九回目のイレギュラー
……た、良太! 起きなさい!
八回目の死は、背後から車で撥ねられるという呆気ないものだった。 深夜一時五十分。 もはや、この点滅する蛍光灯が、俺の正気を削るカウントダウンにしか見えない。
母さんは荷物を詰め、美咲は隅で震えている。 もう、どこへ逃げても無駄だ。 この世界は、俺たちを殺そうとしている。
そう諦めかけた、その時だった。
ピロン、とスマホが震えた。 この絶望の繰り返しの中で、初めて「知らない通知」が届いた。
画面を見る。 メッセージの送り主は、馬島あかり。 クラスで一際目立つ、冷徹な美人として知られる女子生徒だ。
_今から家を出るつもり? _悪いことは言わないから、一階のゴミ捨て場に隠れて。
心臓が跳ねた。 なぜ、彼女が俺たちの計画を知っている? そもそも、馬島の父親は、俺たちを追い詰めている闇金の経営者、馬島組の組長だ。
どうしたの、良太?
母さんの声に、俺は震える指で返信を打った。 信じるしかない。 今の俺には、このイレギュラーしか残されていないんだ。
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一階のゴミ捨て場。 生ゴミの悪臭が漂う暗がりに、俺たちは身を潜めていた。
数分後、アパートの前に黒塗りの車が止まる。 いつもならここで俺たちは見つかり、地獄が始まる。
けれど。 車の陰から一人の少女が現れた。 雨合羽を深く被り、こちらを鋭い目で見つめる。馬島あかりだ。
……こっち。
彼女は短く言うと、俺たちをゴミ捨て場のさらに奥、管理人用の地下倉庫へと手招きした。 そこは、これまでの八回のループで一度も足を踏み入れたことのない場所だった。
馬島、どうして……。
俺の問いを、彼女は冷たい視線で遮る。
あんたたちが普通に逃げても、五分以内に捕まるわ。 うちの父親、アパートの前の電柱に隠しカメラを設置してるから。
ゾッとした。 そんなもの、一度も気づかなかった。 彼女は俺のスマホを奪い取ると、手際よく何かを操作し始めた。
GPSの偽装完了。 今、追っ手の端末には、あんたたちが駅に向かってる反応が出てるはず。 今のうちに、裏の塀を越えて。
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雨の中、馬島の手引きで裏塀を越える。 そこには、一台の軽自動車がエンジンをかけずに止まっていた。
乗りなさい。 私の貯金を切り崩して買った中古車よ。 免許? ……そんなの、この状況で気にしてるの?
彼女は平然とハンドルを握った。 闇金の娘。 父親を裏切るような真似をして、タダで済むはずがない。
なんで助けてくれるんだ。
俺が尋ねると、彼女はバックミラー越しに、震える美咲をチラリと見た。
……あんたの妹、私の中学の後輩なの。 あの子がうちの店に沈められるのなんて、見たくないだけ。
車が静かに発進する。 いつもなら死んでいたはずの「二時十分」が、何事もなく通り過ぎていく。
景色が流れていく。 増水した川も、魔の交差点も、すべてが背後に遠ざかっていく。
死んでいない。 俺も。母さんも。美咲も。
まだ、逃げ切れたわけじゃない。 けれど、九回目の夜にして初めて、俺たちは「明日」に続く道の上にいた。
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