七不思議の末路
「ううむ。これはゆゆしき事態だ」
クラブ長の真田春樹先輩がつぶやいた。
僕たちは、幽明小学校の新聞クラブの集まりだ。
部室に置かれているのは、プラスチック製のイスや机ではなくて、大人が使っているような金属製のパイプ椅子と、長机だ。壁際にある大きな本棚には、難しそうな小説や写真集、画集がところせましと並んでいる。
真田先輩がイスの背もたれに、ぐーっと上体をあずけた。それから、
「なあ、ゆゆしき事態だよな? 吉川」
と、僕に向かって言った。
僕の名前は吉川義文。小学四年生。
このクラブに入ったばかりの新人だけど、いつかは真田クラブ長や百瀬亜美副クラブ長のように、学校や地元のスクープを、しっかり記事にできるようになりたい。
「あのさー、ゆゆしき事態って、どういう意味?」
百瀬先輩が言うと、
「俺にもよくわからん」
真田先輩がそう答えた。
わかんないのかよ!
――と、馴れ馴れしくツッコむことはできない。
新聞クラブには、全部で三人しかいない。
六年生でクラブ長の真田春樹。
五年生で副クラブ長の百瀬亜美。
そしてこの僕、雑用係の吉川義文。
いや、もう一人、幽霊クラブ員の坂井志乃先輩という人がいるらしいけれど、部室にはめったに顔を出さないので、僕はまだ一度も見たことがない。
この新聞クラブ、校内でかなり人気があるのだ。
なぜなら真田先輩はかなりのイケメンだし、百瀬先輩はアイドルも顔負けのビジュアルをしている。
そんな二人と仲良くなりたい生徒がひっきりなしにクラブへ入りたいとやってくるけれど、真田先輩はそのすべてを一刀のもと切り捨てるように断っていた。
そんなクラブに、どうして僕のような人間が入ることができたのだろう。今でもよくわかっていない。
真田先輩がいきなり、
「お、君には何かを感じる。直感だ。新聞クラブに入りたまえ」
と言い、強引に入部させたからだ。
ひとえに幸運としか言いようがない。
真田先輩が、机の上に散らばっているプリントを、もう一度読み直した。
「しっかしなあ、校庭の空中に現れる、赤い服を着た少女って言ってもなあ。害はないわけだし、よくわかんねえよな。だいたいなんで浮いているんだ? 記事になるか? これ」
今月、僕たちが記事にしようとしている事件がこれだ。
校庭で目撃される幽霊。
普段は現実的な事件ばかり追っている新聞クラブにしては、めずらしい事件である。
百瀬先輩が、前髪をいじりながら口を開いた。
「ママに聞いたんだけど、昔はさー、学校の七不思議っていうのがあったんだって」
「学校の七不思議?」
僕は聞いたことがなかった。
「吉川も知らないのか。俺も知らない。それはなんだ?」
どうやら真田先輩も知らないみたいだ。
「えっとね。歩く人体模型とか、音楽室に飾ってあるベートーベンの絵が喋るとか、二宮金次郎の像が動くとか――そういう怖い話が、どこの学校にも七つあるの」
「どこの学校にも?」
真田先輩が、食い気味に聞いた。どうやら興味を持ったらしい。
「そうそう。どこの学校にもあったんだって。『学校あるある』みたいな感じ? 七不思議があるのが、昔は常識だったんだって。校庭の宙に現れる、赤い服を着た少女ってさ。七不思議っぽいよねー。私はこういうの、好き」
「どうして今は、なくなっちゃったんだろう」
僕が言うと、真田先輩が、
「ふうむ。俺が推測するにだな。昔は校舎が木造だったり、蛍光灯が暗かったり、和式トイレだったりして、学校が怖かったんじゃないか?」
なるほど。それが正解のような気がする。
すると百瀬先輩が、
「後は、あれじゃない? 昔は余裕があったんだよ」
と言った。真田先輩が首を傾げる。
「余裕とは?」
「だからさー。SNSがない時代は、社会情勢とか炎上とかネットとの付き合い方とか、そういうことを考えなくても良かったわけじゃん。でも今の私たちは違う。小学生なのに、いろんなことを考えなきゃいけない。先生だって鬱で辞めていくような時代だし。七不思議とか言っている場合じゃないんだよ。私は、お化けよりも人間が怖い」
これも当たっているような気がする。
百瀬先輩は、いつも気怠そうに見えて、しっかり考えているらしい。
「ふうむ。一理あるな。吉川はどう思う?」
