崩え彦
[崩え彦]
ある男、名を三太と言った。
三太は農家に生まれ、成人になる頃には父に家代々の畑を任せられるようになったのだが、如何せん羽織る着物のヒモをいつもだらしなく緩めている姿は、誰もが怠け者と思う身なりであった。事実三太は父に任せられた畑仕事を狡けていた。
三太はただ狡けていたわけではない。したくもない畑仕事をしなくても、父に怒られない生活を送るにはどうすればいいのだろうと、お気に入りの腰掛けに座り黙想しているのである。
そんな三太の怠け癖が酷くなるにつれ、畑は当たり前だがみるみる荒れていった。
乾びてひびが行き渡った土壌は後顧の憂いを残し、その痩地の真ん中にぽつねんと佇む案山子は哀れと催す。畑とは言いづらい。
ある朝、瞼を閉じても眩い日差しが目を照り付ける日の下。
激する父に三太は家を出るように催促されてしまう。
三太は『それならオイラに畑を任せんじゃねぇやい』と父の背中にぶつけて言うと踵を返して家を後にした。
けれど三太は自分が述べたことに心残りを感じていた。
三太の父は病に冒されていた。死に至る程の病ではないのだが、自分がいなくなった今、父に余計な負担をかけてしまい病状が悪化してしまうのでは? と三太は村一番の大樹の陰で、太陽から身を潜めるようにして思案にふけていた。
そして当たり前のように三太は苛まれていた。家を追い出された今、三太は今更ながら父を心配し、自分の今後を一番に心配していた。所詮三太にとって身の次が父なのである。この三太の心根が浅いのが目に見えて分かる。
三太は怠けはするが、呑気な性格ではない。だから三太は自分自身を心配し苛むのである。
「兄さん兄さん、少し助けてくれませんか?」
少し嗄れた声が耳に届き、左右に首を振る三太。ここですよ、とまた嗄れた声がした所で声の主を定める。
ぬめりと光を帯る黒い肌。その黒い肌と交わるように乾いた土色が添えてある。その二色の肌に大小のイボが所々に付着していた。
三太の目にしているのは人ではない、蟇だった。
「お前かオイラに話かけたのは?」
三太はバカらしく思いつつも、切れ目から覗かせているギロリとした瞳で三太を見つめ返す蟇に問うた。
「そうです」
すげない返事が耳に響く。三太は素直に驚いた。蟇が達者に言の葉を紡いでいるのだ、驚かないヤツはそうそういない。 気味悪いのもあったが、元々蛙などが好きな三太は喋る蟇に興味が湧いていた。嗜好は色々、である。
「何故お前は喋れるんだ?」
「お答えしたいのは山々なのですが、まず飲む物を戴けませんか?」
と蟇にそう言われ、反射的と言えるぐらいに三太は、近くの川原に連れていくことにした。
近くと言っても四肢の短い蟇は後ろ足を使って跳ねることが出来ないので、蟇にとっては存外に遠い所である。三太は二寸程ある大きさの蟇を手の平に乗せ、早歩きで川原へ足を運ばせた。
川原へ蟇を連れていくと蟇は我さきにきらきらと絶え間ない光の波がする小川にのそのそと駆けた。
ごくごくと咽を鳴らす蟇。少し遅れて三太は蟇のもとへ辿りつく。
蟇はどうやって川の水を飲むのだろうかと三太は思い、覗き込んでみることにした。
そこには両手で小さいお碗を形作り、器用に口許へ運ぶ蟇の姿があった。実に人間らしい蟇だ、と三太はますます興味が湧くのを感じた。
三太は川の水を飲み終えた蟇に幾つかの疑問をぶつけた。
『何故喋れる?』
『名前は?』
『どうしてここに?』
積もる疑問を蟇は先程の嗄れた声とは違う声で淡々と受け答えをする。 ワズカは左前足で右肩のイボをぽりぽりと掻いて、名をワズカと名乗った。だが何故喋れるのかは言い渋っていた。
実に人間らしいワズカの左前足は、左手と言い換えたほうがいいのかも知れない。そして後ろ足で器用に直立しているのだ、他の蟇とは格別に違いがある。
だが、掻くような手をしないワズカの前足は掻くと言うより、ぬめりのある肌を無意味に宛てがったり離したりしているように見える。掻いているのか? 三太は疑問が増えワズカに尋ねた。
「掻いている? あ、えぇ、痒いので掻いています。まぁこの手では掻いているとは言えませんが」
ワズカは怪訝そうな表情でそう言った。いや正確に言うとワズカは怪訝そうな表情をしていない。雰囲気が怪訝そうであった。
