四
邪馬台国のほぼ中心部に位置するヒミコの宮殿は、周囲を森に囲まれている。鬼道を操るためには、邪念をなくした上で自然と同化することが欠かせないことであり、それで極力人と触れ合う機会を減らすべく、ヒミコさまはこの森の中に宮殿を作られたのだ――ウルクサから昔教わったことを思い出しながら、クルルは森の中をきょろきょろと見回していた。辺りは市場や丘と比べて閑散としており、周りにそびえる松の木には、蝉が大勢でばらばらに合唱している。その中で、腐葉土を分け入って進む影が、クルルの他にもいた。
「も、もう戻ろうよ、クルル」
クルルの後ろで、ミズニが息を切らしながら告げる。彼女の後ろでは、ワツミが今にも立ち止まるか倒れるか、といわんばかりの体勢でゆっくりと歩いていた。
「いいじゃん。せっかく入った神聖な森だぜ。戻ったら同い年の仲間にも自慢できるしさ」
「そういう問題じゃ、ないでしょ……この森に入ったことがばれたら、私たちどうなるか、あんた分かってんの?」
ミズニが語気を強めて口にするのに対し、クルルは一言、大丈夫だ、と返す。
彼女が言うように、この森が神聖な場所として立ち入りが固く禁じられているのも、ヒミコの鬼道への影響をなくすためだ。そのため、女王が神との交信を阻害されないよう、森のあちこちで兵たちが逐一見回りを行い、森の安全を守っているのだ。もし誰か入ってこようものなら、侵入者の一族もろとも厳しい罰が下される。それは、たとえ外交長官を父に持つクルルでさえも例外ではないのだ。
「さっきは上手いこと、秘密の抜け道から入って来られただろ? ちょっとそこら辺を散策するだけで、すぐ戻るからさ」
「だけど」
「だったら、ミズニたちは戻ってろよ。後は俺だけで見て回るから」
「だめよ。クルルを一人にしたら、どうなるか分かったもんじゃないわ」
「そこまで言う?」
こくん、とミズニは小さく頷いた。彼女の表情は、いつになく固かった。
「うわっ」
不意に、ワツミが前のめりに倒れ、そのまま転んだ。大丈夫? ミズニが駆け寄る。クルルもワツミのもとに近づくと、彼の右膝にべっとりと血が滲んでいるのが見えた。
「酷い怪我……痛くない?」
ミズニがそう言いながら、傷口に付着した砂をはたく。痛いよぉ。一言だけ口にして、ワツミはそのまま痛みに耐えかねて泣き出した。男の子でしょ、泣かないの。そう返すミズニの目にも、うっすらと涙が溜まっていた。その状況を目にして、クルルは踵を返して、振り返る。
「薬草を探してくる。ミズニ、ワツミを連れて、抜け道のところまで戻っててくれ。あそこなら、見回りの奴らも目が届かない」
クルルのその言葉に、ミズニは彼を見つめて言葉を返す。
「何言ってるの。クルル、あんたも一緒に戻るのよ。戻って、お母たちに助けてもらえば、それでいいじゃない。この期に及んで、勝手なこと言わないでよ」
――ごめん。クルルは一言呟いて、更に森の中へと走っていった。後ろでは、彼の名を呼ぶ少女の声が、何度も松の森に木霊していた。