真田先輩に話を振られた。
「僕は……二人の言っている通りだと思います」
頭がうまく回転しない。
まだまだ、とっさに何かを喋れるような人間じゃなかった。
自分の意見がないようで、恥ずかしくなる。
「まあ、焦らないことだよ。吉川は、ちゃんと素敵な上級生になれるから」
百瀬先輩がフォローしてくれた。
その優しさが今は辛い。
「とりあえずは実地調査だ! 放課後、校庭に集合だ!」
真田先輩が、イスから勢いよく立ち上がった。
「えー? 目撃証言って、午後六時ぐらいだよねー?」
百瀬先輩はその反対に、ぐでーっと机に突っ伏した。
赤い服を着た少女は、校庭で活動しているサッカークラブや野球クラブの子たちの何人かが見たと言っている。不思議と、迎えに来る親や、クラブ活動を監督している先生には見えないらしい。
また子どもたちの中でも、見える子と見えない子に分かれていた。
見えない子は、見える子をウソ扱いする。
見える子は、自分の頭がおかしいのかと不安になる。
集団心理とか幻覚とか、科学的に理屈をつけようとする子もいるし、陰謀論に繋げようとする子もいる。
カオスだ。
ここはなんとか新聞クラブで、みんなの納得できるような『理屈』を提示してあげたい。
「私たち、今日六時過ぎまで学校にいなきゃいけないの?」
「用事があるのか?」
真田先輩が聞くとと、百瀬先輩が首を横に振った。
「ないけど、帰る時間が遅くなると危ないじゃん。最近は熊とか出るし」
「それは心配ない。俺がタクシー代を出そう」
そういえば、真田先輩の家はお金持ちだった。
百瀬先輩が「ありがたいけど、腹立つなあ。格差社会だ」と愚痴のようなものを言った。
それから三人で職員室に行き、電話を借りた。
母さんに遅くなると言い、帰りはタクシーで帰ると伝えた。
『え? タクシー? ああ、真田さんのところか。あのねえ、迎えに行くから。子ども同士でそういうことをしないの』
怒られてしまった。百瀬先輩も同じように、親が迎えに来るらしい。
結局、真田先輩だけはタクシーで帰ると言った。
◇
「見えるか?」
真田先輩が言う。
「見えるよ。困ったね。どうしよう」
あまり困ってなさそうに百瀬先輩が答える。
そしてもちろん、僕の目にも、『その光景』が見えていた。
夕暮れの中、校庭の端っこの方で、赤いワンピースのような服を着た少女が、宙に浮いていた。想像よりも高いところにいる。学校で言えば、三階くらいの高さの位置だ。でも、本当にそれだけの幽霊だった。少女はこちらを見ないし、下りても来ない。
地味と言えば地味だし、怖いと言えば怖い。
今日は他のクラブ活動がないのか、僕たちの周りには誰もいなかった。
「一応、許可をもらってスマホを持ってきた。日中はちゃんと職員室に預けておいたぞ」
真田先輩が、そう言いながらスマホのカメラを少女に向けた。シャッター音が鳴る。三人で画面を見てみたけれど、何も写っていなかった。
「やっぱりダメか」
「まあ、写ったところでね。AIで出力したんでしょって言われるだけだし。今の世の中、写真は証拠にならないよ」
百瀬先輩の意見はあっさりとしている。
「それはそうだが……」
真田先輩が、まだ諦められないのか、スマホをずっといじっていた。ときおりカメラを向けてはシャッターをタップしている。
でも、画面を見るたびに首を傾げているから、やっぱり何も写っていないのだろう。
茜色の空が、菫色に変わっていく。日が沈もうとしている。
少女はずっと浮いたままだ。
僕たちは、これだけ決定的に幽霊を目撃していながら、その証拠を残すことができず、正体をつかむこともできなかった。
「あれは、トイレの花子さんだよ」
急に僕の背後から、聞きなれない声がした。
とても冷たく、どこまでも透き通っているような声音――。
背筋を冷気が這い上って来るみたいな感覚に、全身が震えた。
慌てて振り向くと、見たことのない女の子が立っていた。長い黒髪に、白いブラウスと黒のプリーツスカート。長い手足に、整った顔。とても小学生には見えない。中学生か、それこそ高校生と言っても通りそうな、大人びた雰囲気をしている女の子。
「おお、坂井くんじゃないか」
真田先輩が嬉しそうな声を上げた。
え? この子が、坂井志乃? 幽霊部員の?
