違う存在である人や魔獣を殺さずにはいられなくなってしまった。それが彼女の殺戮衝動の根源であると」
「まあ、大体そんな感じだな」
何故か全面的な肯定ではなく、あえて濁したような返答をする。エゼロスがその返答の意味を問い質そうとする前に、ディゼリオは言葉を重ねてそれを遮る。
「シャオの奴は人でも魔獣でもない、どっちつかずであり、どっちにもなれない存在。だからこそそういう存在として、人も魔獣も殺さずにはいられない。そこに本人の意思など介在する余地がない。そうする事でしか、自己を保てないと本能が理解しているからだ」
「……しかし、だからと言ってそれが許される訳ではない」
小さくない衝撃に襲われながらも、エゼロスの口から零れ落ちたのは否定の言葉。懲罰魔術師として、生涯を規律から逸脱する者を罰し、歪みを正す事に捧げると誓った者の立場から来るもの。
知らなかった事情を聞いたところで、本質を見失うものかと自分に言い聞かせるかのような言葉に、ディゼリオは苦笑する。
「そこは普通、情にほだされる場面だろうが」
「ならば彼女に殺された者の縁者に、同じ事を言ってみては如何か? やむ得ない事情があったのだから、知り合いが殺されたのは仕方の無い事だったと」
「まあ、その通りなんだがよ……」
(そこで納得してくれりゃ、手間が掛からなくて楽だってのに、石頭野郎め……)
苦笑を浮かべながらも、内心では自分勝手としか言いようのない理屈で愚痴りながら言葉を重ねる。
「ただ、知っておいて欲しかっただけだ。そしてその上で、考えて貰いたい事がある」
「今回の命が、果たして本当にシャネオリア殿の存在を憂いての事か、と言ったところか?」
即座に答えを返すエゼロスを、さすがに頭が回るなと再評価し、首肯する。
「いずれ無関係の者たちに牙を剥くかもしれない……それを憂うのは当然の事だが、それを建前としたかつての醜聞の揉み消しを図ったのだとしたら、それはお前らの大義に沿うものか?」
例えどのような事情があろうとも、シャネオリアのかつての所業が帳消しになる訳でもなければ、それに対する懲罰魔術師たちの方針が覆る訳でもない。ただしそれは、前提が覆らない限りの話である。
懲罰魔術師たちはその性質故に、協会から決して小さくない独自権限を与えられている。受けた命令に対する拒否権もまた、そのうちの一つである。
与えられた任務は如何なる手段を用いてでも遂行するというのが、懲罰魔術師に共通した暗黙の意思であるが、その前提となる任務が正道から逸脱していてはならず、またそのような行為に加担してはならない。そんな思想を持った懲罰魔術師は決して少なくない。そんな者たちの為に与えられた権限である。
そこに知らなかったなどという言い訳が介在する余地は無く、少しでも任務に疑わしい要素があれば即座に権限が発動される。そしてエゼロスとその部下たちもまた、そういった主張に属する者たちであった。
「仮の話ではあるが、もし本当にそのような意図があったのだとすれば、それはあってはならない事だろう。だがその真偽を今この場で判断する事は不可能だ」
「それで十分だ」
エゼロスのできる限りの譲歩を引き出せた事で満足そうに頷き、以後は口を開かず、眼下の戦いに見入る。
オドロスの生き血を取り込み、爆発的な身体能力の向上と、強力な代謝能力を手にしたシャネオリアは、圧倒的な勢いでオドロスを追い込んで行っていた。
オドロスも獣ならではの動きで翻弄しようとするが、シャネオリアの速度はそれを更に上回っている。加えて膂力でも上を行かれており、既に頭を失っている為に死角となる体の左側面に回られては、強烈な攻撃をその身に受けるという形の連続だった。
もっともオドロスも、ただやられてばかりではない。残る頭部は猛火を吐きつけ退路を塞ぎ、魔術を展開してシャネオリアを撃ち殺そうとする。だが魔術の全ては彼女の影の尾を叩くに留まり、牙や爪は空を切るばかりだった。
そうしている間にも拳や蹴りによって牙が打ち砕かれ、爪が引き抜かれ、武器を失っていく。その劣勢は四肢の骨を折られた時により顕著となり、更に腹腔に貫き手を突き入れられて穴を開けられ、残っていたもう片方の目も潰され、舌を引き千切られたところでその動きが止まり地面に倒れ伏す。
それでもまだ生きており、その生命量の強さは災害指定種と呼ばれるに相応しいものだったが、もはや放っておいても何もできずに死ぬであろう事は容易に想像できた。
だがあくまで規則に沿う為に、最期はシャネオリアの手でトドメを刺さねばならない。それを理解している為、彼女はその場から一端離れ、彼女の数倍はあろうかという巨大な岩を持ち上げ頭上に掲げて戻って来る。
「これで終わりだ」
淡々とした口調で、まるで簡単な一仕事を終えたと言わんばかりに岩を振り落として魔獣の頭部を押し潰す。
標的は完全に沈黙し、その命が尽きたのは誰の目にも明らかだった。そしてそれは、シャネオリアが今まで犯したとされる規則違反の一切合財が無効となった事を示していた。
「……おめでとう、と言わせて頂こう」
激闘を終えて、死んだオドロスの解体を懲罰魔術師たちが完了しその素材を協会へ持ち帰る準備をする頃になり、シャネオリアの元にエゼロスが歩み寄る。
「皮肉か?」
