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大和サッカー  作者: ジョヴァン2
高校編
2/3

Lesson1 始まりましたが、それがなにか?

※この物語はフィクションです。実在する人物・団体などとは一切関係ありません。また、この作品は非常に現実離れした超次元要素を含みます。純粋な、あるいは正統なサッカー小説が読みたい方は、気分を害する可能性がありますのであらかじめご注意下さい。※

「全員集合。集まれ」

 ゴールデンウィークが明けてすぐの日曜日。東京都私立西春(せいしゅん)大和(やまと)高校の第一グラウンド・サッカー場にて、同高校サッカー部のコーチ兼監督である西里義活(にしざとよしかつ)が、部員達を部室前に集めた。彼らの顔には、緊張のような面持ちが含まれていた。

「水は入れたか? 暑くなり始めるこの時期が、一番熱中症にかかりやすいからな。これからは練習の途中でもいいから、こまめに水分を摂るように。それでは本題に入る。今日は他校の部を招いて、待ちに待った初めての練習試合だ。基礎的な練習やミニゲームも大事だが、やっぱり試合だろ。試合をする以上にサッカーにやりがいを感じるものはないはずだ。それに、この試合で初めてお前達の実力が明らかになる。2年生はおらず、残り少なくなった3年生達はこぞって受験勉強を理由に退部し、すれ違いに入部した一年生だけのチームの実力がな。ここにいる12人全員が一丸となれば、例え上級生チームと対峙しても太刀打ちできるさ。まあ今日の試合は、学年なんて考えず、気楽にプレーしてみよう。まだ出来上がって1ヶ月しかたってないんだから」

 そう言って西里は部員達に微笑みかけた。誰一人して返事をしなかった。この一帯の緊張は、当分解けそうもないだろう。

「よし、これからユニフォームを渡すぞ! 背番号と名前を呼ばれたら、一人ずつ取りにこい。まずはキーパー、1番は影野」

 真っ白の新しい体育着に身を包んだ部員達。その群の中から、少しばかり高い頭が、群の外へ、そして西里の前へ向かってうごめいた。高校1年生ながらも、もうすぐ180cmに届きそうな背丈が露わになった。細い顔に目鼻は小さくと、実に初々しいの一言に限るほどの容姿だった。

 しかし、彼らは知っている。4月に入部してから今にいたるまで、彼は誰とも話していない。それどころか、誰も彼の声を一切聞いたことがないことを。授業中でも、部活中でも、すれ違いに挨拶されても、誰かに向かって声を発したことがない。そんなやつが、脚のみボールを扱う規則があるサッカーの、唯一手でも扱うことができるポジション、守護神の仕事を担う。後方から味方に指示を与えるスキルも求められる重要な役割を、こんなろくに話しも出来ない野郎が受けるなんて。ゴールキーパー専用の長袖ジャージを受け取り戻るまで、群の大多数は不安と懐疑が入り混じった視線を彼に向けた。

 次々と他の部員達も背番号順に呼ばれ、各々に統一された色のジャージを渡された。そして全員が受け終えた後、再び西里は部員を前に語り出した。その手には、手中に収まるほどの黄色い一片の布切れを持っていた。

「次は今日の試合のゲームキャプテンを発表する。何度も言ったが、ここにいるのは1年生だけだ。即席チームと何ら変わらない状態にある。よって、今日呼ばれた者はあくまで暫定の判断だ。これから試合を重ねていく中で、同じ人に続投してもらうか、別の人に転任するかどうかを検討する。だが、例え誰がキャプテンになろうと、一切お前達には関係ない。俺はそいつにチームをまとめ上げる全責任を押し付けるつもりは全く考えていない。今皆は同じスタートラインに立っている。一から皆で協力し合い、助け合い、お互いに支え合ってこのチームを作ろう。現時点でのキャプテンはあくまで、ここ1ヶ月の練習を参考に、いかなる状況でもメリハリがついていてチームの空気を変えられるだろう者に任命する。それ以外の者は出来る範囲でキャプテンをサポートしてくれ。それでは発表しよう。6番、ムサシ。ロナウド・ムサシ」

