②
かつて人類は、栄光を手にしていた。
亜人を筆頭とした異種族との生存争いに勝利し、地上最大の勢力を築いた。いくつもの国家が乱立し、未開の地を次々と開拓して行き、順調に生息圏を広げ、爆発的に人口を増加させて行った。
識者たちの誰もが口を揃えて言う。まさしくその時こそが、有史以来の絶頂期だったと。
そしてもはや後顧の憂いは無いと、人の国同士で真の覇者を決めるべく、日夜争う毎日だった。
そんな日々も、新たな外敵の出現によって、唐突に終わりを告げる。そしてタチの悪い事に、その新手は、それまで人類が争って来た異種族たちとは一線を画していた。
魔獣と名付けられたそれは、保有魔力という観点において、人族よりも優れていた亜人種のさらに数十倍もの魔力を持ち、強靭な肉体と生命力を持っていた。その二つの要素の前には、鉄の武具など然したる意味を持たず、人間の矮小な持った魔力によって発動される魔法などでは、大した効果など上げる事は叶わなかった。
さらには、人類が異種族に勝った最大の要因である、数という観点で見ても、人類と同等か、それ以上の繁殖力を誇っていた。
何より外見が一定でなく、実に多種多様な姿形を持っており、それに合わせて多彩な特性を持ち合わせていた。それ故に根本的な対処法というものが確立できず、精々が何種類かの特定種に対して有効な戦術を生み出すに終わる程度だった。
無論それだけに留まらず、様々な対抗策が講じられていった。人族が徐々に劣勢になって行くに連れて、それは手段を選ばなくなって行き、中には常人ならば目を背けたくなるようなものも幾つもあった。
その中でも特に、人族に虐げられる側に回った、亜人族たちとの和解と共同戦線の成立など、当時の格差を知る者にとっては、人類史上最大の奇跡とまで言われる程のものだった。
しかしそれら全てが、焼け石に水に過ぎなかった。一説によれば人類は魔獣出現前と比較して、末期には領土が十七分の一に、人口に至っては五十分の一にまで、その勢力を減少させられたとされている。
そのままのペースで進めば、どんなに長くとも十年以内に人類は絶滅するだろうと言われていたそんな時にようやく、別々の場所で二つの対抗手段が生み出された。
片や魔獣の部位を取り込む事で、魔獣の力をその身に宿す魔法。
もう片方は魔獣の部位に干渉することで、その力を外界に引き出す魔法。
全く別の場所に生み出されたのにも関わらず、魔獣の力を利用するという点で共通した二つの術は、前者は魔獣術と呼ばれ、後者は魔導術と呼ばれるようになり、それぞれの創始者が周囲へとその術を教え広めて行った事で、辛うじてだが人類は勢力を盛り返す事に成功した。
やがてそれらを扱う者をそれぞれ、魔獣術師と魔導術師と呼称する頃になって、両勢力が一同に会する事となった。
そして人の世において必ずと言って良いほど付いて回る筈の、利権を巡っての対立も、明日も見えぬほどに逼迫した状況下に置いては起こり得ず、どちらからともなく互いの手を取り合い、後に協会と呼ばれるようになる組織を結成。その日は人類の反撃の大きな転換期となり、組織が結成される際に用いられたとされる笛に因んで、暦を魔笛暦とするようになった。
そして現在は、魔笛暦の二百七十三年。当時よりも大分マシだとは言え、未だ人類は、劣勢の真っ只中にあった。
日の暮れた深い森の中で、明かりを供給する焚き火の傍らに、仰向けに転がる男の死体が一つ。
目を閉じ、両手を胸の上で組んでいる上に、目立った汚れも見当たらないその姿は、青ざめたその顔色さえ除けば、とてもではないが死んでいるようには見えない。しかし事実として、男の両手の下にある心臓の鼓動は止まっており、僅かな呼吸の音さえも聞こえて来ない。
そして奇妙な事に、その死体の頭を膝の上に乗せて、火に当たって暖を取る女――シャネオリアの姿があった。
側に彼女の相棒であるディゼリオの死体があるという、明らかな非日常に身を浸しているのにも関わらず、当の本人は両手で珈琲の入ったカップを持って寛ぎ、まるでそれが当たり前であるかのように泰然としていた。
変化が訪れたのは、それからさらに暫く経ってからの事だった。
