でんでん虫の恋煩い
カタツムリというのは、動きが愚鈍でどうも好かない。
だが、私は一軒家に住んでおり庭には花壇があるため、どうも雨の日にはその生物と度々遭遇してしまうのだ。
そして、今日もその雨の日だ。
私はやることもなく、また飽きもせずに傘を持ってベランダへと向う。
言うまでもなく、そいつはそこにいた。
重たそうな渦巻状の殻を重そうに引きずって、その物体はネバネバした液体を地面に残しながら愚直に進んで行く。私はなぜかそいつが嫌いなくせに、見かけるとついボウと眺めてしまう。
ズンズンと進むそいつはどこを目指しているのか、いつまで経っても私には皆目検討つかない。そうしているうちに我慢ならず私はそいつの殻をひょいと摘み上げ、花壇にあるアジサイの葉っぱの上にちょんと置いた。その瞬間、そいつは頭をつぶさに引っ込める。その速さはそれの動きからは到底想像もできないものだった。
だから私はこいつが嫌いなんだ。
私はムスッとした顔を苦笑に変えると、かがめていた腰を上げた。
すると、そこには赤い傘をさした一人の少女がいた。
少女はよほど楽しいことがあったのだろう。クスクスと雨音に混じって可愛らしく笑っていた。私はハッと息を呑んだ。そうしているうちに、彼女は手をひらひらと振って歩き出していった。
ここ最近、雨の日には必ずと言っていいほどにあの少女を見かけている。私は無意識のうちに彼女に会うために、こうしてカタツムリを探していたのだろうか。
そのとき、私は腹のそこから笑いたくなった。
馬鹿げている。そう、馬鹿げているのだ。そんなはず全くない。
それもそうだろう。私は二十歳を超えた男で、あの少女はどう見ても小学生か中学生ぐらいだ。それで彼女に気があるとしたら、私はいいとこ変質者や異常思考の持ち主だろう。
くるっと180度体を反転させ、私は部屋へと戻った。
そんなことはない。そう、そんなことはないのだ。そう自分に言い聞かせながら。
あれからどれくらい経ったのだろう。
この所、雨脚というのがめっきり遠退いて久しい。なぜか私の頭からあの少女のことが離れなかった。
どうしてだろうか。気づけば、私は思考の大半をそのことに費やしている。彼女の名前はなんだろう、彼女の年は、彼女の住所は、彼女の、彼女の、彼女の…
私はどうかしている。早くこんなことは忘れなければ。
そうこうしているうちに、ポツポツと雨水がアジサイの葉を打っていることに気づいた。
私は胸の鼓動が早くなるのを確かに感じた。すでに、私の手にはあの日と同じ傘が握られている。
早く、早く。
そんな風に心臓の鼓動が叫んでいるような錯覚に私の脳は犯される。
私はかかとを踏み潰したまま、庭へと駆けた。
あの赤い傘の少女はあの日、あの時、あの場所にいた。
さあ、おいで…
彼女は確かにそう呟く。
私はその小さな手をぎゅっと握った、はずだった…
刹那、私の視界は白の世界に反転する。
次に目を覚ましたとき、私は部屋の床に横たわっていた。
確かにその少女の手を握った後には、あのカタツムリのネバネバしたものがこびりついていただけだった。