 西里の口から、初めて聞く人にとっては聞き慣れない名前が発せられた。再び呼ばれて前に出た少年は、白い肌に、茶色い目や髪と、明らかに日本人ではなかった。いや、実際は日本国籍を持っているから、れっきとした日本人ではある。母が日本人で、父がブラジル人らしい。混血であるがゆえに、少しほりが深く、同学年達と比べて、顔が整っており、凛々しく大人っぽい印象であった。彼もまた実力はまだ知られていないが、練習中に見せる課題に取り組む姿勢や態度、更には率先してグループ分けを行うリーダー性などが認められ、チームの中で好評を得ている。彼が選ばれたことを当然と考える者も少なくなかった。

 しかし、キーパーと同様に、気になる箇所がある。初対面なら誰もが疑問や違和感を抱く、不可思議な箇所。彼の右目に、まるで穴を開けたように真っ暗な黒い眼帯が施されていた。治療用の白いガーゼではなく、それこそ海賊を思わせるようなゴム製の眼帯だった。大方、最近怪我やものもらいを患ってしまったと考えてしまうが、彼は入学時から今に至るまでずっと着けていた。つまり、習慣的に身につけていることになる。だがスポーツにおいて、ましてや常にボールの行方が著しく変化するサッカーという競技において、たった一つの(まなこ)だけで満足にプレー出来るとは到底思えない。しかし彼はこれまでの部活では一度も外しておらず、まるで頭に何も着けてないように振る舞うのだ。何不自由なくボールを追ってプレーしているのだ。ではわざわざ眼帯を着けるのに、一体どのような理由があるのか。着けても問題がなければ、外せばなおやりやすくなるのに。もしくは外してはいけない内情、事情があるのか? 事実、彼は眼帯のことについて何も話題に出さず、一切無視するようなそぶりをするため、眼帯について触れて欲しくないのかそうでもないのかどうかわからず、クラスメイトや部員達は気安く話すことが出来ないでいる。そのため真相は未だ解明されていない。

 謎多き守護神と司令塔の存在、そしてそれらを要するチームは、この試合でどのような活躍を見せるのか。どのくらい発展してゆくのか。全ては、ボールを蹴り出した直後に発進する。青々した人工芝の上で、対戦相手校と対峙する西春大和イレブンが散った。


「村田。そこは当たれ!」

 自分の名前を呼ばれた背番号3は、慌てて敵ドリブラーに詰め寄った。しかし水色ユニフォームの11番は、立ちはだかるディフェンダー達を置き去るようにすり抜けた。とうとうペナルティエリアに侵入する。最後の砦となったゴールキーパーは、焦る様子を見せず、体を折り曲げた状態のまま構えた。動かないと見るや、11番はボールを前に転がし、シュート態勢をとろうとする。それでも、なおキーパーは動かない。動こうとしない。

 左腕を振り上げ、ボールの横に一歩踏み込み、もう片方の脚をしならせる。

 反射的に左足に重心を移したキーパー。振り抜かれた浮き球の軌道に向かって、両手を広げて跳んだ。小さなどよめきが瞬間に沸いた。ボールは白いゴール枠の右上隅に、吸い込まれるような弾道を描く。それを阻止すべく広げた両手が接近してくる。この勢いのままならゴールラインを通過する前にボールは弾かれるだろう。誰もが予想する。この勢いのままなら。あとボール一個分ほどに迫った手のひらは、突然止まるように失速する。そして次第にキーパーの体もろとも引力によって地に落ちる。壁がなくなった、剥き出しのゴールに、滑るように放り込まれたボール。ゴールネットが揺らいだ直後に、はじけるように歓声と拍手が飛び交った。

 水色の11番は飛行機みたいに両腕を広げ大きく旋回し、同じ色のユニフォームを着た数人に駆け寄った。11番を中心に彼らは小躍りしながら自陣へ戻った。対して、赤とグレーの縦縞ジャージに袖を通した者達は、誰一人も彼らの歓喜に賛同しなかった。同じ柄のユニフォームの6番はうなだれている仲間に、手を強く素早く叩き、「戻れ」と大声で一喝する。叩かれた反動を受け、左腕に巻かれた黄色いキャプテンマークも震えた。