ディゼリオの死体が微かに身動ぎをし、閉じられていた目蓋が震え始めたかと思うと、その青ざめた頬に急速に血色が戻って行く。
やがて目が開かれ、自分の置かれている状況を把握するかのように二、三度ほど瞬き、周囲に視線を巡らせる。
「起きたか」
死体が目を覚ますというあり得ない光景に対して、シャネオリアは一瞬だけ視線を向ける。
しかし本当に一瞬だけの事であり、表情に浮かぶ感情は皆無で、即座に視線を手に持つカップに戻す。
「起きたなら、早くどけ。重い」
「……勝手に乗せて置きながら、随分な言い草だ」
「寝違えたら大変だろう。だが、もうその心配をする必要は無い」
「ありがとよ……」
素っ気ない態度通りの冷たい対応と取るべきか、それとも言葉通りの彼女なりの優しさ故の行為なのか、相変わらずの無表情故に判断は難しかったが、礼儀として礼を口にする。
上体を起こし、まだ寝惚けているかのように頭を振る。目の奥の疼痛を堪えるかのように指で揉んだ後に、体を捻り音を鳴らし、念入りにほぐす。
「今回はかなり時間が掛かったな」
「初めて喰らった毒だからな。つか何気に、お前に毒殺されたのは初めてだ。一体どういう気紛れだ?」
「気紛れじゃない。ここに派遣される前、相手を苦しめずに殺せる毒だと聞き、行商人から買った」
そう言いながら外套の下から、禍々しい紫色の液体の入った小瓶を取り出す。
「なら騙されたな。体が碌に動かせなくなるだけで、凄まじく苦しむ羽目になった」
「そうか、それはすまなかった。以後気をつけよう」
本当に悪びれているのかも分からない表情で、淡々と述べながら小瓶を戻す。
「それで、初めて毒を混ぜてみた感想は?」
シャネオリアから新しい杯を受け取り、今度は何も混入されていないか疑うように匂いを嗅ぎ、安心したように口に含んでから改めて尋ねる。
「想像してたのとは違った。魔獣術で相手を毒で犯して殺すのとは違って、あまり殺したっていう実感が湧かない。ハッキリ言って、やった意味が無かった」
「つう事はあれか、俺は完全な死に損か」
「いや、死んではいないだろう」
「死んでんだよ。死んで復活してるだけで、別に不死身じゃねえ」
似ているが全然違うと、大事なことのように念押しする。
「つまり、もう一回殺す必要がある訳だ」
「……いや、別に今そうする必要は無い。ほんの少しばかり、そういう衝動が湧いて来るというだけで、まだ全然耐えられる」
「それこそ今更な遠慮だ。むしろ変に我慢して、報告時に爆発……なんて展開になる方がよっぽど悪い」
「そうか、なら……」
「待て」
再び外套の下に手を入れたところで、慌てたように制止する。
「なるべく術具は温存しておけ。ただでさえ、今回はとんでもない量を消費してるんだ。必要ないところで使うのは無意味だ」
「……それだと絞殺になるぞ?」
「仕方ねえだろ」
「そうか」
ならと、言うが早いかシャネオリアは動き出し、ディゼリオに掴み掛かる。
あまりにも唐突に動き出した為に、反射的にディゼリオは抵抗しようとしてしまうが、その抵抗などあってないようなもので、簡単に引き倒す事に成功し、続けてその上に跨り馬乗りとなる。
そして間髪入れずに首に両手を掛け、渾身の力で締め付け始める。
(相変わらず、何の躊躇いも、ねえのな……)
変なところで気を使うくせに、いざやるとなると一切躊躇わない事に対して、内心で苦々しく吐き出す。
あるいは、それこそが彼の相棒なりの気遣い方なのかもしれなかったが、それを判断する事は彼にはできなかった。
そんな事を考えている間にも、段々と彼の視界は暗くなって行き、耐え難い苦痛に襲われて行く。
活動に必要な酸素を脳に供給する事ができず、意志に反して酸素を手に入れようと脳が命令を下し、手足をばたつかせてもがこうとする。だがその動きも、シャネオリアの力によって完全に封殺される。
やがて手足に込められる力も弱まって行き、全身が弛緩し始める。視界は何の光も捉えていないにも関わらず、真っ赤に染まっており、頭は苦しいという事さえも考えられなくなって行った。
そしてディゼリオがそんな状態に陥っていても、シャネオリアは力を微塵も抜こうとはしていなかった。