何故ならワズカは蟇であり、表情が乏しい。
だが、ワズカと会話を交わす度に三太は徐々に感化されつつあった。三太はワズカを蟇としてではなく、いつの間にか一人の人間として考えさせられていたのである。
故に人間らしい『怪訝そうな』雰囲気を三太はワズカから感じとれていたのである。
「そう言えばあなたのお名前は?」
ワズカに問われ、三太は今頃になって自分を名乗った。珍しい蟇に出会い、三太は我を忘れていたのである。
ワズカは、三太にさん付けして確かめるように言った。これで初めて二人(正確には一人と一匹)は知り合いになれたのである。
「三太さん、先程何か思い悩んでいたようですが、何を悩んでいたんですか?」
三太は躊躇うことなくワズカにことの成り行きを語った。だが、自分が怠けていたせいで畑が荒れ、父に追い出されたことを一部改変して述べた。
「三太さんも大変ですね、実は私も家を追い出されているんです」
思わぬ境遇に他人事ではないものを三太は感じた。それにワズカの漂わす雰囲気は、親身になって悩みを聞いてくれる親友の類のものがあった。
出会ってまもない二人だが、二人とも『今後』が分からない上に似たりよったりな境遇と言う共通点があった。そう言った共通する所があってか、三太はワズカに親近感のようなものを感じていた。自分の心配をするように相手の心配をする。出会ったばかりの二人が、まるで十年一日の関係であったかのような自然体で三太はワズカにこう言った。
「ワズカは家に帰りたいと言っとったが、帰る手だてはあるのか?」
ワズカは少し俯いて返事をする。
「あるにはあるのですが私にはこの土地があまりにも広大ですので」
三太は一応何処にいくのか尋ねた。ワズカはぬめり気のある瞳をぱちくりさせて言う。
「『くえびこ』さんのいる場所です」
三太は聞き慣れぬ言葉にぎょっと目を丸め、疑問符をぐるぐると頭の周りに泳がせた。
そんな三太を尻目にワズカは口を継ぐ。
「崩れると書き、男子の美称の彦と書いて『崩え彦』と読みます。その人に会えば家に帰れるかも知れません」
三太は分からない所をはしょり、とにかくワズカが人に会いたいと言ったことだけを把握することが出来た。三太は勉強までも怠けていたので字すら読み書き出来ないのである。だから人名など説明された所で、ちんぷんかんぷんなのである。
「崩え彦さんは世の全てを知っています。三太さんも崩え彦さんの知恵をお借りしたらどうですか? もしかすると三太さんの探す良薬が見つかるかも知れませんよ?」
三太はワズカに家を追い出された理由をこう改変していた。
「オイラは父の病を治す良薬を探すようにと家を追い出された。強情な父の為に仕様がなく探したが、良薬なんて見つからなかった。これでは家に帰れない」
嘘が達者な三太。
ワズカに嘘をついた手前、父を助ける良薬を探しているといい人振ってしまった三太は、その崩え彦に会わなくてはならないのである。けれども会わない理由が三太にはなかった。
何故なら暇を持て余す三太は、ワズカと別れてしまうとまた己の心配に苦しめられてしまう。だから自分を哀れまない為に、必然的ではあるが嘘の顔を被って、崩え彦に会うしかないのである。
少しでもワズカといたい、それに崩え彦に会えば何か良い知恵を教えてもらえるかも知れない。今の三太はそんなすがる気持ちしか残っていないのである。
ワズカを手に乗せ、談笑しながら歩いて幾時間と経った。
ワズカの肌からぬめりとした水気が手の平に滴る。最初はワズカを落としそうな感覚がして気後れしたが、時間が経つにつれて三太は手の平のぬめりに慣れていった。
ワズカが前足を突き出している方向へ三太は歩く。歩くにつれ辺りに霧が立ち込めてくると、三太は段々と大丈夫なのか? と心配になっていった。だがワズカが大丈夫だと言うので三太は渋々歩き続けた。
歩き続ければ当然のように疲れを感じる。三太は休憩しようとワズカに提案した。それをワズカはこくりと頷き水辺がある所まで三太を励ました。まるで足りないものを補い合う親友のような光景は、二人の仲の良さを窺える。
三太とワズカの目に小さな池が飛び込んだ。