 なかなか切り替えられないチームメイト達にいらつき、顔をあげろ、早くボールをよこせ、と怒鳴りたくなったが、そんな気になれなかった。ピッチを分割するように横切るセンターラインの直線上にそびえる、横長の黒い電光得点板には「3-0」と大きく分かりやすく表示されていた。しかしそれを確認したや否や、すぐさま「3」から「4」に変わった。今のゴールが認められたからだ。すぐ上の、残り4分の1が欠けたサッカー専用時計も見た。1本しかない長針は真下を向いていた。前半30分かぁ。そう心の中でつぶやいた。気合いを入れようと声をかけるが、前半戦でいきなり4失点されたら、さすがにキャプテンもため息を漏らしてしまう。ナイーブになるのも仕方ない。

 ただキャプテンはたった一つ、ここだけは譲れない、気に入らない問題があった。自チームの選手達の技術のなさや技量不足ではない。それは、何が何でも1点もぎとってやるんだという意思やハングリーのなさにあった。大量失点されているが、まだ前半の差中。いくらでも逆転するチャンスはあるはずだ。が、チームの初陣戦とも言えるこの試合は、通してやる気が見られない。最初のキックオフでいきなり中央突破を許し、先制されてしまった。

 監督である西里も言うに、まだ出来上がりのチームだから、多少のミスはあってもいいし、気にすることはないはずだ。今までの失点だって気に悩む必要はない。負けても構わない。そこから弱点などを探して研究して、また挑戦すればいい。なのに、今選手の多くはまるでそのことを理解していないように思う。早々と先制され、力の差を感じたのか、一向に前へ行かなくなった。失点される度に攻撃へ転じにくくなる。つまり、「どんどん攻撃して同点まで追いつくんだ!」よりも、「これ以上やられないためにも徹底して守ろう!」という意識を感じる。守備への意識が強い。なるべく点差を広げないようにしたい気持ちは自分にも分かる。しかしこんな時間帯で守りに徹するには早すぎる。まだ連携も取れていないこの段階でその選択は危険すぎる。また失点されるのも時間の問題だ。

 黒い服の副審、今日対戦してもらっている近所の高校の引率教師が、持っている黄色い旗でピッチの隅を指した。あぁ、コーナーキックだ。これで何度目だろう。対して西春大和(ウチ)は全く頂いた記憶がない。まっ、全然攻めてないからな。渋々と自陣のペナルティエリアへ戻る。やたら動き回っている敵をマークすることにした。4点目を決めたあの11番が、セットしたボールを蹴り上げる。自分の方へと飛んできた。相手よりも先に落下点を予測し移動、ボールを頭に当てた瞬間にゴールの反対側へ首を振った。思惑通りにクリアできた。

 だが、たった今振り向いた光景に違和感を覚えた。放り出されたボールは、ペナルティアークと呼ばれる白線で引かれた半円で弾んだ。弾んだその周辺には誰もいなかった。さらにその先には一人の影がボールに向かって駆けてきた。影はボールに近づいたと見るや、すぐさま片脚を後ろに折り曲げる。その態勢がなされた途端、影しか映らなかったフレームという名の視界に、奥から本体が現れた。水色のソックスがボールに接触した。

「キーパーッ!」

 敵のシュートを警戒する怒鳴り声のような大声が聞こえた。いや自分が叫んでいたのか? 誰の声かも認識できないくらい余裕もなかった。突然のことだった。

 いつのまにかボールは、ゴールの真上を過ぎていった。蹴った選手は悔しそうに舌を打ち、こちらに背番号を見せるかたちで背き、再び自陣へ戻る。舌打ちの代わりに安堵のため息を漏らす、赤とグレーの6番ムサシ。直後、味方に対してやるせない怒りがこみ上げてきた。