シャネオリアは、有り体に言えば病気持ちだ。それも世界中を見渡しても、彼女ぐらいしか居ないだろうと言えるような、奇病とも表現できるものに罹患している。
あえて名前を付けるとするならば、殺戮衝動症候群。
人間魔獣を問わず、どちらでも構わないから殺したいという衝動が、昼夜はおろか本人が寝ていようが起きてようが関係無しに、無限に湧き上がって来る病だった。
その衝動は、本人の意思によってある程度は抑制可能だ。だが許容量を一度越えれば、もはや本人の意思など介在する余地は無く、その衝動が完全に発散されるまでひたすら破壊と殺戮を撒き散らす存在と化す。
公的記録には残っていないが、かつて彼女はその衝動を限界まで抑え込もうとして失敗した結果、街一つを廃墟に変えた事もあったという。
そんなシャネオリアは、まさしく歩く災害に等しい存在だったが、残念な事にその病を治療する事は不可能だった。
原因は分かっている。だがその原因は取り除く事のできない、言わば生来のものであり、どうする事も不可能なものであったからだ。
普通ならば、そんな危険極まりない存在など、真っ先に粛清してしまうのが組織として当然の対応と言えるだろう。
だが、そうされる事は無かった。それはひとえに、シャネオリアという戦力が非常に得難いものだったからだ。
協会が定める階級は、当人の実力と協会に対する貢献度、その二つの要素によって決定される。それ故に、どれほど本人に力があろうとも、規則や周囲の被害を慮らないような者は上には絶対に行く事はできなければ、協会に対して忠実でも、実力が伴わない者もまた同様である。
シャネオリアはこのうち、前者に区分される魔術師であり、二級という才ある者の中でも、選ばれたものしか踏み入ることを許されない階級ですら、彼女に対しては過小評価であった。
単純な実力だけで位置付けるならば、一級と同等かそれ以上。いずれは歴代でも数えるほどしか存在しなかった特級階級にまで上り詰めるだろうとまで言われるほどの力を有していた。
でなければ、ディゼリオという四級魔導術師が居た事を考慮しても、準災害指定個体のゴラエスを倒せたりはしない。
加えて彼女は、多種の魔獣由来の術具に対して、非常に高い親和性を示す体質でもあった。
ただ魔獣の力を引き出すだけの魔導術と違い、魔獣の力を取り込む魔獣術は、術者に対して並ならぬ負担を強いる。
どの魔獣の術具が、どの魔獣術師に合っているかは個人差がある。とある魔獣術師がたった一種の魔獣の術具しか取り込めないのに対して、別の魔獣術師は十種を超える魔獣の術具を取り込めるという極端な例すらある。
そして重要なのは、相性の悪い術具を無理して使用すると、使用者に対して重篤な副作用を引き起こすという点である。その為魔獣術師を目指す者は、自分の体に適合する魔獣の術具をまず探す必要があるが、シャネオリアの場合はその必要が殆ど無く、魔獣術用のであれば如何なる術具を用いたとしても確実に魔術を行使でき、また副作用を起こす事も一切無い。
魔獣術師は自分に合った術具が無ければ無能と化する為、戦力の維持が難しいという欠点を抱える中で、安定した戦力として数えられる事は非常に大きい。
それだけの力と稀少体質は、例え同族に対して牙を剥く危険性を孕んでいるのを差し引いたとしても、未だ劣勢下にある人類にとって非常に惜しいものだった。
特にシャネオリアのその衝動は、根治こそ不可能だが、少なくとも魔獣を殺し続ける限りにおいては、周囲に被害が及ぶ事は皆無なのだ。
とは言え、そう都合良く衝動を発散し続けられる訳でも無いというのもまた事実であり、そこで白羽の矢が立ったのが、ディゼリオだった。
何をされても、どんな目に遭っても絶対に蘇生するディゼリオは、シャネオリアとは別の理由で有名であり、その特性はシャネオリアと相性は抜群だった。
基本的には魔獣を討伐する事に従事させ、それでも足りない場合はディゼリオが殺される事で、周囲に被害が及ぶ事を未然に防ぐ。
そうした協会の考えは上手く行っており、二人が組み始めてからシャネオリアがその衝動による無差別な殺戮を行った事は一度もなく、彼女の存在は協会に属する者たちの大半に受け入れられるようになっていた。
