救い
美咲の力が虚構の壁を食い破り、アパートの景色がデジタルノイズとなって消え去る。 ついに現実を引きずり出した。そう確信した良太の目に飛び込んできたのは、無機質な実験施設などという生易しいものではなかった。
そこは、荒廃しきった「未来の日本」だった。
空はどす黒い雲に覆われ、地平線の彼方まで瓦礫の山が続いている。 そして、良太たちの足元。 そこには、数千、数万という「坂口家」の死体が、ゴミのように積み上げられていた。
……え?
良太の思考が停止する。 死体の山。 ある死体は川で溺れ、ある死体はトラックに轢かれ、ある死体は刺殺されている。 そのすべてが、良太と母さんと美咲の顔をしていた。
お兄ちゃん、これ……全部、私たち……?
美咲の悲鳴が響く。 背後から、あの無機質な男の声が、今度はスピーカー越しではなく直接聞こえてきた。
気づいたかね。 君たちがいたのは、仮想現実でも実験施設でもない。 ここは、すでに滅び去った後の世界だ。
瓦礫の陰から現れたのは、半身を機械化した「馬島」だった。 その瞳に宿る光は、あの雨夜に自分を逃がしてくれた男の面影など微塵もない。
坂口良太。君たちが救おうとしていた『現代』は、もうどこにも存在しない。 君たちの遺伝子は、この絶望的な未来で唯一生き残った貴重なサンプルだ。 我々は、君たちが『夜逃げに成功する』という特異点を観測することで、歴史を修正する鍵を探していた。
馬島の手が、動かなくなった母さんの首を無造作に掴み上げる。
だが、三十二回目も失敗だ。 君が『世界の仕組み』に気づいた時点で、このサンプルは汚染された。
待て、やめろッ!
良太が叫ぶより早く、馬島は母さんの首を機械の指で容易くへし折った。 ゴミを捨てるように転がされた母さんの亡骸が、足元の死体の山に加わる。 それは、あまりに呆気ない、三十三回目の「死」の始まりだった。
嫌……嫌あああああッ!!
美咲が狂乱し、その力が暴走する。 周囲の瓦礫が浮き上がり、時空そのものが歪み始めるが、馬島は動じない。 彼は美咲の胸に、容赦なく黒い杭のようなデバイスを打ち込んだ。
現実改変能力。これも、この滅びた世界が生んだ変異に過ぎん。
美咲の瞳から光が消え、彼女の体もまた、冷たい地面に横たわった。
良太は膝をついた。 夜逃げして、家族を守って、幸せになる。 そんな未来は、最初から「終わった世界」のどこにも用意されていなかった。 守るべき世界そのものが、もう存在しないのだ。
絶望しろ。 その負の感情のエネルギーだけが、次なる再構成の燃料になる。
馬島が良太の頭に銃口を押し当てる。 良太が見た最後の景色は、積み上げられた自分の死体の山と、その頂上で泣き叫んでいる「次回の自分」の幻影だった。
……ああ。 どこまで行っても、俺たちは、死ぬために生まれてくるのか。
引き金が引かれる。 肉体が弾け、意識が闇に溶ける直前、あの忌々しい声が聞こえた。
――さあ、三十三回目を始めよう。
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