咽がからからな二人は池に駆けつけて、両手ですくって口許へ水を運ばせた。ごくりと二人は咽を鳴らし、一息入れる。
池は綺麗であった。池の周りに咲く花は瑞瑞しく華やかであり、そこからやんわり撫でるような香りが三太の鼻を気持ちよくくすぐる。それらが疲れを一層和らげ、三太は快い気持ちを覚えた。そこは休憩するにはもってこいの場所であった。
三太はここぞとばかりに体を休める。元々怠け者だった三太は普段体を動かさないので、こう言った徒行でも少し辛いものがあった。
「もう少しで崩え彦さんに会えますよ」
三太が棒のようになった足を揉みほぐしていると、ワズカがそう言った。
三太は崩え彦とはどんなヤツなのだ、とワズカに問うと会えば分かります、と言葉を返された。そう言われ三太はある程度崩え彦の像を結び、どんなヤツなのだろうと会うのを楽しみに思った。
三太は再びワズカを手の平に乗せて歩くことにした。手の平に乗るワズカは、前足を突き出して道案内をしている。
数分間歩いたぐらいだろうか、霧でぼやけていた視野が開け、野間が飛び込むように瞳に映る。 風が一度吹くと鮮やかな緑色の草木達が靡くなか、遠目に人影が見えた。
「崩え彦だ! 三太さん、あそこに崩え彦さんがいるよ!」
ワズカの声に急かされて、三太は肩で息をしながら崩え彦がいる場所まで草原を踏みしめる。
崩え彦の姿が濃く映るにつれて、三太の心拍は上がっていった。走っているからか、崩え彦に会うからか、三太はその絡み合った息を吐く。
三太は崩え彦の二、三歩前まで駆けて、自分の想像していた崩え彦と照らし合わせた。
だが自分の想像とは違った。想像は多少なりとも違うものである。けれど三太の想像は根底から違っていたのである。
崩え彦はまるで三太達を迎えるように大きく両手を広げていて、蔓で形づくられた冠を頭の上に乗せて少し威厳を漂わせているように見えた。
崩え彦の上半身は肌を露出しているが、腰には生成りの布が巻かれていた。その布からか細い足が伸びている。
「か、案山子?」
呆気に取られた三太の率直な感想が口から洩れた。ワズカが崩え彦と呼んでいたのは、畑などでよく見かける案山子であり、三太の想像していた人ではなかった。
ただ普通の案山子と違う部分が多々ある。それは麦ワラ帽子などではなく、蔓の冠であったり、良くできた人間の表情、肋骨――いや人を形づくる骨格などが身体中に浮きでていた。それが嫌に生々しく案山子とは雰囲気が違って見えた。
「失礼な、私を突っ立つことしか役割のない案山子と呼ぶとは。人間はこれだから嫌なんじゃ」
機嫌の悪そうな表情を浮かべた案山子が三太に向かって言った。その言葉に三太は慌てて謝意を言葉で表する。
そして三太の半信半疑は一気に覚め、これが現実なんだと三太は改めて実感した。蟇が喋るのだ、案山子だって喋れる世の中なんだろう、三太はそう考えた。
「崩え彦さん、今日はお知恵を借りにきました」
三太の手の平でワズカは崩え彦にそう言った。そう言えばワズカは何故崩え彦を知っていたのか、どういった関係なのか、三太には分からずにいた。
だが、何処かワズカと崩え彦は同じ匂い、いや雰囲気がしているのを三太は抱いていた。
しかしそれくらいしか今の三太には分からないのである。そして置いてきぼりを食ったようなしこりが三太に残った。
「それとここまで運んでくれた三太さんも、お知恵を借りたいそうなんですが、よろしいですか?」
「無礼なやつだが、答えられる範囲ならいいだろう。して何を聞きたいのじゃ? 人間」
崩え彦にそう言われ、三太は少し悩みはしたが、真実と嘘の縒り合わせた言葉を口にした。
幾時間前にワズカの前で嘘をついたのだ、嘘を突き通すしか手段はないのである。
「オイラは父の病を治す良薬が欲しい。その良薬は何処にあるか知っているか?」
血の気のないまるで蝋人形のような白い顔立ち。その白い眉間には皺がよっている。崩え彦は不服を顔一杯に表していた。そしてその生々しい表情で口を開ける。
「社会的に底辺な自分を少しでも飾り付けたい、そう思うのは人には良くあることじゃ。……人間よ、良薬を使わなくとも父の病などもう少しで治る。それより、私に一番聞きたいことがあるんじゃないのか?」
三太に見透かされた感覚が襲った。崩え彦の言うように一番聞きたいことが三太にはあった。