「違う」
本心からの言葉と拍手を疑われ、若干傷ついた表情を浮かべる。
「……協会規則十三条に則り、今までの貴女の行いについては無効とされた。しかしそれは、今後の違反行為に対して適用されるものではない。それを努々忘れぬよう」
「分かってる」
シャネオリアにとっては真摯に受け止め答えたつもりだったが、残念ながらその表情故にエゼロスには適当に答えたようにしか思われず、微かに顔を顰められる。
しかしそれも一瞬の事で、わざわざそれを咎めて折角無事を勝ち取った相手に水を差す事をよしとせず、代わりに話の相手をディゼリオに変更する。
「先程伺った事については、協会に戻り次第精査させて頂く」
「……それで思い出した。お前に今回の命令を下した相手は誰だ?」
ディゼリオの質問に、さすがに即答という訳にはいかず、しばし黙考する。やがて答えても問題ないと自分の中で答えを出して口を開く。
「レジナルド殿だ」
「なっ……」
エゼロスが告げたのは、ディゼリオも知っている名前だった。というよりも、知らない魔術師の方が少ないと言える。何せ理事会のメンバーの一人、即ち協会の最高権力者であるからだ。
「そういう事か、こんちくしょう……!」
同時に先程抱いた違和感の理由にも理解する。
いくら正論であったとしても、彼らの背後には協会理事の一人が後ろ盾としてついている。その者が自分の有力な手駒であるシャネオリアを抹殺しようという動きに対して、黙認する等という事があるだろうか。
答えは否であり、同時に気付かなかったという事もあり得ない。となれば答えは一つしかない。
「全部仕組まれてたな」
「ああ……」
彼らがそう判断したのは簡単で、挙げられたレジナルドという理事は表向きはシャネオリアの存在に対して反対の意思を見せているが、その裏では彼らの後ろ盾である理事と協力関係にあるという事を知っているからだった。
「災害指定種をただ働きで討伐か……」
ディゼリオが遠い目となる。
通常ならば多大な犠牲を払った上でようやく討伐できる災害指定種を、結果的にシャネオリアの襲撃の際に僅かな死者を出したのみで、直接的死者は皆無で且つ殆ど経費も掛からずに討伐できた事が、どれほどの利益を齎すかは考えるまでも無い。
更に今回の事で、今後シャネオリアを排除しようと策謀を巡らせる者たちは二の足を踏まざる得なくなる。例え全盛期よりも弱体化しているとはいえ、災害指定個体を術具も無しに討伐する相手に打てる手など限られて来る。牽制というには強烈過ぎる一撃だった。
ディゼリオが協会規則十三条を提案する事はエゼロスの掌の上の事だと思っていたが、それ以前に、彼らの後ろ盾である人物の掌の上だったのだ。
そんな相手の掌の上で踊る羽目となった彼の心情は、推して知るべきだろう。シャネオリアにちょっかいを出される機械が減るのは喜ばしい事だが、それ以上に問題な点があったのだ。
「シャオ、今すぐ向こうに戻るぞ。文句と抗議の一つでもしないと……」
「…………」
反転した時に腰から加工用の術具のナイフが落下し、地面に転がる。それをエゼロスが目にする。
「ディゼリオ四級魔導術師殿。このナイフは、あくまで協会が三級の魔術具錬成師でもある貴殿に貸与している筈のものだったが」
「…………」
貸与を強調して詰問口調で迫るエゼロスに、ディゼリオは答えられない。それ以前に振り向いて、相手の顔を見る事もできない。
「一体何故破損しているのか、詳しい説明を――」
「シャオ、逃げるぞ!」
「跳竜の弾骨」
指示が飛んだかと思うと、ディゼリオを抱え、シャネオリアは回収した術具で魔獣術を発動。驚異的な跳躍力でその場から離脱を始める。
その逃走の潔さたるや、歴戦の懲罰魔術師たちを唖然とさせて見送らせるほどのものだった。
「……総員、ディゼリオ殿を追跡、捕縛しろ。本来ならば命を奪うような罪状ではないが、彼は不死身だ。捕らえるのに必要であれば殺しても構わん。その代わりシャネオリア殿には手を出さないように」
『はっ!』
いち早く我に返ったエゼロスが、部下たちに命じる。命令を受けた事で順次意識を取り戻した懲罰魔術師立ちも、各々の手段で一斉にディゼリオの追跡を始める。
「まったく。まるで変わらないな、あの方は……」
呆れたような、だが懐かしさに浸っていると分かる声音で独白する。
人によって何が嫌かというのは違うだろう。だが大抵の者にとって、死が嫌なものであるのは間違いないだろう。稀に死んでも嫌だと比喩表現で使う者が居るが、本気でそう言っているものなど殆ど居ない。
だが不死身のディゼリオにとって、死ぬ事が嫌な事であるのには変わりはないが、一番嫌という訳ではない。不死身の彼であるからこそ、死んでも嫌だと胸を張って言える事が一つだけあった。
「相変わらず無償労働が嫌いなようだ」
解体用術具のナイフの弁償額は凄まじいが、それを支払う能力はディゼリオにはない。となれば弁償のために、協会が報酬を全て徴収した上で仕事をこなす必要がある。
逆を言えば、それを行えば協会からはお咎め無しで済むのだ。しかしディゼリオはそのような行為を、頭のおかしい狂人の所業と公言して憚らない。
ディゼリオは報酬の全く発生しない労働……即ちボランティアが、死ぬ以上に嫌いだった。