 おいおい一体何だ今のは? 普通セットプレーになったら誰か一人くらい中盤に残るべきだろ。こぼれ球を対処したり次の攻撃へ展開したりできるだろ。本来なら自分が担当しているボランチが仕事するはずだが、攻め込まれている今、一列上の攻撃陣の誰かがやってもいいだろーが。こんな程度もこなせないのかよ! 人がいちいち指示しなきゃ何もできねーのかよ! くそっ、何でこんな所に……。

 ムサシは湧き出す苛立ちを抑えながらゴールキックを見守った。無言一辺倒のゴールキーパーから送られたボールは、ハーフウェーラインの手前に落ちた。そこではチームが異なる二人の選手が競っていた。またも水色の選手がボールを支配した。かと思えば、ドリブルの最中に誤って大きく前へボールを蹴り出してしまった。そのまま誰も触れずにタッチラインを割った。自分達のスローインになった。後方からツートンカラーの選手が転がったボールを両手で取り、頭上まで掲げた。体を左右に振り、受け手になる味方を探した末ボールを投げた瞬間。

 ピピピィッ。

 主審が何回も短く笛を鳴らし、右手で相手チームの攻撃する進行方向を指した。投げた4番は、一瞬訳が分からなくなったのか、その場に立ち尽くして審判を見送ったが、まだ半分混乱のままピッチに戻った。代わりに先程ドリブルした水色の選手が投げてプレーが再開された。

 今起きたのはファウルスローという、間違ったスローインをした時に発生する違反ルールである。主に片手でボールを投げる、片脚が地面に着いていない状態で投げるなどがそれに当てはまる。しかし4番を警告した理由はそのどちらでもない。問題なのは、体の向きとボールを投げる方向にあった。体の後ろから頭上を通してボールをピッチに投げ入れた瞬間に、体が向いた方向とボールが放たれた方向が一致しないとファウルスローになる。ルールブックなどで分かりやすく取り上げるなら、「体の真横へ放る」が反則の例である。彼の場合、真横ほどでもないが、双方の方向が著しく違っていたため警告したのである。これはよく素人がしでかすのだが、なぜこのようなミスを犯したかの明確な理由をムサシは知っている。

 単純明快。それは単なるケアレスミス。つまり集中力が欠けている何よりの証拠。今自チームに蔓延している悪循環な空気。前がかりでない戦法で思うようにボールを運べず、ただただ苛立ちが募るだけ。各個人が平常に対処していれば、すぐ解決できるものの、まるで熱いものを回すかのようにボールをあちらへこちらへ送りあう。焦ってパスを出せば、受け手にもボールとともに気持ちが伝わってしまい、慌てて他方へ返してしまう。それで連鎖反応を起こし、チームの中で余裕がなくなり、冷静さを欠いてしまった。

 ムサシは、自分が間に入りリズムを変えることでこの問題を解決できると考えた。それはディフェンシブハーフという立ち位置にいる、彼が見つけた一つの問題に過ぎない。彼がボールを持ち、敵ゴールに向かって前をむいた瞬間、もう一つ新たな問題を発見してしまった。

 敵ゴールを背に、誰よりもボールを欲さんとしているフォワード達が、一斉にムサシに向き、手を高々と上げる。しかしその手前にディフェンダーが五人並んでいる。パスを送ろうにも送りにくい状況だと分かりきっている。それでもしきりに手を振る選手がいる。

 どうなっても知らないぞ。

 ムサシはボールを素早く足の甲に乗せ、すくい上げた。ディフェンダー達の頭上に弧を描くように浮いた。それと同時に、ツートンカラーの11番は敵の群衆を右から左へ回り込むように走り抜けた。ディフェンスの裏をかく形となり、これでボールを受ければ、オフサイドを見事かいくぐり、絶好の得点チャンスとなる。

(もろ)たっ」

 11番が思わず声を漏らす。しかしその直後に、落下したボールをディフェンダーの一人が頭を出して弾き出した。後ろへ飛んだものの、これをキーパーが危なげなくキャッチ。すぐさま反対側のサイドへ投げた。11番は「なんでや!」と言わんばかりに両手を叩き、怒りを露わにした。しかし切り替えて、また次の機会を伺おうと、自陣へ戻る。その心意気は買うが、次の機会なんてすぐには来ないかもしれない。ムサシはそう確信する。