だがそれは自分の都合の良いことばかりを詰め込んだ願いだった。
「なんでオイラにそんなことを聞くんです? もしかしてその方法を知っているんですかぁ?」
「知っている範囲で私は答える」
骨と骨とが擦れて軋んだような音が崩え彦から鳴った。手の平からワズカが三太を見つめる。
三太は思い悩んだ挙句、一番聞きたいことを崩え彦に聞くことにした。 ワズカは多分自分を誹ることだろう、そう三太は思った。それほどのエゴを三太は言葉にしようとしていた。
「オイラはまず父のもとに帰りたい。けれど畑仕事なんて肉体労働はごめんだ。特に何もしなくても父に怒られることもなく、むしろ誉められたりするそんな生活を送りたい。その方法をオイラは知りたい」
三太が言ったことは、社会に生きることを放棄したいと言っているに近い。死にたくない、けれど社会に生きるのは億劫だ。三太の一番の願い、それは欲深い人ならではの身勝手で安易なものであった。
「条件を満たすものがあるにはある。あとはお前の意思だけだぞ?」
崩え彦はそう言った。三太は天にも昇る気持ち、昂揚感がした。最高の怠惰を得ることが出来る、三太にとってこれほどの幸福はない。
三太は訝る風もなく、それを承知した。すると手の平に乗るワズカの視線がするのを、三太はまるで小さな針をちくちくと刺される感覚のように感じた。
ワズカに嘘をつき、そしてエゴの塊の自分を晒す、ワズカに見放させても文句は言えない。少しだけ三太は自分の良心を咎めるが、所詮は自分主体なのだと三太は意を決め込む。
「そうか、なら人間よ最後に言わせてもらうぞ。――人は一つ満足を覚えると死ぬことになる。だから人は生きる限り枯渇しない欲海をいつまでも泳ぐのだ。そして満足を覚えず、求めることをし続けるのが人なのだ。故に人は繁栄した、人間よ私が言いたいことが分かるか? お前は死を選んだんだ。ただ、生きることがどんなものか、考えるがよい――」
崩え彦はそう言い、三太の望み通りに父のもとへ送った。三太の望む、怠惰の生活。それが叶った三太は今、幸せを噛み締めているだろうか?
「して、ワズカよ。聞きたいこととは家にどうやって帰るか、か? 」
「崩え彦さんも悪い人ですね。家に帰る方法なんて全知全能の神であるあなたでも分かるはずもないでしょう?」
「ほっほ。ならワズカよ、今後どうするのだ?」
「――そうですね、いつものように案内を務めます」
――ある秋の暮れ、穂波が黄金色に波打つ畑で、着物のヒモを緩めたように羽織る怠け者を模した案山子がぽつねんと佇んでいる。その案山子の右肩部分には二寸程の大きさの季節外れな蟇が乗っています。
「今年は豊作だあ。一時はどうなるか分からなかったけどぉ、知らねぇヤツからあの案山子をもらって使ってみたっけ、ここまで立て直せたんだなぁ、案山子さんよぉありがとなぁ」
男の何処か物寂しい声に、穂は波形にうねり秋の匂いを漂わせている。
蟇のゲロゲロと鳴き声が響く、残暑の名残が余韻を残し趣きをしみじみと男は感じた。
「……なあ、三太。いつになったら帰ってくんだぁ? もう俺は怒ってねぇぞぉ」
――父ちゃん、オイラここにいんぞぉ、気づいてくれよぅ、近くにいんだぞお。
案山子の暗紫色な硝子玉に映るもの……ある秋の暮れ、片田舎が夕焼けに染まっていく風景。沈みゆく夕陽に案山子は今日も、当たり前のように広がる風景を見つめ続けた……。
蟇=夏。最初の場面は夏です。
タイトルでもある『くえびこ』は『崩え彦(または久延毘古、杖彦)』と書きます。
これは日本神話の神の名であり、僕は名と設定も借りました。あ、あと蟇も。
借り過ぎなんでオリジナルとは言えないかも知れない。
今回はそれとなく伏線をはったりしましたが、やっぱりオチが弱かったり、説教臭かったり、ホラーと言うより悲しい話だったり、ありふれた内容だったり、魚臭かったりして
『書き表すってむずいな』としみじみ思いました。
あぁ、あと芥川龍之介さんの『河童』を少し意識して書きました。まぁやっぱりド素人だからワケワカメな内容ですけど、何より自分が楽しめたことがいいことかな、と。
つかあとがきってこんな感じでいいのかな、分かんねぇー。