「やっぱ絞め殺されるのは慣れないな……」
日が昇り、移動を再開した折に、ふと思い出したように首を撫でながらディゼリオがそう呟く。
「すまない……」
「いや嫌味じゃなくて、単に感想として言ってるだけだ。死ぬ事自体には慣れてるし、気にする必要はねえよ」
本人がそう述べるように、今まで数え切れない程の回数を死んでいる彼にとって、死は病に罹患する事よりも身近なものとなっていた。
特にシャネオリア曰く、同じ殺し方ばかりをしていると飽きる(衝動の発散度合いが悪くなる)為、できるだけ毎回違う殺され方をするようにしており、その為
彼女によってあらゆるバリエーションの殺され方をされており、彼は人類が経験し得る殺され方の殆どを体験していると言っても過言ではない。
「あくまで慣れるというだけで、苦痛を味わう事に変わりは無いだろう」
「そりゃそうだが……って」
シャネオリアの言う通り、慣れる事と苦しむ事は別であるのは事実な為肯定するが、直後に彼女がまるで落ち込むかのように微かに俯いたのを見て、慌ててフォローする。
「俺も納得した上で組んでるんだ。それにあくまで死んで蘇るだけで、俺自身に大した力はないからな、お前にも色々と助けられている。言わばお互い様だ。
そもそも絞殺を選ばざる得なかったのは、事前情報に誤りがあったせいだ。つまり悪いのは協会の連中と依頼主の村の連中であって、お前に非は無い。だから落ち込む必要はどこにも無い」
「……? 別に落ち込んでなんかいないが?」
「……そうかい」
表情が分かり難過ぎるんだよと、溜め息混じりに呟く。
「私の顔はそんなに分かり辛いか?」
「分かり辛いな」
「そうか……」
「そりゃ落ち込んでるのか?」
「少しな。これがその時の表情だ」
そう言って両手の指で顔を差してアピールするが、ディゼリオには……いや、他の誰であっても、普段のそれと特に変わりのない表情にしか見えないだろう。
「すまんな、さっぱり分からん」
「……そうか」
「そうだ」
唐突にシャネオリアが足を止める。
「また落ち込んだのか?」
必然的に立ち止まる事となったディゼリオが、反転して向かい合い、訝し気に問い質す。返って来たのは否定の反応。
「いや、そうじゃない……ディズ」
何かを迷うように、あるいは何かを警戒するかのように左右を見渡した直後、普段よりも二割増しの強い口調で発する。
「右に跳べ!」
言葉の意味を問い質すよりも先に反応し、跳躍したディゼリオが、空中で何かと衝突。地面に転がり体を強かに打ち据える。
「痛ってえな、一体何だってんだ……って!?」
毒づきながら立ち上がった直後に、捕食獣の鉤爪へと変異させた右腕を、ディゼリオの元まで駆け寄ったシャネオリアが振るう。
反射的にのけ反ったディゼリオの眼前で、虚空に五本の鉤爪の軌跡が刻まれ、一瞬遅れてそこから鮮血が噴出。彼とシャネオリアの外套を赤く汚す。
続けて刻まれた爪痕を起点に空間が揺らぎ始め、何もなかった筈の場所に、体の前面部を軽鎧ごと無残に引き裂かれた、外套を纏った人物が現れうつ伏せに倒れる。
「すまん、私から見て右だった」
「……そうかい」
痛む部位を擦りつつ、頬にまで飛び散った血の飛沫を拭い、視線を今し方シャネオリアに始末された死体へと移す。
「一体こりゃどういう事態だ?」
「分からない。気付いたらすぐ側まで近付いてて、殺気を向けて来たからな。さすがに誰何する余裕は無かった。ただ……」
シャネオリアもまた、視線を自分が仕留めた相手の死体に向ける。
両者共にその人物に対する見覚えなど皆無だったが、その人物が纏っている外套には見覚えがあった。
その独特の刺繍が施されたそれは紛れもなく、彼らが属する協会の魔術師に支給される外套と、全く同じものだった。
「最近こういうのは、少なくなって来た筈なんだがな」
いくら死んでも蘇る男に、ほんの少し間違えば同族に恐るべき牙を剥きかねない女。
一応公的にその存在は認められては居るものの、どちらも間違いなく人かと問われれば即答しかねる存在であり、また内包する危険性故にその存在を認めていない者も多々居る。
