壁
目が覚めると、そこは深夜一時五十分の、あの六畳間だった。
チカチカと点滅する蛍光灯。 スポーツバッグに荷物を詰める母さん。 隅で震える美咲。
三十二回目。 だが、これまでの「死に戻り」とは明らかに感覚が違っていた。 良太は立ち上がろうとしたが、自分の腕を見て息を呑む。 肌に、無数の細い電極の跡と、シリアルナンバーのような刻印が浮かび上がっては消えていく。
……良太、どうしたの? 早く!
母さんの声。 いつも通りの、優しい、俺を心配する声。 だが良太の頭には、さっき奈落へ落ちていった「あの母さん」の残像がこびりついている。
目の前にいる母さんは、本物なのか? それとも、新しく用意されたレプリカなのか?
お兄ちゃん……。
美咲が俺の手を握る。 その瞬間、良太の脳内にノイズのような映像が流れ込んできた。 カプセルの中で眠る無数の美咲。 管に繋がれ、苦痛に顔を歪める「本体」の意識。
美咲、お前……。
良太は美咲の目を見つめた。 その瞳の奥に、微かな、しかし絶対的な「意思」を感じる。
お兄ちゃん、聞こえる? これは、美咲だよ。本物の、美咲。
声は口から出たものではなかった。 美咲の現実改変能力が、脳内に直接語りかけてきているのだ。
ここは、偽物の部屋だよ。 お母さんも、今の私も……あの施設で作られた、記憶をコピーされたお人形。 でも、お兄ちゃんの心だけは、本物なの。 だから、彼らはお兄ちゃんを「観測」し続けてる。
良太は震える手で、自分の胸を叩いた。 ここにある記憶。三十一回分の、家族を愛し、守ろうとして、そのたびに引き裂かれてきた痛み。 それだけが、この偽物の世界で唯一の「真実」だった。
なら、壊してやる。
良太は母さんの手からスポーツバッグを奪い取ると、中身をすべて床にぶちまけた。 通帳も印鑑も、ここでは何の意味も持たない電子の塵だ。
夜逃げはしない。 今回は、ここから一歩も動かない。
……良太? 何を言って……。
母さんの困惑した顔。 それさえも、システムが生成したプログラムに思えて吐き気がする。
美咲、力を貸してくれ。 お前の「思い通りになる力」で、この部屋の壁を消せ。 外の雨も、闇金も、全部消して、あの「実験施設」をここに引きずり出すんだ。
美咲は、苦痛に顔を歪めながらも強く頷いた。
わかった。 やってみる……お兄ちゃんと一緒に、本当の明日に行きたいから!
美咲の瞳が、青白く発光する。 次の瞬間、築四十年のアパートの壁が、デジタルノイズのように崩れ始めた。 降りしきる雨が止まり、現れたのは、無機質な金属の床と、巨大なサーバーラック。
虚構の世界が剥がれ落ち、良太たちはついに、自分たちを飼い慣らしていた「神」の目の前に立った。
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