聖斗の決意
「ふう。とりあえず、ここなら安心だね。」
カロンに連れられて空間の裂け目に入った聖斗は、どこかの部屋のような場所にいた。部屋は、小さな机と椅子が二つある部屋で、壁際には、たくさんの本棚が置かれ、中には大量の本が並べられていた。
「・・・ここは・・・?」
「管理人の個人空間だよ。管理人は、一人一人にこんな空間を持てるんだよ。ここは、僕の空間さ。ここなら、タナトスも手が出せないよ。」
「・・・そう・・・か。・・・とりあえずは、安心なんだな。」
「あ、今お茶を入れるよ。疲れただろうからね。」
カロンが指を鳴らすと、机の上にティーポットとティーカップが現れた。
「紅茶でいいかな?僕、入れるのうまいんだ。」
「・・・紅茶より、俺は、あんたに聞きたいことがある。」
嬉しそうに紅茶の準備をするカロンをよそに、険しい表情で聖斗は尋ねた。
「あのタナトスとかいう管理人、いきなり襲い掛かって来たぞ。何なんだ、あいつは?」
「あー・・・管理人と一口で言っても、行動は個人裁量だからね。僕みたいに、迷った生者を現世に返してあげる管理人もいれば、タナトスのように、死人、迷い人関係なく冥界に送ろうとする管理人もいるんだよ。」
カロンは、困惑した表情をしながらも、紅茶の準備を続けていた。
「他にも、グリム・リーパーっていう、仕事全然してなさそうな奴もいるし、自分の縄張り作って、他の管理人寄せ付けないで籠ってるヘルとかいう女管理人もいるんだ。管理人って一言で言っても、やり方は全然違うんだ。」
「・・・あんたみたいに、話の分かる管理人はいないのか?」
「そうだね・・・ステュクスは優しい子だから、彼女は大丈夫だね。アヌビスは・・・厳しいところがあるけど、生者を無理強いして冥界に送ることはないだろうし、彼も大丈夫そう。ヘルメスも・・・大丈夫だね。彼も、悪い管理人じゃないから。」
「・・・その三人なら、交渉次第で協力してくれるかもしれないのか?」
「まあ、可能だと思うけど・・・って君、交渉ってどういう・・・?」
「・・・あんたには悪いけど、俺は、まだ現世に戻る気はない。」
「え?」
聖斗の突然の発言に、カロンは困惑し、準備の手を止めた。
「どうして?ここにいたら危ないって、さっき感じたはずだよ。あの時は、僕が間一髪間に合ったからよかったけど、今度もそうなるとは限らないんだよ?」
「・・・俺は、まだこの世界から出てはいけない気がするんだ。」
聖斗はそう言うと、真剣な面持ちで花を見る。
「・・・どうして、俺がここに呼ばれたのか・・・何をすればいいのか。・・・それを果たすまで、俺は帰れない。」
「・・・。」
「・・・それに、俺の記憶は、全然戻っていない。今、現世に戻っても・・・な。」
「え?・・・でも、あの時の光に包まれた時、記憶が戻ったんじゃ・・・?」
「戻ったさ。・・・紫音って女性と俺は、親しかった。」
「・・・それだけ?」
「それだけだ。他は、全然思い出せない。」
「・・・。」
聖斗の言葉を聞き、カロンは真剣な表情になる。
「・・・やっぱり、この一件は、ただの迷い込みじゃないようだね。」
「?どういうことだ?」
「前も言ったけど、現世から、この世界に生者が来るには、臨死状態にでもならないと無理なんだ。なのに、君は生者そのままの状態でこの世界にいる。これは、おかしいんだよ。最初、僕は、君が何らかの方法で、この世界に無理矢理来て、その反動で記憶が欠落したと思っていたけど・・・。」
「・・・何だ、違うのか?」
「うん。・・・あの光に包まれて、君が別の場所に飛ばされた時、感じたんだよ。この世界の人間の力をね。君は、おそらくこの世界に来ようとはしていたんだ。でも、君独力じゃ、来れなかった。そこに、この世界の誰かが干渉して、この世界に呼び寄せられた。」
「誰かって・・・ひょっとして、紫音か!?」
「それは、分からない。この世界の人間の力だとは分かるけど、個人まで特定するのは無理だよ。」
「・・・。」
聖斗は、必死に自分がここに来る直前に何をしていたか思い出そうとした。しかし、どんなに思い出そうとしても、頭の中に靄がかかったり、真っ暗になったりして、一向に思い出せなかった。
「・・・駄目だ。せめて、ここに来る直前のことでも思い出せれば、呼んだ相手が紫音かどうか分かるんだろうけど・・・全然思い出せない。」
「・・・追い打ちをかけるようだけど、その記憶の欠落も、どうやらここに来た反動じゃなさそうなんだ。」
「・・・え?」
「・・・君の記憶は、誰かが意図的に欠落させたようなんだ。」
「ええ!?」
「あの時、光に包まれた際、君の記憶は一部だけ戻った。それは、シオンって人との記憶だった。でも、それ以外の君の記憶は戻らなかった。・・・それを聞いた時、僕は、何か意図的なものを感じたんだ。」
「・・・ひょっとしたら、呼び寄せた人物が、意図的に俺の記憶をバラバラにした・・・と言いたいのか?」
「かもしれない。・・・もっとも、そうなると、君を呼んだ存在は、そのシオンって人じゃない可能性が高くなるけどね。」
「・・・。」
そう言われ、聖斗は黙り込んでしまう。
「・・・君には悪いけど、やっぱり君は、現世に戻った方がいい。記憶がなかったとしても、現世の方が安全だよ。」
「・・・あんたは、現世へ帰る方法を知ってるのか?」
「管理人なら誰だって現世へ通じる扉を開けられるさ。・・・もっとも、開けるだけで、現世へは行けないけど・・・。」
その時、カロンの表情が、若干曇ったように聖斗は感じた。
「・・・とにかく、生者は現世、死人は冥界に行く。これが、ルールなんだ。だから、君も・・・。」
「・・・いや、やっぱり俺は、紫音を探しに行く。」
「え!?」
「たとえ、危険だと分かっていても、俺は、紫音に会わないといけない。・・・そんな気がする・・・。」
「・・・。」
カロンは、聖斗の表情から、彼は本気であると感じ取った。
(・・・そこまで言うなら・・・仕方ない・・・かな。・・・本当なら、規則違反なんだけど・・・。)
「・・・分かったよ。特別に、僕も協力するよ。」
「本当か!?」
「うん。僕も、少々興味があるからね。」
「ありがとう!」
今まで、真剣な面持ちだった聖斗の顔に、笑顔が溢れていた。
「じゃあ、女の子探しの前に、お茶にしよう。疲れてたら、見つかるものも見つからなくなっちゃうしね。」
「ああ。」
カロンは、聖斗に茶を勧めながらも、その心中は考え事を続けていた。
(・・・それに、彼をここに呼んだ存在も気になるな。生者をこの世界に呼ぶとか、記憶を奪うなんて、死人にはできない。考えられるのは、管理人だ。・・・でも、一体誰が・・・何のために・・・?)