 先も言ったが、西春大和のディフェンス陣は必要ないリスクを負わずに、自陣深くとどまっている。それに相対して、フォワード達は点差を縮めたいがために、常に敵陣内にいる。何が言いたいのかというと、守備の最終ラインと攻撃の前線との間が空いている。むしろ空白だ。

 ガラ空きの中盤にボールや敵選手が集中しやすくなり、そこで相手に支配される。たとえボールを奪えたとしても、攻守の選手達との距離間が離れ過ぎてパスの受け手が見つからない。単純にボールを蹴り上げて、前線へ長いパスを送ろうとしても、さっきみたくディフェンダーに弾かれる。そして敵はマイボールにし、また真ん中へボールを送る。再び支配されるところからその繰り返し。やられっぱなしだ。

 とても試合と呼ぶには程遠い。我慢大会をやっているようだ。早く終わってほしいと心から願った。一つのチームの中で、こんなにもバラバラ、意思疎通が出来ていないことにもどかしく感じるキャプテン・ムサシ。しかし、何度も言い聞かせてきた悲しい魔法の言葉を、ここでもう一度頭の中で唱える。しょうがない、と。不思議と苛立ちや焦燥が和らぐ。

「Não ser ajudado.」

 ついでに自分の生まれた国の母国語、ポルトガル語で同じ意味の言葉を、今度は声に出して呟いた。どうせ周りの人に聞かれても分からないし。

 まもなく主審が笛を三回吹き、前半終了を告げた。敵味方合わせて22人の選手達がそれぞれの待機するテクニカルエリアへ一斉に戻った。水色のジャージを着ている、園ヶ丘高校サッカー部員らはベンチ周辺で談笑していた。4点リードしているのだから上機嫌に違いない。

 それにひきかえ、赤とグレーの縦縞ユニフォームの西春大和イレブンらは、声はおろか音すら発していない、まさに無音状態だった。点差が大きくひらき、負けている状況にある。が、チームは沈んでいない。落胆や失望ではなく、お互いに何を話せばいいか探り合い、悩んでいる。このままではさすがに気まずいが、下手に話して笑いがおきたら「空気を読め」と怒られるかもしれない。結局黙っているしかない。園ヶ丘高サイドから、時には爆発したような笑い声や拍手が、筒抜けでそのまま聞こえ響いた。

 早く時が過ぎてほしい。早く終わってくれ。誰もがそう思ったろう。まるで重たい空気が秒針に負荷を与えたみたいに、たったの一秒でも長く感じてしまう。閉塞感ともいえるような、息苦しく、居心地悪い空間だ。しかし、その中を裂くように割って入った監督、西里は顔を曇らせず、なぜか自信に満ち溢れている様子だった。

「お前らっ。せっかくの晴々しい初陣戦だってのに、そんな暗い顔をすんなよ〜。勝てるものも勝てねぇぞ」

 監督の言葉を聞いた途端、部員達は不意に顔を上げた。それぞれが驚きの表情を浮かべていた。それを西里は不思議そうに彼らの顔を見ながら続けて言った。

「なんだ? お前らは勝てないとでも思っているのか。俺は勝てると思っているぞ。いいか、フットボールってのは試合終了の笛が鳴り終えるまで何が起こるかわからない、エキサイティングなスポーツなんだぞ。スコアレスドローで終わるつまらないゲームがあれば、おもしろいようにパスが回ってゴールを量産し逆転できたりする場面もある。プロアマ、実力の有無なんて関係ない。予想できっこないんだ。現にこの試合はまだ半分しか経ってない。途中経過でしかないし、信じていればこれから『それ』が起こるかもしれない。決めつけるのもまだ早い。それに俺からして見れば、相手はそんなに強くない。間延びした中盤にやたらボールを集めただけで、そこぐらいしか展開していない。本来なら点差ほどの格差はない! だから気圧される必要もない!」

 終始笑顔だが、その声はより大きく、より強い口調だった。何より諦めないで欲しいと伝えたかったのだろう。もちろん選手達も承知している。しかし部員の何人かは、ただ鼓舞するだけで何の具体的な助言も送らないその態度に、いくら監督だろうと少々腹立たしかった。

