希望と絶望
九回目のループ、馬島あかりという希望を得たはずの逃走は、あと一歩のところで終わった。 県境の検問。あかりの父である組長の手回しは、彼女の予想を遥かに上回っていた。
_ごめん。
バックミラー越しに見たあかりの絶望した顔が、俺の覚えている最後の記憶だ。 あかりは無理やり連れ戻され、俺たちはその場で処分された。
それから、地獄の回数は積み重なっていった。 十回目、十五回目、二十五回目。
あかりを頼るルート、彼女を巻き込まないルート。 あかりから聞いた情報を元に、自力で監視カメラを壊すルート。 あらゆる分岐を試したが、死の運命は形を変えて襲いかかってくる。
ある時は土砂崩れ。 ある時は逃亡先での毒殺。 ある時は、拷問に耐えかねたあかりの裏切り。 世界が俺たちを殺そうとする意志は、回を追うごとに執拗さを増していった。
……た、良太! 起きなさい!
三十回目。 点滅する蛍光灯の光が、脳髄に直接刺さるようだ。 母さんの声。荷造りの音。美咲の震え。
俺はもはや、飛び起きることもしなかった。 ただ天井を見つめ、泥のような吐き気を飲み込む。
良太、どうしたの? 早く!
母さんが俺の肩を揺らす。 その温もりが、もうすぐ失われる肉片のものにしか思えない。 俺の精神は、もうとっくに限界を超えていた。
……母さん。 あかりに、連絡しなきゃ。
俺の声は、自分でも驚くほど枯れていた。 過去二十九回分の失敗データが、脳内で濁流のように渦巻いている。
あかり……? 誰なの、それは。
母さんの言葉に、俺は力なく笑った。 そうだ。母さんにとっては、これが初めての夜逃げなんだ。 俺だけが、三十回目の地獄にいる。
スマホを取り出す。 馬島あかりからの通知は、まだ来ていない。 彼女が動くのは、俺が特定の行動を起こした時だけだ。
俺はあかりにメッセージを送る。 これまでのループで学んだ、彼女の父親の配置と動線をすべて書き連ねて。
_馬島。 _今、お前の家の金庫にある裏帳簿のパスワードは、あかりの誕生日だろ。 _それを持って、今すぐアパートの裏に来い。
あかりを協力者としてではなく、共犯者として引きずり出す。 それが、積み重なる死を経て辿り着いた、最も生存率が高いと思われる冷酷な一手だった。
お兄ちゃん……怖いよ。
美咲が俺の手を握る。 その手を、俺は無機質に握り返した。
大丈夫だ。 三十回目だぞ。 ……今度こそ、誰も死なせない。
その言葉は、自分への誓いというより、もはや呪いに近かった。 雨音はさらに激しさを増していく。
俺たちは、また家を出る。 慣れすぎてしまった、死へのカウントダウンの中へ。
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