春先に立つ匂い
逢魔ヶ市行きのバスに揺られること一時間。
バスが停車する。窮屈な座席を立ち料金を払い、久々に地元へと足を着けた。
四月一日。例年の異常気象のせいか、少し暑い春の陽気の中、俺こと憂月 縷々(ゆうづき るる)は大きく息を吸い込んだ。
「変わらないな...この街も」
吸い込んだ息を吐く。
溜め息混じりに出た言葉は街に紛れ、人間達が奏でる喧騒に飲まれ、消えていく。
別に誰かの返事を期待したわけではない。
ただ、少し寂しくなった。
こんなにも近く居るのに遠いなんて、まるでB級シネマの恋愛劇みたいだ。
駅前に咲いた桜を眺めて居ると、いつの間にか黄昏町行きへのバスが来ており、いそいそと乗り込んだ。
Ⅹ Ⅹ Ⅹ
五年ぶりの黄昏町は一言で言えば何も変わって居なかった。
逢魔ヶ市の駅前と違い、開発が進んで居らず、昔ながらの神社や家を残しつつも、人間が住みやすい様に適度に手が加えられている。
実に住みやすそうな町だ。人にとっても...勿論、人外達にとっても。
「な~んだ...凄い霊力が近付いてきてると思ったら...まさか、君だったなんて!」
背後からした声に振り返る。
そこには、俺がよく知る女性が立っていた。
神凪 彩花。黄昏町に古くからある神社の娘で、由緒正しい巫女家の長女。
人懐っこい性格と整った顔からわかる様に、常に周りには人だかりが出来る様な人物。
だが、その裏で、熟練の陰陽師さえも羨む才と力に恵まれた故の冷酷さと偏った思考が見えかくれしており、人外だけでなく、人間からも恐れられている。一言で言うなら、矛盾。を具現化した様な人間。
「相変わらず元気そうで...」
俺が口を開くと、待ってました!と言わんばかりに喋りだす。
「そうなんだよっ!!
でも、私も歳だな~なんて思っちゃったり!」
怒濤の勢いで捲し立ててきた。
その後はタハハと笑い飛ばし、俺の返事を窺う。
この時点で少々 強引ではあるが、話の主導権を握られていた。
「アンタまだ22歳でしょ...」
俺は何処か胡散臭い彩花さんのことが好きだ。
この食えぬ態度も妙に達観視する生き方も。
そして、俺は人間が苦手だ。
この歳で言うことじゃないかもしれないが、俺は俺に生まれた故に人の汚い所を見続けてきた。
そんな俺に初めて寄り添った人間が彩花さん...
何故そうしたかはわからないが、彼女のことだ、なんらかの魂胆があるんだろう。
でも、その方が安心できる。だから、彩花さんが好きだ。
なんだかんだ、此処を離れた俺に会いに来る唯一の人だったし...
「まだまだ若いって言いたいの?うりうりー可愛いな!!あ、そうだ...突然だけどお願いがあるんだった!」
俺をヘッドロックしながら頭を撫でる。
端から見れば羨ましい光景なのかもしれない。
が、俺は頭に当たる柔らかな感触に意識を持っていかれ、それどころではなかった。
「聞いてくれる?」
「も、勿論...流されるまま生きるのが俺の信条ですから...」
決して、頭に当たっている謎の感触に対する対価でお願いを聞くつもりはないし、それ以上のことをお願いされるなんて期待を抱いてはいない。
ーーーいや、本当だからな?
「そっか...じゃあさ、今すぐ家に行ってくれない?多分、母さんが危ないから」
「は?」
彩花さんが言ったことが理解出来なかった。
だが、顔を上げた時、俺の目に映った彼女の顔は儚げで、今にも泣き出しそうな目をしていた。
だから...
「理由は後で...」
俺は何も聞かず走り出した。
Ⅹ Ⅹ Ⅹ
神凪家は由緒正しき家だ。
昔ながらの木造建築で、とても立派。
そして大きい。が、木で出来ている。木で出来ている故に脆い。だから、壊れる事だってあるだろう。
「流石にこれは違和感がある壊れ方だけど...」
全力疾走すること十分。
昔の朧気な記憶を頼りに向かった先には、懐かしい、昔のままの神凪家があった。
何故か門が大破しているが...
「トラックでも突っ込んだのか?」
兎に角 滅茶苦茶な状況。
門まで息を整えながら近付くと、酷い腐乱臭が立ち込める。壊れた穴から中を覗くと何かが動くのが見えた。
「人外か...厄介なことになったな」
俺は小さい頃から人間として生きていない。
そのせいなのか、俺は人より霊感や妖力と呼ばれる類いの力に長けている。
けれど、決して人外を祓えるわけでも、そういう知識があるわけでもない。
ただ、見えるだけ、そして、見られるだけ。
彩花さんに何の意図が合って俺を此処に送り込んだのかはわからない。
でも、彩花さんの母親、奈緒さんに世話になったことは確かだ。それだけで助ける理由には十分なりうる。
俺は神凪家の門の先へ一歩踏み出した。
暇潰し程度に読んでいただけたら...