 しかしムサシはむしろ、監督に不満を持つ部員に呆れていた。お前達が求めているであろう、その具体的な助言とやらを与えられたところで、何ができるって言うんだ。部活が始動してまだ一ヶ月しか経ってないうえ、何の目標も掲げないまま、ミニゲームばかりしてきた。戦術的な練習は一切せず、もはや部活ではなく、まるで同好会のように過ごしてきた。そんな俺達にいきなり、ディフェンスラインをこまめに上げろだの、セカンドボールを奪えだの言われて、すぐに実行できるのか? ろくに戦術のメソッドやノウハウを教えられてないのに、どう理解しろと言えばいい? 浅はかにもほどがある。

「さて、このままじゃさすがに気持ちが沈むから、ここで唯一の選手交代をしようと思う。これで全員が試合に出ることになるな。森下、申し訳ないが後半はベンチに下がってくれ。お前にも、今のチームの状態を外から見てほしい」

「わかりました」と7番は頷き、ベンチに座ってソックスを脱ぎだした。

 そしてその隣から、入れ替わるようにもう一人が立ち上がった。凛とした切れ長な目元、細い顔。だけど、まゆ毛が太く、まるで球児ような坊主頭。同じ赤とグレーのツートンカラーのユニフォームを着た、12番目の部員。最後の選手は、直ちにピッチの真横に向かった。

 後半開始間近、両イレブンはそれぞれの陣地に集まり、キックオフを待っていた。そこに、第四審判の了承を得て初めて芝生を踏み歩く者が、遅れてそこにやってきた。さっきの坊主頭だ。他の選手とは髪型ぐらいしか目立たなかった。しかし、違和感というものは、彼が背を向いた時に始めて、突如生じた。

「……29?」

「はぁ、12じゃないの?」

 キックオフを控える水色ユニフォームの二人は、西春大和高校サイドの円陣を見ていた。それぞれ、後半アタマから登場した交代選手について話していた。いや、お互いの主張をぶつけたという言い方が相応しいか。ワントップの11番は「29番」に見えた意見した。しかしすぐ隣の10番は「12番」と見えたらしい。今すぐにでも肩を組めるほど二人は隣接しているのに、同じ光景なのに、どうしてこうも食い違うのか。円陣で肩や背中が落ちたり、風で揺らいだりしているから、きっと見えづらい位置で読み間違えたんだ。二人は共にそう勝手に納得した。彼の半身が起き上がれば、この違和感はどっかへ消える。そうなるはずだった。円陣が散り、いざ坊主頭が起き上がっても、違和感はまだ居座っていた。それどころか、それは更に濃く帯びて、一抹の緊張をも宿る。簡単にいえば、謎。一瞬間は思考停止しかけるような、やや理解に苦しむものを目の当たりにしたからだ。だからって妖怪や幽霊ではない。確かにそこにいる。ただ存在が大きく見えただけだ。

 その心境を経験したムサシも、彼らの気持ちには同調できる。しかし彼らは知らない、あの坊主頭の「意志」が託されていることを。自分は感じる。あの大きな背番号を。



 129



 これが坊主頭の、大和(やまと)一新(いっしん)の背番号。12でも29でもない。背中にプリントされた、存在も桁も大きい背番号である。

 周知の通り、背番号は文字通り数番号でつけられる。欠番がない限り、11人いれば11番までである。けど、西春大和高校のサッカー部は、百人はおろか12人しかいない。もちろん百人以上もの部員は隠れてもいないし、存在もしない。それなら、なぜそんな大きい桁の数字を所狭しとつけるのか?

「やい、早く蹴りやがれってんだ」

 大和は水色の二人に挑発した。そんなことなんてどうでもいい。そう言いたげだ。

「あっ……そのボールを俺にくれるってゆーなら、話は別だけど」

 後半開始の合図の笛が鳴る。それは試合再会とは別の意味で、暴れ馬の前のゲートが開かれた合図でもあった。

主人公エースは最後に遅れてくるもんですよ(キリッ

……なんてほどではないが。

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