時間の経過と共に大半の者が認めるようになったが、それでも未だに術具の取引や依頼の割り振りで露骨な対応をされているのが実情であり、中には刺客を差し向ける者も少なく無かった。
「しかもこいつら――」
「伏せろッ!!」
うつ伏せの死体を転がし、仰向けにして検分し始めた直後に鋭い警告が飛ばされ、従って伏せたディゼリオの背中の上を鉤爪が薙ぎ払い、硬質の音を立てて握り拳大はある幾枚もの金属片が弾き飛ばされる。
「跳竜の弾骨」
シャネオリアが術具を取り込み、足に発条の如き弾性を宿し、突貫。先程の魔術師と同様に姿を消していた、新手の魔術師の腹部に強烈な蹴りを見舞う。
その魔術師も先程の者と同様、外套の下に体の要所を覆う、天秤と剣が交差した紋章が刻まれた軽鎧を着込んでいたが、まるで木材であるかのように砕き、猛烈な勢いで直線方向に吹き飛ばす。
「ディズ!」
「光輝の夜蝶!」
阿吽の呼吸で既に動き出していたディゼリオが、外套の下から輝く粉末の詰まった小瓶を取り出し、省略した呪言と共に叩き付ける。
地面と衝突して容器が割れ、中の粉末が外気に触れた瞬間、焦げ付く臭いと共に、目眩しと呼ぶには大分心許ない光量で発光する。
それでも周囲から強襲して来た襲撃者達の視界を一瞬だけ奪う事には成功し、その一瞬の隙を突いてシャネオリアはディゼリオを抱え上げ、強化された脚力でもってその場から離脱する。
呪言の省略は、ある程度以上の実力を持った魔術師ならば習得していて当然の技術ではあり、本来のそれよりも大幅に劣化した事象を生み出す代わりに、魔術を正式な手順を踏むよりも格段に早く発動する事を可能とする技術である。
事象の劣化の度合いは術者の技量に反比例し、所詮は四級のディゼリオが用いたところで、彼が本来発動できるものの二割程度の事象しか引き起こす事はできない。
その為、視界を奪われた魔術師たちはすぐに視界を取り戻し、逃走する二人を追い掛け始める。
「背後の四人と、姿を消して追っているのが何人か居る」
「B+ランクの盲犬の毛皮を使ってるんだろうよ。特殊取扱指定されている術具で、使用を認められている立場の奴は限られてる。そのうちの一つが――」
「ディズ!」
彼らに対して襲撃を仕掛けて来た相手を伝えようとして、進行方向から更に新手が来週。高速で移動している筈の彼らを正確無比に撃ち抜く魔導術が飛来。
「山麓の石華」
咄嗟に取り出した、ゴラエスの攻撃を防いだ石造りの花弁で障壁を張るも、低ランクの、それも省略された呪言で張られたそれに大した強度は無く、簡単に突破され、衝撃でシャネオリアの体勢が崩れ、着地に失敗し失踪の勢いのまま両者共に地面に投げ出されて転がる。
「痛ってえな、クソッ――!?」
転倒後の隙を逃さず、全方位から逃げ場を塞ぐように襲来する魔術師たちに応戦しようと、新たに術具を取り出そうとした右手ごと金属片で撃ち抜かれ、間髪入れずに背後から襲い掛かって来た魔獣術師に、変異した剛腕によって力任せに倒され押さえ付けられる。
「壊人の――」
「逃げろシャオッ!!」
「ッ!?」
押さえ付けられながらも顔を上げ、既に新たな術具を手に、応戦体勢に完全移行している相棒を目にし、即座に指示を出す。
暗に見捨てろと言っている指示に、シャネオリアは逡巡する表情を見せる。その一瞬の隙は致命的で、相手にとって突くには十分過ぎるものであり、直後に地中から出現した木の根と触腕に変異させた魔獣術師の腕が彼女の体に絡み付き、拘束する。
「実に懸命な判断だな、ディゼリオ四級魔導術師殿」
二人を取り囲む魔術師たちを掻き分け、一人の男が歩き出て来る。
身の丈近くもある、独特の刺繍が施された外套を纏い、その下を体の動きを妨げない程度の軽鎧で覆っているのは周囲の魔術師たちと同様だが、その軽鎧や刻まれてた紋章のデザインには僅かな差異があり、また一挙一動に不思議な威厳を感じさせる男だった。
そしてその男の声を聞き、続けて顔を見たディゼリオの顔が、傍目にもハッキリと分かるぐらいに忌々しそうに歪められる。
「どっかの誰かさんと違って、お前らに……懲罰魔術師共に特攻を掛けて殺されるのを黙って見ていられるほど、薄情じゃないんでね。エゼロス準一級魔導術師殿」