「志乃ちゃん。久しぶり~」
百瀬先輩が両手を上げると、坂井さんは無表情のままハイタッチをした。
「いえーい」
と、ゆるくダウナーな感じで、息ピッタリである。
それから坂井さんは、ゆっくりと瞳を動かして僕を見た。まるで宇宙のように真っ暗な瞳だ。
「君は新入部員?」
「は、はい」
「そう。私は坂井志乃。小学五年生。よろしく」
「よろしくお願いします」
僕が言うと、こくりと頷いた。それから、
「あれはトイレの花子さんだよ」
最初に言ったことを、もう一度、口にした。
「そうそう。それはどういう意味だ?」
真田先輩が聞く。
坂井先輩が、ゆっくりとした動作で、視線を少女に向けた。
「もともと、あそこには旧校舎があったの。そして、あの少女がいる場所には、旧校舎のトイレがあった」
「ふむ。なるほど」
今の説明だけで、真田先輩はだいたいわかったらしい。
もちろん僕はわからない。
坂井先輩は続ける。
「幽明小学校、旧校舎に伝わる七不思議のひとつ。『トイレの花子さん』。その内容は、三階西側にある女子トイレの、左から四番目の個室を四回ノックする、というもの。するとトイレの花子さんが現れて、ノックした子を便器の中に引きずり込んでしまうの」
「えー、きたなーい」
百瀬先輩が顔をしかめた。心底、嫌そうだ。
「旧校舎が解体され、多くの幽霊や妖怪、七不思議たちが、場所と共に消えていった。でもトイレの花子さんだけは、場所が消えても、存在が残ったの」
「それはなぜだ?」
真田先輩が聞く。
坂井先輩が静かに首を振った。
「わからない。なんらかの条件が、たまたまそろったんだと思う。でももう、旧校舎はない。トイレはない。だからあれは、ただの『宙に浮いた、赤い服を着た少女』でしかないの」
そういうことか。やっと僕にもわかった。
少女が浮いているあの場所には、もともと旧校舎のトイレがあった。
でも旧校舎は解体されてしまい、場所に依存していた幽霊や妖怪たちはみんな消えてしまった。トイレを住処としていた花子さんも消えるはずだったのに、なぜか彼女だけは残った。
床も壁も天井も、ノックをするための個室も、引きずり込むための便器もない。トイレの花子さんを、トイレの花子さん足らしめる背景が何もない。だから彼女は、ただ宙に浮いている赤い服の少女として、現れるようになった。
それがあの幽霊の正体なんだ。
時代の文脈から取り残された、もう何者でもない怪異――。
「今のあの子を、なんて呼ぶべきなの?」
と、百瀬先輩が聞く。
坂井先輩は少し考えて、
「なんでもいい。『赤い服の少女』でも、『浮いている少女』でも、なんでも」
「そっかあ。なんかこう、寂しいね」
トイレの花子さんが、ただの『赤い服の少女』になってしまった。それを、寂しいと表現した百瀬先輩の気持ちが、なんとなくわかる。
そうだよ。寂しいんだ。
「どうして今になって現れたの?」
僕が言うと、
「向こうも向こうで、寂しかったんじゃないかな」
坂井先輩は、そう返した。
僕たちも寂しいけれど、怪異たちも寂しい。七不思議が時代遅れになってしまった世の中で、人間と怪異が共有し、わかりあえる部分は『寂しさ』だけなのかもしれない。
沈む日を背景にしながら、赤い服の少女がいつまでも漂っている。
「俺たちは、どうすればいい? 何ができる?」
と、真田先輩。
「忘れないでいてあげて。語り継いであげて」
「つまり、面白い記事にすればいいのか?」
「そういうこと」
坂井先輩はそう言って、かすかに微笑んだ。
◇
後日、僕たちは気合を入れて『宙に浮く、赤い服の少女』の真実を記事にした。
なかなか反響があったし、SNSに記事の内容を投稿するような子もいて、校内新聞の枠を超える形でネットでも少しバズった。
そのおかげなのか、少女の姿を見る子はいなくなった。
やっぱり坂井先輩の言った通り、トイレの花子さんは『トイレの花子さん』じゃなくなっても、忘れられたくなかったのかな。
というか、坂井先輩って何者なんだ?
どうして少女の正体を知っていた?
僕は坂井先輩のことが気になったので、五年生の教室に行った。
でも、どのクラスを調べても、『坂井志乃』という子はいなかった。
不登校ではなく、そもそもこの学校に在籍していないらしい。
「ふむ。まあ、あの子はそんなもんだろ」
真田先輩の返答はおおらかだ。
「幽霊部員じゃなくて、本当の幽霊っていうオチ? 志乃ちゃんが幽霊でも、友達だけどね」
百瀬先輩のゆるさも変わらない。
坂井志乃の正体にまつわる不思議な事件は、また別のお話。
お読みいただき、ありがとうございます。
トイレの花子さんって、どうして赤い服を着ているイメージがあるのでしょう。




